パラスポーツを通して切り拓く新たな道|リハビリテーション科専門医・大野洋平さん

みなさんこんにちは、リハノワのかわむーです!

今回は、岡山大学病院の総合内科・総合診療科でパラアスリートヘルスケア外来を担当している、リハビリテーション科専門医の大野洋平さんを取材しました。

本記事では、大野さんがパラスポーツに興味をもったきっかけや現在の活動、リハビリテーションやパラスポーツに対する熱い想いを紹介します。

医師・大野洋平さん

◆大野 洋平(おおの・ようへい)さん
1988年生まれ、岡山県玉野市出身。2014年に福岡大学医学部卒業後、岡山大学病院での初期研修を経て、練馬光が丘病院総合診療科で後期研修。2017年に一般社団法人日本肢体不自由者卓球協会チームドクターに就任。2018年から東京大学医学部附属病院リハビリテーション科の研修プログラムを開始し、国立病院機構東京病院や国立障害者リハビリテーションセンター病院などで勤務した。2020年に日本パラスポーツ協会公認パラスポーツ医、2021年にリハビリテーション科専門医を取得。2023年4月に岡山大学学術研究院医歯薬学域(医)瀬戸内(まるがめ)総合診療医学講座の助教に着任。2024年5月より岡山大学学術研究院医歯薬学域(医)岡山県南東部(玉野)総合診療医学講座助教。


かわむー
かわむー

リハビリテーション科医、パラスポーツ医、そして総合診療医として幅広い領域で活躍されている大野さんですが、もともと医師を目指したきっかけは何だったのでしょうか。


大野さん
大野さん

私が医師を目指したきっかけは、幼少期の家庭環境にあります。私の両親は共に医師であり、幼少期から医療の現場や人々を支援する姿を身近に見て育ちました。そんな中で、自然と医師という職業に惹かれるようになります。

高校卒業後は福岡大学医学部に進学し、勉学と卓球に励む日々を送りました。卒業後は地元の岡山に戻り、岡山大学病院で初期研修医として働きました。

初期研修開始後は、両親も専門としている眼科医の道を勧められましたが、大学1年生の時にクローン病(主に小腸や大腸などの粘膜に慢性的な炎症を引き起こす病気)と診断され、入院治療を経験したことがきっかけとなり、総合診療の道に進むことを決意しました。

私は、クローン病と診断されるまでに約6年かかったのですが、この経験を機に、的確に診断するための診療能力を磨きたいと思うようになったのです。また、全身を幅広く診られるというのにも魅力を感じ、総合診療科が最適な環境だと考えました。


後期研修先には、初期研修中にもお世話になった練馬光が丘病院総合診療科を選びました。


パラスポーツとの出会い

かわむー
かわむー

総合診療医の道を歩みはじめた大野さんですが、パラスポーツやリハビリテーションに興味をもったきっかけは何だったのですか?


大野さん
大野さん

私は高校1年生の頃に卓球をはじめて以来、高校、大学と部活動に所属しながら卓球を続けてきました。パラスポーツに興味をもつようになったのも、卓球がきっかけです。

パラスポーツ選手と初めて会ったのは、中学生の時でした。それは、現在わたしが担当するパラアスリートヘルスケア外来に通われている、卓球プレイヤーの岡紀彦さんです。

岡さんが学校に講演に来てくださった際に、私が全校生徒を代表して、卓球の試合をさせてもらったのです。1000人ほどの観客がいたため緊張でほとんど覚えていませんが、とても貴重な経験でした。


卓球プレイヤーの岡紀彦さん(右)と大野さん。岡さんは、日本初の障害者プロ卓球選手として、1988年から2012年まで25年間連続で日本一の座に君臨。また、シドニー、アテネ、北京パラリンピックに出場し、卓越した技術と精神力で日本パラ卓球界を牽引してきたレジェンド(詳しくはこちらの記事をご覧ください)
大野さんが高校1年生の時に、岡さんと試合をする貴重な映像を見せていただいた。


大野さん
大野さん

その後は医学生の時にも、たまたま街の卓球場でパラ卓球の日本代表選手と出会いました。その方は両足が不自由なのですが、普段から健常者に混ざって練習しており、私も一緒に練習や試合をさせてもらうようになりました。

初期研修医になって間もない頃、その方の誘いでパラ卓球の試合を初めて観に行きました。そこでチームドクターとしてクラス分けをしている医師に出会い、日本肢体不自由者卓球協会の存在を知ることになります。

その後もパラ卓球の現場に足を運び続け、2017年からは私もチームドクターとして日本代表選手のメディカルサポートやクラス分けなどのお仕事をさせていただくようになりました。


かわむー
かわむー

実際に当時の映像を拝見しましたが、高校生だった大野さんとプロ卓球選手の岡さんが、20年の時を経て、今はまた違った立場で再会している姿に深い感慨を覚えました。貴重な映像をありがとうございます!


リハビリテーション科医の道

かわむー
かわむー

総合診療医の後期研修修了後にリハビリテーション科に転身されたのは、パラ卓球がきっかけだったのでしょうか?


大野さん
大野さん

そうですね。当初は「卓球が好き」という気持ちが原動力となって始めたチームドクターという仕事でしたが、チームドクターとしてパラ卓球に関わるなかで、選手が持つ麻痺や骨の障害などをもっと深く理解したいと思うようになり、リハビリテーション科の専門研修とパラスポーツ医の資格取得を決意しました。

また、総合診療科では誤嚥性肺炎や脳梗塞などで身体機能が低下する患者さんを多く診療し、どのようにしたら身体機能を維持・改善させることができるかや、嚥下機能や高次脳機能をどのように評価するか、といったことにも興味を持ちました。

そこで、総合診療科の後期研修後、東京大学医学部附属病院のリハビリテーション科で研修プログラムを開始しました。


かわむー
かわむー

日本リハビリテーション医学会では、「活動を育む医学」をスローガンに掲げています。全人的に人間を捉え、特定の臓器や疾患に限定せず、多角的に診療を行う総合診療とは少しだけ似たところもあるかもしれませんが、実際にリハビリテーション科で研修をしてみていかがでしたか?

リハビリテーションでは「生活機能」や「活動」にフォーカスするので、一般的な医学との違いを感じられたかもしれません。印象に残っていることもあれば、ぜひ教えてください。


大野さん
大野さん

リハビリテーション科での研修中は、国立病院機構東京病院や国立障害者リハビリテーションセンター病院等で働きました。

急性期病棟では、主科からリハビリテーション依頼を受けて診察やリハビリテーションを処方しますが、2週間程度しか見れないため、退院後や転院後の患者さんの様子が気になりました。

回復期リハビリテーション病棟では、治療がリハビリテーション中心の患者さんの内科的管理や退院調整を行いました。患者さんに長期で付き添えるのは良かったです。また国立障害者リハビリテーションセンターには「リハ体育」というものがあり、隣接する体育館にある卓球台を使って、脊髄損傷や切断の患者さんや体育の先生と一緒に卓球をしたこともありました。

そのとき私が関わったことがきっかけで、現在、パラ卓球選手として活躍している選手やパラスポーツを始めた方もいます。スポーツを含めて、障害を負った後にこれまでとは別の社会的役割を模索することで、患者さんの社会復帰をサポートできることに喜びを感じました。

リハビリテーションを通じて、再び社会で活躍する姿を見れることが、私のやりがいとなっています。

パラ卓球を軸とした新たな挑戦

かわむー
かわむー

リハビリテーション科での経験も活かし、2023年9月からは地元の岡山大学病院でパラアスリートヘルスケア外来を担当されている大野さんですが、この外来を立ち上げようと思ったきっかけは何だったのでしょうか。


大野さん
大野さん

東京大学医学部附属病院や国立障害者リハビリテーションセンター病院には、パラアスリートを対象とした「メディカルチェック外来」があり、さまざまな競技の選手を診察していました。その中で、パラアスリートに特化した専門外来の必要性を強く感じるようになりました。

また、基礎的なリハビリテーションを終えた次のステップとして、「パラスポーツをやってみたい!」という方が多くいらっしゃったことから、そのような方を継続的にサポートする場の必要性も感じました。

総合国際大会に出場するパラアスリート(強化指定選手)は、年に1回、メディカルチェック(健康診断)を受けて、日本パラスポーツ協会が指定する診断書を作成することが義務付けられています。

現在、日本パラスポーツ協会のメディカルチェックに対応している医療機関は全国に56カ所ありますが、中四国地域は鳥取県内に2カ所のみという状況でした。地元である岡山に帰ったのを機に、これまでパラスポーツに関わってきた経験を活かしながら、さまざまな選手のメディカルチェックやドーピング対策、健康管理などに関わってみたいと考えました。

「パラアスリートヘルスケア外来を作りたい」と、総合内科・総合診療科の大塚文男科⻑に提案したところ、背中を押していただき、2023年9月より週に1回の専門外来がスタートしました。



かわむー
かわむー

中国四国地方にはそんなに少ないのですね。岡山大学病院はアクセスも良いですし、多くのパラスポーツ選手に知ってもらいたいと感じました。

大野さんが現在かかわられている、パラスポーツ領域での活動について教えてください。


大野さん
大野さん

2020年に日本パラスポーツ協会公認パラスポーツ医を取得し、現在は、主に日本肢体不自由者卓球協会のチームドクター・医科学委員長として活動しています。東京パラリンピックでは救護医として、海外選手も含めたさまざまな選手のサポートを行いました。

現在は2024年のパリパラリンピックに向けて、パラ卓球の代表選手選考や強化指定選手の健康診断、ドーピング関係の使用薬剤のチェックなどを行っています。

強化指定選手の強化活動は関東が中心なので、私は主に関東にいる日本肢体不自由者卓球協会所属の理学療法士や作業療法士、他のチームドクターなどと連携しながら、オンラインも併用した活動をすすめています。

諦めなくていい社会へ

かわむー
かわむー

最後に、大野さんが考えるパラスポーツの魅力と、今後挑戦したいことがあれば教えてください。


大野さん
大野さん

パラスポーツの魅力はたくさんありますが、ひとつは、障害によって生じる「身体機能の低下」や、気分の落ち込みといった「精神面の低下」を予防・改善できることです。

また、義足や装具など代替手段を上手に活用することで、健常者と同等またはそれを上回るようなパフォーマンスを発揮することができるので、非常に可能性に溢れていると思います。健常者と障害者が一緒になってスポーツを楽しめることも、大きな魅力です。

今後は、日本肢体不自由者卓球協会のチームドクターとして、他の医療職や強化スタッフとも連携し協会会員や日本代表選手が卓球を楽しみ、活躍できるよう貢献していきたいと思います。

また、私個人としては、パラ卓球の国際クラス分け資格である国際クラシファイアーを取得したいです。国際クラシファイアーを取得するためには3回の国際セミナーの受講が必要で、私は中国で1回目、イタリアで2回目のセミナーを受講しました。あと1回受講して国際クラシファイアーを取得し、学んだことを日本国内の大会や日本代表選手に還元していきたいです。

パラアスリートヘルスケア外来としては、世界レベルや全国レベルの選手から、これからパラスポーツを始めてみたいという方まで幅広く関わっていきたいと考えています。

その中で、障害や持病があるからスポーツを諦めるのではなく、工夫次第で安全にスポーツに取り組めること、そしてスポーツの楽しさを伝えていくことで、パラスポーツに取り組む人をもっと増やしていきたいと思っています。



かわむー
かわむー

大野さんのお話を通して、パラスポーツの魅力がとてもよく伝わりました。パラスポーツをすでにやっている人もこれからはじめる人も、医療的介入が加わることによって、より長く、健康的にスポーツを続けられることがあるかと思うので、ぜひ、専門外来の存在を多くの方に知ってもらいたいと思いました。

リハノワはこれからも、パラスポーツの世界を通してリハビリテーションに向き合い続ける大野さんを心から応援しています!

本日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。



かわむー
かわむー

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パラアスリートヘルスケア外来
パラ卓球のプロ選手・岡紀彦さん

<SNS>
公式Instagram:パラアスリートヘルスケア外来

ぜひ合わせてご覧ください。


撮影:山本夏希


以上、今回は岡山大学病院の総合内科・総合診療科でパラアスリートヘルスケア外来を担当している医師の大野洋平さんを紹介させていただきました。

ひとりでも多くの方に、大野さんの素敵な想いと魅力がお届けできれば幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

今後ともリハノワをよろしくお願いいたします!


かわむーでした。

この取材は、本人から同意を得て行なっています。本投稿に使用されている写真の転載は固くお断りいたしますので、何卒宜しくお願い申し上げます。

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