セラピストの伴走者「臨床支援員」の可能性|理学療法士・田宮史章さん

みなさんこんにちは、リハノワのかわむーです!

今回は、熊本県熊本市にある武蔵ヶ丘病院で理学療法士兼臨床支援員として働く田宮史章さんを取材しました。

田宮さんが理学療法士を目指したきっかけや、武蔵ヶ丘病院で取り組まれている国内留学制度や臨床支援員制度についてお話を伺いました。

理学療法士・田宮史章さん

◆ 田宮史章(たみや・ふみあき)さん
武蔵ヶ丘病院リハビリテーション部副主任/臨床支援員

<略歴>
1993年熊本県荒尾市出身。理学療法士免許を取得後、新卒で武蔵ヶ丘病院に就職。2021年に国内留学制度を使って藤田医科大学病院で6ヵ月の研修を実施。現在は、臨床支援員としてセラピストの伴走支援をおこなっている。


かわむー
かわむー

田宮さんが理学療法士を目指したきかっけを教えて下さい。


田宮さん
田宮さん

私の実家はもともと医者家系で、父も医師として働いていたことから、昔から「お医者さんになりたい」という夢をもっていました。しかし、思春期に医師の道に進むことに嫌気がさし、まったく別の道を考えるようになります。

高校時代は特にやんちゃで、2年生のときに学校を中退。その後は、日中は工事現場、夜は焼き鳥屋で働く日々を過ごしました。お金も稼げてそれなりに楽しくは過ごしていたのですが、当時お付き合いしていた方の死をきっかけに、考え方が一変します。

「今のままではダメだ」と、両親に頭をさげ、月に何回か通うことで高校卒業の単位がもらえる通信制の高校に通うことを決意しました。

仕事をしながら2年ほど通学し、卒業のタイミングで先生から医療職の専門学校への進学をすすめられました。一度は距離をおいた医療業界でしたが、その時は彼女のこともあり、「医療ってとても大事なことだ」と身近に思えるようになっていました。

医師を目指さなかった自分に対する劣等感はありましたが、とにかく「今の現状を変えたい!」という思いが勝り、20歳のときに理学療法士養成校に進学しました。


かわむー
かわむー

10代後半という年齢で、本当にたくさん経験されてきたのですね。辛い時期や複雑な思いはありつつも、再び前を向いて歩みはじめた田宮さんはとっても素晴らしいと思います。

医学という新しい勉強が始まりますが、進学後はいかがでしたか?


田宮さん
田宮さん

日中は学校で理学療法の勉強に励み、夜は継続して焼き鳥屋、現場仕事は土日のみ継続しました。

しばらく学校の授業やテストから離れていたこともあり、入学してから苦労しました。大事だといわれている科目だけ力をいれて、副科目は力を抜くこともしばしばありました。

恥ずかしながら出席日数の関係で1年生のときには留年が危ぶまれ、正直「めんどくさいな、もう別のことしようかな」と思ったこともありました。しかし、現在の職場の上司である藤井さんのお父さん(養成校の教員)の言葉に救われます。

「あなたは理学療法士としてセンスはもってる。気持ち次第だ。ここでやめると、逃げることになるんじゃないか!?」と言ってもらったのです。

その時、ものすごく嬉しかったのを覚えています。自分の父とは疎遠だったので、こんな自分を本当の親父のように叱って、親身になって関わってくれて…。この瞬間、私の中のスイッチが入りました。2年生からは心を入れ直し、勉強や実習にも真面目に取り組むようになります。

成績もどんどん上がり、学年でトップに入るほどになりました。さらには班長も任され、努力したことが成果として変わっていく、「成功体験」をここで初めて経験します。

学生時代お世話になった藤井先生の息子である藤井廉さん(右)と、現在は一緒に働いている

偶然の出会いから

かわむー
かわむー

理学療法士免許を取得後、現在の職場である武蔵ヶ丘病院へ入職されたきっかけを教えてください。


田宮さん
田宮さん

3年生のときの長期実習で行かせてもらったのが、福岡県にある福岡のみらい病院でした。さまざまな疾患の方のリハビリをおこなっていて、最先端のリハビリ機器も多数導入されていました。そこで、現・武蔵ヶ丘病院の副理事長であるリハビリ科医の田中慎一郎先生と出会います。

田中先生は、白衣を着た「お医者さん」ではありながら、学生の私とも一生懸命にディスカッションしてくださり、良い意味で、私の中のお医者さんのイメージを大きく変えてくれました。

同じ熊本県出身ということもあり、学生ながら積極的に質問する私の姿勢を気に入ってくださったようで、「ガッツがあって、ハングリーでいいな。一緒に働こう」とお声がけしてくださいました。

その時、武蔵ヶ丘病院がどこにあるか正直分かりませんでしたが、とにかく田中先生と一緒に働きたいと思い、「行きます!」と即答。将来、「田中先生と一緒に仕事をする」ことを目標に、その後の国家試験に向けた勉強も頑張ることができました。


かわむー
かわむー

田中先生は、藤田医科大学病院のリハビリテーション科で研修をされた後、実家のお父様が経営する武蔵ヶ丘病院に戻る前に1年だけ福岡みらい病院でお仕事をしていたそうです。まさかその期間に実習で訪れた田宮さんと出会われていたとは、とても驚きました。

(田中先生のインタビュー記事は、記事下部にリンクを掲載しています)

田宮さんは入職後、そして現在、どのようなお仕事や働き方をされているのでしょうか。


田宮さん
田宮さん

現在、入職して6年目になりますが、2年目(COVID-19流行前)まではチーム制で、その後は病棟担当制で、回復期病棟、一般病棟、地域包括ケア病棟などさまざまな病棟の患者さんのリハビリを担当してきました。

入職後に参加した学会では新人賞をもらうなど、田中先生のすすめで院外活動の経験もたくさん積ませていただきました。

また、2021年はセラピストの「国内留学制度」を使って、藤田医科大学病院で6ヵ月の研修をさせてもらいました。現在は「臨床支援員」という新たなポストをもらい、現場スタッフが困っていることや悩んでいることに対してサポートを行っています。


国内留学制度を使って

かわむー
かわむー

武蔵ヶ丘病院における、セラピストの国内留学制度について詳しく教えてください。


田宮さん
田宮さん

国内留学制度は、セラピストの人材育成を目的としています。私は第1期生として、2021年10月から半年間、藤田医科大学病院に研修に行かせてもらいました。

留学のミッションは、当院に導入しているさまざまなリハビリ機器(三次元動作解析装置やウェルウォーク、藤田医科大学で開発された特殊機器)の使い方をマスターしてくること、そして、超急性期や急性期現場、臨床研究など、うちにはない文化や環境を目に焼き付けてくることでした。

留学生として診療補助をしたり、実際の機器を使ってみたり、担当のセラピストとしっかりとディスカッションしたりしたことで、留学が終わる頃には、患者さんの予後予測や超急性期や急性期で行われている治療のイメージをしっかりと掴むことができるようになりました。

情報収集力も身につき、想像していた以上に得るものがたくさんあった半年間でした。

現在は、第5期生が藤田医科大学病院に留学に行かせてもらっています。留学先は、その他にロボケアセンター(茨城県)、脊髄損傷者専門トレーニングスタジオJ-Workout大阪スタジオ(大阪府)などがあります。

留学から帰ってくると、視点や発言が変わり、うちの病院に必要なことを建設的に話せるようになっているスタッフがほとんどです。


実際の藤田医科大学病院での研修中の写真(ご本人より提供)
研修中はさまざまな機器を使用したリハビリを学んだ(ご本人より提供)

臨床支援員のしごと

かわむー
かわむー

臨床支援員についても、詳しく教えてもらってよろしいでしょうか。


田宮さん
田宮さん

臨床支援員の制度は、2022年から開始しました。現在、臨床支援員は私1名です。特定の担当患者さんはもたず、現場スタッフの困りごとや悩みごとに対してアドバイスを行ったり、一緒に評価や診療したりするなど、セラピストの伴走支援を行います。

前例がなく手探りの状態ですが、1年が経過してようやくカタチになってきました。私がひとりの患者さんを一生懸命治療するよりも、何十名ものスタッフを支援することで、より多くの患者さんに貢献できればいいなと思っています。


かわむー
かわむー

人に伴走するということは、常にその一歩先を走り続けないといけないので、学習意欲や成長意欲が高い田宮さんだからこそできることだと思いました。これからもご活躍を応援しています。


貢献と責任

かわむー
かわむー

最後に、田宮さんがリハビリテーションを実践する中で大切にしていることを教えてください。


田宮さん
田宮さん

リハビリテーションを提供する上では、「貢献」と「責任」いう言葉を大事にしています。

貢献したいという思いの裏腹には、その人の人生に対する責任も伴います。特に、退院先を決めるときのセラピストの意見は責任重大です。

患者さんの機能や活動、社会背景などいろんなことを踏まえて、総合判断する必要があります。

ここできちんと根拠のある説明と介入ができるセラピストでありたいと、私自身、常に思っています。


かわむー
かわむー

田宮さんがおっしゃるとおり、セラピストの発言ひとつで方針が変わることはあるかと思うので、「貢献と責任はセットで考えることが大事」というのはよく分かります。

立場的にも責任やプレッシャーがたくさんある中、それさえも楽しみながらリハビリテーションに真摯に向き合い続ける田宮さんの姿がとても印象的でした。

リハノワはこれからも、田宮さんのご活躍を心から応援しております。

本日は、貴重なお話をお聞かせいただきありがとうございました。





撮影:松原亮太


以上、今回は武蔵ヶ丘病院で働く理学療法士の田宮史章さんを紹介させていただきました。

一人でも多くの方に、田宮さんの素敵な想いと魅力がお届けできれば幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

今後ともリハノワをよろしくお願いいたします!


かわむーでした。

この取材は、御本人から同意を得て行なっています。本投稿に使用されている写真の転載は固くお断りいたしますので、何卒宜しくお願い申し上げます。

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