みなさんこんにちは、リハノワのかわむーです!
今回は、東京都世田谷区にある世田谷記念病院の訪問リハビリをうけている、國重京子さんにお話を伺いました。
突然の発症から始まったリハビリの日々。思うように動かない身体と向き合いながらも、國重さんは「自分らしさ」を大切に、一歩ずつ前へと進んでこられました。
この記事では、発症からこれまでの歩みや、リハビリの中で見つけた“心の元気”の保ち方、そして、同じようにリハビリに励む方へのメッセージをご紹介します。
國重京子さんの歩み

◆ 國重 京子(くにしげ・きょうこ)さん
東京都出身。2023年6月29日、2度目の脳梗塞を発症し緊急入院。約ひと月の療養を経て、リハビリに専念するため世田谷記念病院へ転院した。約半年間の入院リハビリを終えて自宅へ戻り、現在は訪問リハビリを継続中。少しずつ外出の機会も増え、一歩ずつ、自分らしい日々を取り戻している。

現在は訪問リハビリで理学療法や作業療法などに取り組まれている國重さんですが、入院されることになった当時のことを、少し振り返って教えていただけますか?

2019年4月に1度目の脳梗塞を発症しました。その時は言語障害のみだったので、ひと月の入院で社会復帰しました。2度目は、2023年6月29日、自宅で突然倒れました。翌日には沖縄・西表島へダイビングに行く予定で、荷物を準備していたところでした。
前日に、一緒に行く予定だった佐賀の友人と電話をしていたのですが、途中で急に電話が切れてしまい何度かけ直してもつながらず、心配した友人が東京の共通のダイビングの友人を通じて妹に連絡してくれました。妹が駆けつけたとき、私は携帯を握ったまま倒れていたそうです。
中からカギがかかっていたので、いろいろ大変だったようです。すぐに救急車を呼んでくれましたが、当時はコロナ禍で救急車の受け入れ先が見つからず、ようやくたどり着いた病院で脳梗塞とコロナの診断を受けました。約ひと月はベッドの上で点滴治療を受けることになりました。
人生で初めてのおむつ生活にも慣れず、ごはんはほとんど食べられませんでした。思うように動けない自分が情けなく、排泄の時間が何よりつらかったのを覚えています。「もう人生終わった」と思った時期もありました。
そんなとき、作業療法士の方が「国重さん、もっとリハビリに力を入れている病院へ早いうちに転院したほうがいいと思いますよ」と声をかけてくださいました。その言葉に背中を押され、妹の夫婦に相談し、先生方にお願いして、世田谷記念病院への転院を決めました。

翌日からは旅行の予定だったのに、気づけばひと月ものあいだベッドの上で過ごすことに。きっと、想像もつかないほど不安で、つらい時間だったと思います。
世田谷記念病院へ転院されてからは、ようやく本格的なリハビリが始まったのですね。転院後のリハビリ生活についても、ぜひ教えていただけますか?

7月24日に世田谷記念病院へ転院し、その日からリハビリが始まりました。
すべてが新鮮で、「ようやくリハビリができる」と思うと、うれしかったです。早く取り組んだ方がいいとわかっていたので、ようやくそのスタートラインに立てた気がしました。
左手足に麻痺があり、感覚もほとんどわからない状態だったので、担当の先生と理学療法ではまず立つ練習を、作業療法では手を動かす練習を。言語聴覚療法では、国語・算数などの課題に取り組みました。
毎日大変でしたが、「明日はどんなリハビリかな」と思うと楽しみもあって。毎日、いろいろなスタッフさんが来てくれるので、世間話をしたり笑ったりしながら、少しずつ前を向けるようになっていきました。
結局、世田谷記念病院に、それから半年間、お世話になりました。

“自分らしさ”が心を支える

半年間の入院生活の中では、うまくいく日もあれば、気持ちが沈む日もあったのではないでしょうか。
印象に残っているうれしい出来事や、つらい時期をどう乗り越えたのか、教えていただけますか?

リハビリは、本当に日々の積み重ねでした。回復には波があって、よくなったと思ったら、またできなくなる。その繰り返しでした。
自分で着替えができていたのに、腕に神経痛が出てからは肩が挙がらなくなり、またできなくなってしまい、そんなときは看護師さんに手伝ってもらいながら、少しずつできることを増やしていきました。
入院生活の中では、気持ちが落ち込む日もありました。もともと海に行く予定だったので、入院したときは「海バージョン」のキラキラのネイルをしていました。でも数ヵ月がたつ頃には爪が伸びてきてしまい、病院ではネイルを新しく整える環境もないため、このままの状態ではリハビリに支障をきたすといわれ、いったん切るしかありませんでした。
これまで何十年もネイルを続けてきて、切られてボロボロになった爪を見たときは、思わず「もう帰りたい」と担当の先生(医師)に泣きつきました。先生が病棟の状況を加味して特別に友人を呼んでくださって、病室で目立たない色に塗り直してもらったんです。その瞬間、すっと気持ちが明るくなりました。
わがままを言ってしまったけれど、いつもの「自分」を取り戻せたようで、あのときは本当にうれしかったですね。爪は一番すぐ目に入って、自分でテンションあげられる場所なので。


生きていく中でそういう小さなことって、本当に大切ですよね。世田谷記念病院さんでは、その人らしさを大切にした関わりをされていると伺っていましたが、國重さんのお話から、その思いがしっかりと形になっていることを感じました。

リハビリの合間に、車いすを足で漕いで売店や1階の自動販売機に行けるようになったのもうれしい出来事でした。1日にペットボトル3〜4本、水を飲むように言われていたので、「自分で買いに行ける」ということが、何よりの励みになりました。
世田谷記念病院では、「ドッグセラピー」という取り組みも行われていて、私も一度、参加しました。コロナの影響で面会制限があった時期だったので、ワンちゃんにとても癒やされました。
それから、毎日つけていた「記録シート」も楽しみのひとつでした。
病院では毎朝、記録シートが配られるのですが、それを毎日書きためていました。妹に頼んでファイルを買ってきてもらい、日々のできごとを書いたシートを綴じていきました。
いま思えば、あの時間は楽しい時間だったように感じます。看護師さんが「続けていると、退院後に読み返すのが楽しみになりますよ」と声をかけてくださり、それをきっかけに始めたので、ありがたかったです。


暮らしの中で続くリハビリ

2023年の年末に退院されてからは、ご自宅での生活が始まったと思います。現在はどのようなリハビリに取り組まれているのでしょうか。

退院後は、訪問リハビリを続けています。火曜日は作業療法、土曜日は理学療法で、それぞれ時間は40〜60分ほどです。
退院して間もないころは、作業療法で洗濯物を干す練習をしたり、右手を使って家事の動作を練習したりしていました。始めはバスタオルを干すのも一苦労でしたが、少しずつ工夫を重ねながら、できることを増やしていきました。
理学療法では、家の中の動き方や生活リズムを整えることを中心に、外出の練習などにも取り組んでいます。最初はひとりで外に出る気持ちになれませんでしたが、いまは少しずつ機会と距離を増やしていけたらと思っています。
自主トレーニングもすこ〜し、続けています。足踏みの機器を使って数十分ほど足を動かしたり、「健幸ライフ」という器具で左足を中心にトレーニングをしたりしています。いかにも「筋トレ」という感じのものはあまり得意ではなかったので、作業療法士さんに相談しながら、自分に合う方法を見つけています。
週に2回はマッサージも受けています。身体をほぐしてもらうと、動きがずいぶん楽になりますね。



退院直後は、なかなか外に出る気持ちになれなかったのですね。そこから、「少しずつ外に出てみよう」と思えるようになったのは、どんなきっかけがあったのですか?

装具を作ったことが、もっと外に出てみようというきっかけになりました。
退院して4〜5ヵ月ほど経ったころ、「やっぱり外に出るには装具が必要かもしれないね」と理学療法士さんと相談して作ることにしました。いろんなタイプを試して、「ゲイトソリューション」という入院していた時に使わせてもらった装具に決めました。これを使うようになってからは、短時間なら少しずつひとりで外に出られるようになりました。
でも、靴選びはなかなか大変です。装具を入れられるようにマジックテープ付きの靴を選んだり、かかとが柔らかすぎないものを探したり。見た目が良くても重かったり、左右のサイズを調整するのは今でもひと苦労です。
最初は、家のすぐ近くの郵便ポストやごみ捨てから始めて、今ではお隣の鍼灸院には週1回通えるようになりました。近所で食事をしたり、歯医者さんに通ったりもできるようになりました。
先日は、妹と映画も観に行ってきました。退院してすぐに姪っ子がタクシーの配車アプリを入れてくれていたので、それを使ってお出かけしてみたんです。ちょっとしたことですが、自分ひとりで外に出かけられたのがうれしかったですね。
外に出ることが「練習」だった頃を思うと、少しずつ世界が広がっているのを感じます。

少しずつ広がる、わたしの世界

國重さんが、今後のリハビリで目指していることや、これから挑戦してみたいことがあれば、ぜひ教えてください。

いまは、歌舞伎座に行くのが目標です。まだ電車にはひとりで乗れないのですが、いつか自分の力で行けるようになりたいと思っています。その練習も、訪問リハビリの先生と一緒に少しずつ挑戦していく予定です。
もうひとつの夢は、プールに入ること。入るのはできそうだけれど、「出られないんじゃないか」と思うと、まだちょっと不安で。でもいつか、実現したいですね。
あとは、自宅のそばにある大きな幹線道路を渡れるようになりたいです。そこを越えると飲食店がたくさんあって、行ってみたいお店もいくつかあるんです。横断歩道の信号が早いので、いまの亀のような歩行スピードではドキドキしますが、それも目標のひとつです。
リハビリを始めた頃と比べると、本当に動けるようになったなと感じます。少しずつ、でも確実に前に進んでいる実感がありますね。

リハビリに励む方へ

最後に、同じようにリハビリに向き合っている方々へ、なにかメッセージをお願いできますか。

「急いで無理しなくても大丈夫ですよ」と伝えたいです。リハビリは、よくなったり悪くなったりを繰り返すもの。焦らず、自分のペースで進めば、きっと道は開けていきます。
そして、ごはんをしっかり食べること。それが一番の力になります。
入院生活を不安に感じる方も多いと思いますが、思っているよりもなんとかなるものです。落ち込みすぎずに、たくさん笑って、少しずつでも前を向いて進んでもらいたいです。
私も寒い日などは気持ちが下がることがありますが、担当のリハビリの先生や友人、ヘルパーさんたちのおかげで前を向いて頑張れています。2回も倒れましたが、そのたびに周りの方々に助けていただき、ここまで来られたことに感謝しています。
いまは「ここからはおまけの人生!?」と思って、毎日を楽しむようにしています。


どんな出来事も前向きに受けとめながら、笑顔でお話しされる國重さんの姿がとても印象的でした。
リハビリには、体を動かす力だけでなく、心を整える力もあるのだと、あらためて感じます。焦らず、自分のペースで。そして、「今」を楽しむ気持ちを忘れずに。國重さんの言葉には、そんな優しいエールがたくさん込められていました。
リハノワは、國重さんのこれからの歩みを、心から応援しています。
本日は、貴重なお話を聞かせてくださり、ありがとうございました。
取材にあたりご協力くださったご家族のみなさま、そして世田谷記念病院の関係者のみなさまにも、心より感謝申し上げます。

以上、今回は、東京都世田谷区にある世田谷記念病院の訪問リハビリをうけている、國重京子さんをご紹介しました。
ひとりでも多くの方に、國重さんの素敵な想いと魅力がお届けできれば幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
今後ともリハノワをよろしくお願いいたします!
かわむーでした。


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