みなさんこんにちは、リハノワのかわむーです。
今回は、車いす陸上競技と車いすラグビーに挑戦するパラアスリート・西村柚菜さんにお話を伺いました。
大学時代の事故をきっかけに、突然車いすでの生活となった西村さん。リハビリの日々のなかでパラスポーツと出会い、現在は世界を視野に入れて挑戦を続けています。
この記事では、西村さんの歩みや競技への思い、そしてリハビリに励む方へのメッセージをご紹介します。
本取材は、横浜ラポールのみなさまにご協力をいただき実施しました。
サッカーとともに歩んだ16年

◆ 西村 柚菜(にしむら・ゆうな)さん
2002年8月23日生まれ。静岡県伊東市出身。
幼少期からサッカーに打ち込み、大学でも競技を続けていたが、2022年6月、大学2年生のときの事故により外傷性脊髄梗塞を発症し、車いすでの生活となる。2023年に車いす陸上競技を開始。2025年からは車いす陸上競技に加え、車いすラグビーにも挑戦しながら、「世界で戦い続けられる選手」をめざして競技に取り組んでいる。

現在はパラアスリートとして活躍されている西村さんですが、スポーツはいつ頃から始められたのでしょうか。どのような競技に取り組まれていたのかも教えてください。

私は怪我をするまでの16年間、ずっとサッカーに打ち込んできました。
サッカーを始めたのは4歳の頃です。通っていた幼稚園にサッカースクールが来ていて、親の迎えを待つあいだに参加したのがきっかけでした。
小学生になると、男の子たちに混ざって本格的な練習が始まりました。週に2〜3回、夕方から夜までグラウンドで練習する日々を送り、中学からは地元の伊東から沼津のクラブチームに移り、競技を続けました。
高校はサッカーの強豪校である磐田東高等学校へ進学し、寮生活を送りながら、サッカー漬けの毎日を過ごしました。
将来はサッカーに関わる仕事、とくに「指導者になりたい」という思いをもち、高校卒業後は、サッカーを続けながら保健体育の教員免許を取得できる関東の大学へ進学しました。


突然の事故、脊髄梗塞の診断

サッカー漬けの日々を送っていらっしゃった西村さんですが、大学時代に大きな怪我を経験されたと伺いました。当時のことについて、差し支えない範囲でお聞かせいただけますか。

怪我をしたのは、2022年6月、大学2年生のときです。器械運動の授業中に、首から転落してしまいました。
ただ、そのときはそこまで深刻なものだとは思っていませんでした。正直「いた〜」くらいの感覚で、すぐに起き上がり、そのあとの部活にも参加したんです。でも、走っている途中になぜか転んでしまう。いま思えば、そのときから症状は出ていたのだと思います。
それから10日ほど経った頃、歩くのもやっとという状態になりました。膝がガクガクと崩れて、自転車にも乗れない。「さすがにおかしい」と思い、近くの医療機関を受診しましたが、原因は分からず大学病院を紹介されました。
予約は少し先だったので、家で安静にしていた矢先のことです。朝目が覚めると、首から下がまったく動かなくなっていました。
ちょうど友人が家に来てくれたので、一緒に近くの医療機関へ向かい、そこへ伊東から駆けつけてくれた母も合流しました。
車に乗るのも大変で、母におんぶするように支えてもらいながら移動したのを覚えています。病院の車いすに座っても体幹が保てず、ずっと支えてもらっていました。
診察では「検査入院が必要」と言われましたが、その病院は実家から遠かったため、翌日、実家から通える大学病院を受診することになりました。


翌日、最初は脳神経内科で診てもらいましたが、問診の途中で「これは整形の領域だ」となり、たまたま外来にいた脊椎外科の先生に診てもらうことになりました。そこで初めて、「外傷性の脊髄梗塞」という診断がついたんです。
手術ではなく保存治療だったため、一度自宅に戻り、心を落ち着かせる時間をもらいました。
1週間後に入院し、検査とリハビリが始まりました。ベッドから起き上がって車いすに移る練習や、血圧を確認しながら立つ練習などに取り組みました。
そして2週間後、リハビリに専念するため、伊東市にある中伊豆リハビリテーションセンターへ転院することになりました。

回復期病院での日々とリハビリ

中伊豆リハビリテーションセンターでのリハビリは、どのように進んでいったのでしょうか。

中伊豆リハビリテーションセンターでは、作業療法(OT)と理学療法(PT)の両方に取り組んでいました。
指先にも障害があったため、OTではお手玉をつかむ練習から始まり、筆記やパソコンのタイピングなど、手の細かな動きを少しずつ練習していきました。
PTでは、「どこへでも自分で移れるようになりましょう」と言っていただき、車いすの操作や移乗動作を中心に練習しました。
また、私の障害は珍しいケースだったこともあり、「もしかしたら歩ける可能性があるかもしれない」と言われ、長下肢装具をつけて立つ練習や、ロボットスーツHAL®、免荷装置を使った歩行練習にも取り組みました。
さらに退院の1ヵ月半ほど前からは、自動車運転のリハビリも始めました。復学後に車で通学できるよう、車いすの積み込みや車への移乗、運転動作の練習を行い、ハンドルやアクセルの特殊装置をつけるなど自家用車の改造も行いました。
こうして約5ヵ月間、入院しながらリハビリに取り組みました。

突然の身体や環境の変化のなかで、5ヵ月間、本当に多くのリハビリに取り組まれたのですね。私自身も、幼少期から学生時代までテニスに打ち込んできたので、当時の西村さんの状況を思うと、さまざまな葛藤があったのではないかと感じました。
リハビリに取り組んでいた当時、西村さんはどのような気持ちで日々を過ごされていたのですか?

入院してすぐの頃は、正直また歩けるようになると思っていましたし、サッカーもできると信じていました。だから、そこまで深く落ち込むことはなかったんですよね。
当時は母と毎日電話をしていたのですが、電話越しでも母が泣いているのがわかりました。「お父さんとお母さんが落ち込む前に、私が早く立ち直らないと!」と、前を向こうとしていた気はします。
本当の予後を知らされたのは、退院の1ヵ月ほど前です。「車いすを作ろう」と言われたあたりから違和感を感じて、もう歩くのは難しいことを知りました。
いまでも障害を100%受け入れられているわけではありません。でも、当時は比較的早く気持ちを切り替えて、できることに目を向けていたと思います。
中伊豆のリハビリの先生方が、「行くよ!」と背中を押し続けてくれたことも大きかったと思います。考え込む時間もないくらい、リハビリに取り組んでいました。

困難な状況のなかでも、一歩一歩前へ進もうとされていた姿がとても印象的です。
復学も目指されていたと伺いましたが、退院後は大学に戻られたのですか?

2023年1月に退院し、その年の4月からの復学をめざして、2ヵ月ほど大学生活を再開しました。
ただ、試験の配慮などについて大学と相談を重ねる中で、制度上、難しい部分もあることが分かってきました。たとえば、カフなどの補助具の使用や、筆記に時間がかかることへの時間延長、パソコン入力での試験などについては、対応が難しい状況でした。そうした現実と向き合う中で、「このまま続けても卒業までは難しいかもしれない」と感じるようになりました。
さらに、サッカーもできない、体育教師になるための教育実習にも行けない。そう考えたとき、大学を退学するという選択肢が浮かびました。
最終的には、2024年の春に大学を退学。そして翌2025年の春、中伊豆リハビリテーションセンターに就職しました。現在は系列の自立訓練施設で、リハビリを終えて社会復帰を目指す方々のサポートに関わっています。

パラスポーツが拓いた新たな道

ここからは、現在取り組まれているパラスポーツについてお話を伺えればと思います。
西村さんがパラスポーツと出会い、「挑戦してみよう」と思われたきっかけについて、お聞かせいただけますか?

入院中に「もう歩くことは難しい」と聞いたときは驚きました。でも、いったん気持ちを整理して、「車いすでもできることって何だろう」と考えるようになったんです。ショックはありましたが、すぐにスマートフォンでいろいろと調べ始めました。
すると、SNSに車いすで生活している人たちの投稿がどんどんおすすめに出てくるようになったんです。障害の重い方も軽い方も、それぞれの形で挑戦している姿を見て「こんな世界があるんだ」と思いました。
そんな中で出会ったのが、パラスポーツでした。
パラアスリートの土田和歌子さんが、トライアスロンに挑戦している映像を見たときは衝撃でした。「えっ、泳いで走って…すごい!」と思い、そのとき担当の理学療法士さんに「私もやりたいです」と伝えました。
母にも話すと、すぐに「いいじゃない」と背中を押してくれました。
母は以前から、「リハビリはこれからも続いていくから、リハビリの延長としてパラスポーツに挑戦してみるのもいいんじゃない」と、よく電話で話してくれていたんです。

お母さまの言葉にも背中を押され、パラスポーツの世界へと興味をもたれていったのですね。
障害を負った直後は、スマートフォンで情報を調べる中で、かえってつらい気持ちになってしまうという話を聞くことも多いので、西村さんが新しい世界と出会い、前に進んでいくお話を伺えて、とてもうれしく感じました。


パラ陸上競技の情報にふれるうちに、「実際に会ってみたい」と思うようになりました。
ちょうど土田和歌子さんが出場されるジャパンパラ陸上競技大会が岐阜で開催されることを知り、「どうしても行きたい!」と両親にお願いして、退院後の2023年6月に連れて行ってもらったんです。
会場に行ってまず驚いたのは、その雰囲気でした。「車いすの人ってこんなにいるんだ」と思うくらい、たくさんの方が自然にその場にいて。しかもみなさん、とてもスピード感のある動きで、いきいきと自由に行動していて、「かっこいいな」と思いました。
土田さんの姿も遠くから見ることができて本当に興奮しましたし、インスタグラムで知っていた陸上選手の方が会場にいたので、思い切って「私も陸上やりたいです」と声をかけました。
すると、その方が障害者のスポーツを支援している施設「横浜ラポール」を教えてくださり、つながりを作ってくれたんです。


横浜ラポールは、県外に住んでいる人でも利用可能とのことでした。
翌月、私は早速ラポールを訪れ、人生で初めてレーサー(陸上競技用の車いす)に乗りました。
そして、乗り始めてからわずか3週間後、国立競技場での大会に出場することになったんです。
100mを走りきった瞬間、「まっすぐ走れた〜!」という感覚がとてもうれしかったのを覚えています。周りには有名な選手も多く、とても刺激的な経験でした。
その後、9月の関東の記録会でクラス分けを行い、10月の日本パラで正式にT52クラスに決まりました。そこから、本格的な挑戦がはじまりました。



世界で戦える選手をめざして

まずは大会に出るところからのスタートだったのですね。チャレンジ精神が本当に素晴らしいと感じました。
現在は、どのような練習やトレーニングに取り組まれているのですか? 目標の立て方についても、ぜひ教えてください。

いまは、自宅での自主練習と横浜ラポールでの練習を組み合わせながらトレーニングを続けています。
自宅では週に数回、ローラー(レーサーを固定して漕ぐトレーニング機器)を使った走行練習や、筋力トレーニングを行っています。
横浜ラポールには月に2回ほど通っています。ラポールでは、まず20分ほどのビルドアップから始めます。ローラーでは時速15〜20kmほどで漕ぎますが、屋外では24〜25km、速いときは27〜28kmほど出ることもあります。風や路面の状況によっても変わるので、その日の感覚を大切にしながら調整しています。
その後はスピード練習を行います。出場する大会が短距離か長距離かによってメニューを変えていて、短距離のときはスタートダッシュ、長距離のときは施設周囲を10kmほど走ることもあります。



目標は、目の前の大会を一つひとつ見ながら立てています。横浜ラポールの指導員・徳山さんから「この大会出てみない?」と声をかけていただくことも多く、そのたびに新しい挑戦をしてきました。
最初は100mから始まりましたが、400m、10km、ハーフマラソンと、少しずつ種目も広がっています。
大会ごとに目標を立てながら、少しずつ自分の可能性を広げています。






パラ陸上競技の世界に飛び込んでから、西村さんは目覚ましい活躍を続けています。
2024年には日本パラ陸上選手権大会で100mの日本記録を更新。さらにジャパンパラ陸上競技大会ではT52クラスの100m・400m・800mで優勝し、400mでは日本記録も樹立されました。続く大会でも記録を更新し、三冠を達成。さらに12月には大分国際車いすマラソンに初出場し、T33/52クラスで優勝、新人賞も受賞されています。
まさに素晴らしいご活躍ですね。
そして2025年にはいってからは、陸上競技に加えて新たに「車いすラグビー」にも挑戦されていると伺いました。ラグビーに取り組むようになったきっかけや、現在の活動についてもぜひ教えてください。

パラ陸上競技では、記録を出していても、なかなか世界大会に出場するチャンスがないという現実がありました。
一方で、車いすラグビーはパラスポーツの中でも注目されている競技で、パリパラリンピックでは日本が金メダルを獲得しました。試合はとても激しくて、「マーダーボール」と呼ばれることもあるくらい、本当に迫力のあるスポーツです。
それでも男女が一緒にプレーできる競技でもありますし、「自分の障害でも挑戦できるかもしれない」と思いました。
車いすバスケも考えたのですが、私の場合はクラス分けの関係でツインバスケになる可能性が高く、そうなると世界大会への道が限られてしまいます。どうせ挑戦するなら「世界で戦えるスポーツに取り組みたい」と思い、ラグビーに挑戦することを決めました。
現在所属しているのは、東京にある結成2年目のチームです。練習は週に2〜3回ほど。火・水・木は仕事があるため、それ以外の日は東京に滞在して練習に取り組んでいます。



世界をめざして挑戦を続けていらっしゃる姿、本当にかっこいいですね。
今後の目標や、これから挑戦してみたいことについてもぜひお聞かせください。

陸上競技もラグビーも、私の一番の目標は「世界と戦い続けられる選手になること」です。パラリンピック出場だけをゴールにするのではなく、その先も長く世界の舞台で挑戦を続けていきたいと思っています。
まずは自分自身がいろいろなことに挑戦しながら、自分の可能性を広げていくこと。そしてその経験を通して、同じようにリハビリに取り組んでいる方に、自分の目線で伝えられることや、応援できることがあればうれしいなと思っています。
将来は、リハビリでお世話になった経験を活かして、セラピストとして関わることもできたらいいなと思っています。車いすでも言語聴覚士として働くことはできるのではないかと考えていて、今はまだ憧れですが、そんな未来も思い描いています。

いまリハビリに励む方へ

最後に、いまリハビリに励んでいる方や、これから新しい一歩を踏み出そうとしている方へ向けて、メッセージがあればお願いします。

私自身、パラスポーツに出会うまでは、同じような立場の人と交流する機会がほとんどなく、一人で抱え込んでしまうこともありました。
でも、少し視野を広げてみると、車いすで生活している方は本当にたくさんいました。障害の状態は一人ひとり違いますが、困ったときに相談できる仲間や先輩がいることは、とても心強いものだと感じています。
そうしたコミュニティや情報交換ができる環境があることを、もっと多くの方に知ってもらいたいと考えています。
障害を負っても、助けてくれる人はたくさんいる。最初はうまくいかないこともあると思いますが、挑戦して、失敗して、また挑戦して、そしてできたときの「やった!」という瞬間は、本当にうれしいものです。
「まずはやってみる」
「きっとなんとかなる」
そんな気持ちで、一歩を踏み出してみてほしいなと思います。

西村さん、あたたかくも力強いメッセージをありがとうございました。
西村さんの言葉は、いま悩んだり迷ったりしている誰かの背中を、そっと押してくれたのではないかと思います。私の胸にも、まっすぐ届いてきました。
リハノワはこれからも、世界を舞台に挑戦を続ける西村さんのご活躍を心から応援しています。
本日は貴重なお話をお聞かせいただき、本当にありがとうございました。
また、今回の取材にご協力くださった横浜ラポールのみなさま、お母さまにも、心より感謝申し上げます。


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・パラアスリート西村柚菜さん応援サイト(西村さんの最新情報はこちら)
・西村さんのInstagram
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・【リハノワ】中伊豆リハ・作業療法士 那須識徳さん
・【リハノワ】中伊豆リハでリハビリを受けられた池田さんの声
ぜひ合わせてご覧ください。

以上、今回は、車いす陸上競技と車いすラグビーに挑戦するパラアスリート・西村柚菜さんにお話を伺いました。
ひとりでも多くの方に、西村さんの素敵な想いと魅力がお届けできれば幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
今後ともリハノワをよろしくお願いいたします!
かわむーでした。

この取材は、ご本人様から同意を得て行なっています。本投稿に使用されている写真の転載は固くお断りいたしますので、何卒宜しくお願い申し上げます。
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※取材先や取材内容はリハノワ独自の基準で選定しています。リンク先の企業様と記事に直接の関わりはありません。



撮影=上垣内 寛
取材・文=河村由実子(かわむー)


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