ウクライナの戦場で活躍する理学療法士|国境なき医師団フィジオマネージャー・山崎陽平さん【あなたの知らないリハビリの世界】

みなさんこんにちは、リハノワのかわむーです!

今回は、ウクライナで国境なき医師団のフィジオマネージャーとして活躍する、理学療法士の山崎陽平さんを取材しました。

本記事では、山崎さんが国境なき医師団で活動することになったきっかけや、現在の活動に対する想いについて紹介します。

※国境なき医師団のリハビリテーションに関する情報はこちらの記事で紹介しています

理学療法士・山崎陽平さん

◆ 山崎陽平(やまざき・ようへい)さん
1991年生まれ、千葉県出身。2013年に理学療法士免許を取得後、亀田総合病院に就職。2016年よりフロリダで語学留学をおこない、帰国後、整形外科のクリニックや訪問看護ステーションでリハビリ業務に従事した。2023年8月より、国境なき医師団のフィジオプロジェクトでウクライナに派遣。現在は、ウクライナ南中部エリアのフィジオマネージャーとして、戦争傷病者に対する早期リハの拡充や他職種連携、理学療法の底上げ等に従事している。


かわむー
かわむー

現在、ウクライナで国境なき医師団のフィジオマネージャーとして活躍されている山崎さんですが、もともと理学療法士を目指したきっかけや、海外での支援活動に興味を持つようになったきっかけは何だったのでしょうか。


山崎さん
山崎さん

理学療法士を目指したのは、高校時代に足首を捻挫して整形外科のクリニックに通ったのがきっかけです。スポーツ領域で活躍する理学療法士に憧れを抱き、リハビリテーションの道に進みました。

海外支援に興味を持ったのは大学2年生のときです。春休みの1ヵ月をつかって、カンボジア、ベトナム、タイ、ラオスの5ヵ国をバックパックひとつで旅しました。それまでもアメリカでのホームステイの経験があったので、ひとりで海外に行くことには抵抗はありませんでした。

行きと帰りの航空券のみ握りしめ、その日の宿はその日に決める、そんな日々を過ごしました。旅行中、タイの遺跡で脱水で動けなくなり、命の危険を感じるというハプニングもありましたが、それ以上に強く印象に残ったのが、カンボジアでした。

カンボジアでは、内戦による影響で手足を失った方が、物乞いをしているのを目の当たりにしました。当時、大学でリハビリテーションについて学んでいた私にとって、その光景は信じがたいものでした。

「この国にはリハビリテーションという概念がないんだ」「障害があるから物乞いをするしか生きる術がない、というのは社会問題なのではないか」、私は学生ながらにいろいろと考えました。そして、将来は海外支援に携わろうと胸に誓ったのでした。

その頃から、「全ての人にリハビリテーションという選択肢を」というのが、私のなかで大きなテーマになっていたと思います。


かわむー
かわむー

ひとりでバックパッカーで旅をするなんて、とってもカッコいいですね。そして、理学療法士として成し遂げたい壮大なミッションが学生のうちに見つかるなんて、本当に素晴らしいことだと思います。

免許取得後の歩みについても教えてください。


山崎さん
山崎さん

海外支援に興味はもっていたものの、まずは日本のリハビリテーションについて幅広く学びたいと考え、千葉県にある亀田メディカルセンターに就職しました。

ここには、数ヶ月ごとにさまざまな現場をローテーションして学べる環境があります。3年半ほど勤務したなかで、外来、リハビリ病院、二次救急病院、総合病院(三次救急病院)と本当にたくさんの現場を経験させてもらいました。

その後、「全ての人にリハビリテーションという選択肢を」というミッションの実現に向かい、世界のトップレベルを知りたいと思った私は、日本よりも理学療法の歴史の深いアメリカに渡ることを決意しました。アメリカの理学療法士は開業権を持っており、卒業後すぐに開業できる理学療法士を育成するために、その教育レベルも高いことで有名です。

アメリカには、Doctor of Physical Therapy(DPT)といわれる理学療法士の博士教育課程があり、いまではこれがアメリカの理学療法士養成教育の主流となっています。私がやりたいことの規模感を考えると、「少しでも早く自分が世界のスタンダードになって、発展途上国でシステム作りをしなければならない」という少し焦る気持ちもあったので、2016年8月に病院を退職し、9月に渡米しました。

DPTに通うためにまずは語学力を上げる必要があり、フロリダ州にある大学の外国人プログラムで語学の勉強に励みました。しかし、高額な学費に加えて、アメリカでの生活は予想以上に出費が多く、3年間の病院勤務で貯めたお金はわずか1年で底をつきました。費用面の問題から、帰国を余儀なくされました。

帰国後は、海外への想いを抱きつつ、語学の勉強を続けました。そして、可能な限り幅広い疾患と横軸も知りたいと思い、整形外科のクリニックや訪問看護ステーションなどさまざまな現場で働きました。

介護保険領域の知識が増え、また、理学療法士の専門領域を多くの方へ説明する機会が増えたことで、自身のリハビリテーションに関する理解も深まりました。


国境なき医師団へ

かわむー
かわむー

2020年の初頭からはCOVID-19が流行し、海外渡航が難しくなった時期もありましたが、今回、国境なき医師団に応募されたきっかけや、派遣までの流れなどについても教えてもらってよろしいでしょうか。


山崎さん
山崎さん

2023年2月にたまたまX(旧Twitter)で情報が流れてきて、国境なき医師団が理学療法士を募集していることを知りました。

翌月(3月)からウクライナに行ける人を募集していたのですが、出発まではほとんど時間のない状況です。募集要件の経験年数、英語が話せる、いますぐ動ける人というところから、「自分しかいない!」と直感的に思った私は、すぐに応募することにしました。後から冷静に考えるとそんなことはないのですが、この時は居ても立っても居られなかったのでした。

まずは日本の事務局に連絡をして、すぐに英文の履歴書を提出。数日後に事務局の方から電話がきて、本人確認や今回の活動内容、ポジション、家族や仕事の関係で本当に行けるのかどうかという確認など、英語で30分程度お話ししました。

数日後に記述問題をはじめとしたインターネットでの語学試験、さらに2週間後に最終面接をオンラインで受けました。面接では、面接官の方2名と2時間はお話したと思います。

無事試験をパスしますが、さまざまな状況から3月の出発出発が自分に当たることはなく、別のオファーをそわそわしながら待機していた7月下旬、再度事務局より連絡があり、8月25日にウクライナに向けて出発することが決まりました。

出発までの1ヵ月は、たくさんの予防接種や書類作業をおこないました。


出発1週間前の山崎さん

ウクライナへ向けて出発

かわむー
かわむー

8月25日に日本を出発し、どのような経路でウクライナの活動拠点まで向かわれたのですか?現地に到着して感じたことなどもあれば合わせて教えてください。


山崎さん
山崎さん

8月25日に成田空港を出発し、まずはウクライナの隣の国であるスロバキアに入りました。事務局の方にいわれたホテルで一晩を過ごし、翌朝、日本で使用しているスマホからWhatsAppを使ってタクシーを手配。予約通り9時に迎えにきてくれたタクシーに乗り込み、ウクライナのウージュホロドに向かいました。国境を超える手続きはタクシーの運転手さんがサポートしてくれました。私と同じように現地入りする外国人が多いようで、手続きには慣れていました。

2時間ほどでウージュホロドに到着。指定された場所へ行くと、ウクライナで使用できるスマートフォンと当座必要な現金が支給され、今後の活動について簡単な説明をうけました。

その後は、ウクライナの首都キーウに向かうため、夜行列車に乗りました。移動は、攻撃を回避し安全性を確保するため、基本的には陸移動となります。


山崎さんが中継したポイント
キーウ行の夜行列車(ご本人より写真提供)
夜行列車の車内(ご本人より写真提供)
キーウへの移動には12時間かかった(ご本人より写真提供)


山崎さん
山崎さん

8月30日の午前8時22分、キーウに到着。12時間電車に揺られながら、キーウはどのような状況なのかと考えていました。道端にはいろんな人がいて、悲壮感にあふれていて、貧困で、経済パニックを起こしていて…。さまざまな状況が頭をよぎります。

駅の改札を抜けて最初に目にとまったのは、マクドナルドの看板でした。

キーウに着いて最初の印象は、「自分が想像していたよりも戦争感は少ない」ということです。前線からは少し離れているため、子どもや若い女性も普通に道を歩いており、想像していたよりも平穏でした。

その後、国境なき医師団の事務所へいって手続きをしました。そこで初めて、国境なき医師団のメンバーとリアルで会いました。面接からこれまで、すべてオンラインでのやり取りだったので、少し安心しました。

翌日、私の活動拠点となるクロピウニツキーという町に向かいました。キーウからさらに南に5〜6時間、電車で移動しました。

現在は、週の4〜5日はクロピウニツキーに滞在し、週の2〜3日はさらに南に2時間移動したミコライウやヘルソンという危険地域で活動をしています。


ミサイルにより破壊された建物(ご本人より写真提供)

戦地におけるリハビリの現状

かわむー
かわむー

国境に近いミコライウやヘルソンは、爆弾も落ちる危険地域です。そんな緊張感のある現場での活動は、想像を絶するほどの恐怖がついて回るかと思います。

現在、山崎さんは主に病院をまわり、戦争傷病者に対する早期リハビリテーションの拡充や理学療法の底上げ、症例の個別相談、他職種連携の推進などを行われているですが、活動する中で苦労することや大変なことなどがあれば教えてください。

(活動内容に関する情報はこちらの記事にまとめています)


山崎さん
山崎さん

体力、知力、精神力が、これまでの人生の中で一番試されていることを実感しています。

まず体力は、移動時間が長くて消耗されやすいため結構大変です。夜や週末はしっかりと休息をとり、体力を回復させる必要があります。

知力は、「言語の壁」が深刻です。現地の人はウクライナ語なので、活動中は通訳の方と一緒に行動しているのですが、英語の聞き間違えや伝え方にミスがないように細心の注意を払っています。また、チームメンバー4人の国籍は、デンマーク、チリ、フィリピン、日本と全員違います。日本でいう「阿吽の呼吸」がないため、ひとつずつ丁寧に確認する必要があります。さらに、兵士と接することもありますが、PTSDなど心に傷を負っている場合も多く、コミュニケーションには気をつけています。

その他、マクロとミクロのことを同時進行しなければいけないのも大変です。関節のモビライゼーションなどテクニカルなことを指導したかと思えば、病院のリハビリの管理業務に関するサポートなど、幅広く対応しなければなりません。

精神力は、「戦争下」というなかなか経験することがない状態で活動するので、とても鍛えられます。人道支援業界1年目という全てのことが初めての中、いかにパフォーマンスを発揮できるか試されます。これまでとはまったく違う、別の業界にきているような感覚です。

活動の中で悩ましいのは、日本とは制度や文化、歴史など背景がまったく異なる中で、どこまで私の知っている理学療法やリハビリテーションを伝えていいのかというところです。活動開始して3ヵ月では、まだそのあたりがうまく調整できていない状況です。


かわむー
かわむー

医療現場でスピーディに物事を動かそうとするとき、各所との合意形成や交渉など、戦略的に進めていく必要がでてくるかと思います。日本でも大変なのに、それを海外の現場で実践されている山崎さん、本当に素晴らしいです。

活動するなかで、山崎さんがやりがいを感じたエピソードや嬉しかったことがあれば教えてください。


山崎さん
山崎さん

直接私が治療をしているわけではないので、日本で活動しているときのような「患者さんの回復に関われた」という専門職としてのやりがいは少ないかもしれません。しかし、私がベッドサイドに会いに行ったことで、「元気になったよ」と言われた時は嬉しいです。

戦争傷病者を対象としているため、関わる患者さんは精神面で悩みを抱える方がたくさんいらっしゃいます。「日本からはるばる来た」ということが、現地の人々にとって希望やモチベーションになるようです。

私自身、まだ3ヵ月しか活動していないので、今はとりあえず目の前のタスクをこなすことに一生懸命になっているのが正直なところです。国境なき医師団としては、制度上は活動の途中でも帰任を申し出ることが可能ですが、まだまだ出来ることがあると信じ、今日も目の前の方々に真正面から向き合っています。


ミコライウのオフィスにて(ご本人より写真提供)
チームメンバー(ご本人より写真提供)

Think Globally, Act Locally

かわむー
かわむー

最後に、残りの活動期間での意気込みや、この記事を読んでいる日本の方々へメッセージがあればお願いします。


山崎さん
山崎さん

日本の医療は、世界的にみてもトップレベルだと思います。その中で「なぜ海外にいくのか?」と思う人もいるかもしれませんが、私は、「世界を知ることで日本のことがより見えてくる」と考えています。

日本の医療やリハビリ業界には問題が山積しています。それらの問題の解像度を上げ、解決策を思案するとき、世界や他国と比較することで見えてくるものは必ずあります。

10年以上前から掲げている、「全ての人にリハビリテーションという選択肢を」というミッションは、いま、少しずつ進められている実感があります。ウクライナの戦地という現場で私が経験していること、見ている世界について、日本に帰ったらいろんな人と議論したいです。

国境なき医師団は緊急事態に対応する医療援助団体であるため、今回のフィジオプロジェクトは試行錯誤しながらすすめている状況でした。私の活動によって理学療法士の存在が価値あるものと感じてもらえるように、残りの任務期間を精一杯頑張りたいと思います。

私より若い世代の方々には、ぜひ世界にも目を向けながら、リーダーシップをもって日本の医療・リハビリテーションを牽引してもらいたいです。

リハビリ専門職としての治療家マインドも大切な一方で、医療業界ひいては社会全体を見ながら、いかに主体性をもって行動し続けることができるか、今後はそこが重要になってくると考えます。


かわむー
かわむー

山崎さんのお話を伺いながら、「Think Globally, Act Locally(地球規模で考え、足元から行動せよ)」という言葉を思い出しました。

私も取材を通してさまざま現場に入らせてもらっていますが、現場の生の声を聞き、現状を知ることは本当に大切なことだと実感しています。アジアやアメリカ、戦地での経験を有する山崎さんが、日本に戻り改めて感じること、そしてこれからの活動についてもまた改めてお話を伺ってみたいと感じました。

危険なミッションも多いかと思いますので、どうかご無事で、お体に気をつけて活動を続けてください。また元気で日本でお会いできる日を楽しみにしています。

本日は貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。



かわむー
かわむー

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国境なき医師団 理学療法プロジェクトの紹介記事

ぜひ合わせて御覧ください。



撮影:山崎陽平、ひろし


以上、今回は国境なき医師団のフィジオマネージャーとしてウクライナで活躍する、理学療法士の山崎陽平さんを紹介させていただきました。

戦場でのリハビリテーションの実際と、そこで真摯に向き合い続けるセラピストがいることを一人でも多くの方に知っていただけると幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

今後ともリハノワをよろしくお願いいたします!


かわむーでした。

この取材は、御本人および団体から同意を得て行なっています。本投稿に使用されている写真の転載は固くお断りいたしますので、何卒宜しくお願い申し上げます。

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