みなさんこんにちは、リハノワのかわむーです!
本日は、リハビリ業界の教育プラットフォームを展開するRehatech Links株式会社の代表で理学療法士の大北 潤さんをご紹介します。
大北さんは、セラピスト時代に教育環境に課題を感じたことやご自身のリハビリ経験から、2016年にRehatech Linksを創業。現在は、ITを駆使しリハビリ業界の教育プラットフォームを構築されています。
実際に事務所に伺い、これまでの歩みや起業のきっかけ、今後に思い描くことなど熱い思いを伺ったのでその魅力をお伝えします。
理学療法士・大北潤さん
◆ 大北 潤(おおきた・じゅん)さん
1990年 鳥取県出身
Rehatech Links株式会社 代表取締役社長兼CEO / 理学療法士
<略歴>
2012年3月
玉野総合医療専門学校 卒業
理学療法士免許取得
2012年4月
医療法人天和会松田病院 入職
2015年1月
病院を退職し、上京
Web制作・広告プロモーション会社 設立
2016年4月
Rehatech Links株式会社 設立
幼少期の経験
現在、大北さんはご自身の理学療法士としての経験を活かして、リハビリ従事者に向けた教育プラットフォームの構築に力を入れられていますが、そもそも理学療法士や教育分野に興味を持たれたきっかけは何だったのでしょうか。
自身の経験と、人との出会いがきっかけです。
私は鳥取で生まれ、高校卒業後は岡山で下宿生活をしながら理学療法士の養成校に通いました。免許取得後は岡山の病院で3年ほど理学療法士として働いた後、上京・起業をしました。
これまで4社の経営に携わり、現在は2社の会社経営をするなど、ビジネスの世界で生きています。しかし、家系的には公務員や大学教員・塾講師などいわゆる「おかたい、真面目なイメージ」の職についている人が多く、教育面では幼少期からわりと厳しく育てられた方だと思います。
2つ上の真面目な兄とは正反対で勉強が好きになれなかった僕は、小学3年生から始めたサッカーや遊ぶことばかりに夢中になり、両親からは若干、諦められている感じはありました。
サッカーでは、小・中学校で県選抜に選出されるなど実績を残すことができましたが、勉強面では高校受験に失敗して滑り止めの私立高校に進学。人生初の挫折を味わいました。
そんな過去があったのですね。現在、教育分野から社会を変えていこうと挑戦されているのは、教育者の血筋も関係しているのかと感じました。
実は、私の家系も教育関係者だらけなのですが、逆に家では「勉強しろ」と言われたことはほとんどありませんでした。
大北さんは、スポーツも勉強もできるスーパーマンタイプなので、ご家族の期待も大きかったのではないでしょうか。
賢い兄に対する劣等感はなかったのですが、高校受験に失敗したことはけっこう大きなダメージとなりました。しかし、今振り返ると、楽しい学生生活を送れたので良かったかなと思います。
服が好きだったのでその関係で知り合った先輩など、同級生のみならずたくさんの人と遊びまくりました。
その影響から、高校卒業後はアパレル関係に進みたいと考えていたのですが、両親に「安定した仕事に就いてほしい」と断固反対をされ、アパレル業界は断念。
資格を取るのが良いのではないかと、いつも気にかけて下さっていた教頭先生の薦めで、病院見学に行きました。そこで初めて、理学療法士という職があることを知ります。
理学療法について知れば知るほど、その魅力に惹かれていきました。スポーツや身体を動かすことが好きな一方で、デスクワークが苦手な自分にとってはすごくあっている職だと思い、岡山の理学療法士養成校に進学することを決意しました。
患者さんが教えてくれた
初めて実家から離れての生活になったかと思いますが、学生時代はどのようにして過ごされましたか?
専門学校に進学後も、最初のうちはずっと遊んでいました。勉強は試験前くらいしか真面目にしていなかったと思います。もともと要領はいい方なので、試験だけは落とさない程度にうまくこなすんです。
しかし、3年生で行った評価実習で全失語の片麻痺の方を担当して、人が変わったかのように勉強するようになりました。その方の評価をする際に何も分からず、さらには身体を動かす時に痛い表情をされていることにも気づけなかったのです。
「自分の勉強不足が人に迷惑をかける」ということを思い知り、そこから少しずつ変わっていきました。
実習が終わって以降、勉強が楽しくなり卒試の成績もよかった私は、国試対策グループのリーダーを任されました。ここで、人に何かを教えるという楽しさに気付くことになります。
学んだことが一つ一つ繋がっていき、学べば学ぶほど理解が深まることが当時は楽しくてしょうがありませんでした。
国家試験は次席トップの成績で卒業。学ぶことの本当の楽しさに気づかせてくれた実習先や学校の先生には、今でもとても感謝しています。
お話している声のトーンがどんどん上がっていき、楽しそうにお話される姿がとても輝いていました。
解剖・生理・運動学などが基礎となり色んなことに繋がっていくのは、勉強していて本当に面白いですよね。患者さんとのエピソードも心に響きました。
学校卒業後は、どんな職場に就職されたのですか。
当初は実習先でもあった地元鳥取の病院に就職を考えていましたが、奨学生の関係で募集が出せないこととなり岡山県の病院に就職しました。そこは135床の病院で、当時のリハビリ室には理学療法士が4名、リハ助手が4名ほど在籍していました。
院内教育としては、教育ラダーなどは特に設けられておらず、学習は個人に一任されるような感じでした。私は、医師や病棟看護師、介護士さんとたくさん関わらせていただき、連携を深めていきました。
多職種連携こそが、患者さんやご家族のためになると思ったからです。
リハビリ介入の少なかった維持期の病棟でも、リハビリの視点が入ることで患者さんに還元できることはあると思い、他職種に向けた勉強会なども積極的に開催しました。
そのようにして関係性はどんどんと深まり、看護師長さんや看護部長さんとも仲良く会話をしたり、院長や副院長、事務長のご家族が入院した際のリハビリを任されるようになりました。
新卒1・2年目でそこまでの関係性が構築できるなんて、なかなかできることではありません。
お話を伺いながら、大北さんから感じる「自分の正しいと思うことを信じて行動し続ける」といった信念は、昔から変わらずあったものなのだと思いました。
自身の交通事故を経て
臨床の理学療法士として素晴らしいスタートをきられた大北さんですが、病院を辞め起業を考えるきっかけとなったのは何だったのでしょうか?
社会人一年目に抱えてしまった借金と交通事故にあります。
新卒1年目の9月、給料を貯めて車を購入した私は、納車されたばかりの車で交通事故を起こしてしまいました。
幸い、相手の車の方も僕自身も命に別状はなかったのですが、なんと、自動車会社が保険の切り替え手続きを忘れていて、相手の車の修理費、治療費、自分の車の修理費を、私が全額実費負担することになったんです。
この事実が受け入れられず、自動車会社とはかなり話をしたり、切り抜けるための良い方法がないか調べたりしましたが、社会人一年目の私には良い手を見つけることはできませんでした。
元々あった奨学金の返済に加えて、車のローン、そして今回の発生した費用で、私は総額1000万を超える借金を社会人1年目の9月に負うことになったのです。
このことを両親に打ち明けられたのは、事故から5日目のことでした。電話ごしに初めて両親に頭を下げて、ひとまず相手の車の修理費を借りることになりました。
そんなことがあるのですね…!? 自動車会社にも非があるように感じますが、責任はとってもらえなかったのですね。その後、大北さんはどうされたのですか?
今だともっと色々と対応をできたと思いますが、社会人一年目の私には知識も対応力もなく、泣き寝入りするしかありませんでした。
しかし、さらに悲劇は続きます。ひとまず相手の車の修理費を借りられると安堵した数時間後、なんと2度目の交通事故に遭ったのです。
車を修理に出していたため原付バイクで通勤をしていた私の横から、自動車が突っ込んできたのです。
その瞬間、身体が数メートル先の道路に叩きつけられました。横たわる私の首から下は痺れて動きません。あっという間にたくさんの人に囲まれました。
そこから、救急隊の方がすぐにきてくださり、倉敷にある大きな病院に運ばれました。救急隊の方が搬送途中に家族に電話をするということで母親に電話をかけてくれたのですが、子どもが頭を下げた5時間後に救急車で運ばれていて「脊髄損傷の可能性がある」と言われるのは、相当、気が気じゃなかったと思います(笑)
搬送中でも痺れは改善されず、「頚椎骨折や腰椎破裂骨折が疑われる」などといった言葉が飛び交い、私自身も過呼吸になるほどパニックしていました。
搬送中、私はこれまでの人生を振り返り、これからの人生がどうなるのかといったことをずっと考えていたのを覚えています。
1度ではなく2度までも…。飛び交う言葉が理解できるのもまた、恐ろしいものがありますね。その後、お身体は大丈夫でしたか?
入院して数日はベッド上安静の指示でしたが、MRIを撮った結果、骨折はありませんでした。「中心性脊髄損傷」の診断をうけましたが、全身打撲のような感じ。痺れもあるものの、入院して1週間後には何とか歩ける状態まで回復しました。
その後、3週間の療養期間をいただき、事故から1ヶ月後に復職しました。
首と腰にコルセットを付けていたので、できる仕事からの再開とはなりましたが、借金を抱えた私に休職している余裕はなく、少しでも仕事をしたいと焦る気持ちでいっぱいでした。
2回目の交通事故後、私はお金を返済するための勉強を始めます。最初はアルバイトも検討しましたが、アルバイトをできる身体ではなかったので、どうにかして稼がないといけないと思ったのです。
交通事故関連のことはもちろん、医療以外の世界を知る必要があると思い、視野を広げるためにあらゆる領域のことを学びました。
勉強をするなかで特に興味を惹かれたのが、Webに関することでした。当時、インターネットやSNSのビジネスが走り出したばかりで、「この領域はいける」と直感的に思ったのです。
この時はとにかく、借金を返済すること、怪我をした身体でお金を稼ぎ続ける方法を見つけることに必死でした。
事故から約1年後、副業という形で事業を開始。そこから順調に事業は伸びていき、借金も完済することができました。自分の身体もよくなってきていたため、理学療法士ではなく、今は自分のでできることを伸ばしたいという思うようになります。
そして、2014年12月に退職し、上京。2015年1月、Web制作・広告プロモーション会社を設立しました。
起業という挑戦
1000万円の借金という逃げ出したくなるような困難も乗り越えてしまうパワーと行動力が素晴らしいなと感じました。
Web会社はかなり順調のようでしたが、その後、リハビリ業界での起業を考えられたきっかけは何だったのでしょうか?
ありがたいことにWeb関連の仕事がうまいこと軌道にのってくれたのですが、とても虚しくなったんです。
借金を返済するという目的からビジネスを始めていたので、「お金稼ぎのため」だけになっていて、次第にやりがいや意味が見出だせなくなり楽しくなくなっていったのです。
この時、自分自身の「幸せのあり方」について考えました。
お金を稼ぐということはとても大切だけど、それは目的ではなく、何かを成し遂げるための手段にすぎません。さらにはWeb事業って水物なので、当時の事業だけで一生やっていけるイメージはありませんでした。
社会的価値がある事業を創り、中長期的に収益をあげれる形をつくりたいと、私は思いました。
そこにじっくりと向き合った時、自分の職業でもある理学療法士、そして、リハビリテーション業界に還元することで社会貢献をしたいと改めて感じました。
私には、リハビリテーション界でなんとしても「解決したい課題」がありました。
大北さんが抱えていた課題感とは、一体なんでしょうか?
リハビリテーション教育における地域格差と教育環境です。
昨今、コロナの影響でオンラインのコンテンツやサービスが増えたり、学会でもオンライン配信が増えたりと比較的「情報の地域格差」は減ってきていますが、当時はセミナーの開催は都市部が中心でした。
参加する場合は、旅費交通費が別途必要になるなど金銭面的な負担も多くあり、地方からの参加は頻繁にできる状況ではなかったのです。
教育環境的にも、就職した病院や施設等に左右されてしまうのは非常にもったいないと感じました。
そして、それを一番実感したのは、自身の交通事故後、自分がリハビリを受ける側になった時です。
皆さんは、もし病気になったとして、どこの誰か分からない人が自分の担当になったときに不安になりませんか? 私は、当時すごく不安になったのを覚えています。
療法士が十分に学習できる環境がないことによって、その皺寄せは全て患者にくるものだとその時に身を持って体験しました。
セラピストとして患者さんに向き合い続ける限り、常に学び続けることは絶対に必要です。
しかし、学び続けるための教育環境はどうだろうか? と考えた時、当時はオンラインのサービスがさほどありませんでした。そのため、自分が少しかじってきたWebの領域と掛け合わせて何かできないかと考え、2016年4月にRehatech Links株式会社を創業しました。
初めはオンラインサービスを立ち上げる土台も何もなかったので、オフラインの講習会からスタートし、実技指導やワークショップなど体験型の講習会の開催や、系統立てて学んでもらえるような講習会のコース開催などを中心に行いました。
そしてその後、セミナーオンライン教育事業「リハデミー」を立ち上げました。
僕等が目指す世界観
充実したコンテンツやその学びやすさから一気に知名度があがり、現在も着実に会員数を伸ばしているリハテックリンクス。
最後に、代表の大北さんがリハテックリンクスを通して今後に思い描くことについて教えて下さい。
私たちが今、目指すものは「教育の体系化と効率化」です。
今の時代、知識だけであればネットや本など様々なところで簡単に拾ってくることができますし、見放題のようなオンラインサービスもたくさんあります。
しかしそれは、情報の取得としては良いと思いますが、教育としては不十分だと考えます。
学ぶ側の情報の取捨選択が必要なうえ、その力量に左右されてしまうからです。せっかく学んでも、そこに偏りが出たり、自分の知っている知識だけで切り貼りして自己解釈してしまうこともあると思います。
それってなかなか自分では気づけないですし、周りが教えてくれることもほとんどありません。
私が大切にしているのは、「エンドユーザーである患者さんにとって、価値のある学びといえるかどうか」ということです。
何をどのように学ぶかが重要であり、企業が提供していくコンテンツやサービスは情報の量ではなく、質を高めるべきだと考えています。
「情報の質」というのは、情報の正確性が担保されているか、適切に引用されているか、経験とエビデンスを分けて伝えられているかなど、さまざまです。
私たちは、情報の質をしっかりと担保していくために、企画監修を担う専門家の先生を軸としたチームを各分野ごとに構成しています。系統立てて学べるコンテンツと、それを補完するコンテンツ、そして応用のコンテンツやサービスをつくっています。
本来なら卒後教育として様々な疾患や病態、分野ごとに系統立てて学ぶ研修制度があるべきですが、我々の業界にはそれがなく、療法士が身銭を切って学ばなくてはなりません。基本的に、療法士や所属先にその教育が任されているため、「スタンダードが何か」というものも設定されていません。
だからこそ、私たちはリハデミーを通して教育を体系化し、効率的に学習を進めてもらえるよう、一人でも多くの療法士に届けていきたいと思っています。
効率化に関しては、まだまだこれからではありますが、オンラインでは個々の学習ログの蓄積と分析を行うことができます。また、そのデータを元に個々に合わせた学習提供ができるように、今はコンテンツとデータの紐付けをする評価尺度、到達目標の設定など細かな部分を調整しています。
現在、弊社には非常に多くの専門家である講師陣に関わっていただいていますが、講師としてだけではなく、パートナーとして、リハビリテーション業界の教育について価値共創できるような形でお仕事をご一緒させてもらっています。
私たちは、患者良し、療法士良し、講師良し、企業良しの「四方良しの世界」を実現させ、リハビリテーションに関わる全ての人が幸せな社会の実現に向けて、リハテックリンクスだからこそできる教育をこれからも突き詰めていきます。
SNSやインターネットの発展により気軽に情報発信が可能となりましたが、一方で、多くの情報の中から自分で有益な情報を取捨選択する難しさは確実に出てきました。
私自身、時折目を疑うような誤情報が流れてきて驚くこともありますが、そのような情報に惑わされてしまう人がいるのも現実です。医療業界において、このような誤情報により一番の悪影響を受けるのは患者さんです。
すべてのセラピストに正しい情報が行き渡り、患者さんが取り残されない社会の実現を目指すリハテックリンクスの想いに、同じようにリハビリ業界に向けて情報発信している者として大変感銘を受けました。
「教育の体系化と効率化」が進み、療法士がもっと学びやすい環境で能動的な学習ができるようになると、リハビリテーション業界の教育変革に繋がると思いました。
これからも、リハテックリンクスのさらなるご活躍を応援しております。
取材に丁寧に対応いただいた代表の大北さん、社員のみなさま、本日はありがとうございました。
Rehatech Links概要
■ Rehatech Links株式会社
代表取締役社長兼CEO 大北潤さん
■ 創業
2016年4月
■ 事業内容
講習会・セミナー企画運営事業
オンライン教育事業
貸スタジオ運営事業
映像制作・動画制作事業
■ ビジョン
「誰もが安心して身体を任せられるリハビリテーションのセカイを実現する」
■ 所在地・問い合わせ
東京都新宿区新宿6丁目27-28コンフォリア新宿イーストサイドタワーアネックスA203
TEL:03-6302-1988
FAX:03-6302-1989
■ 関連サイト・SNS
・HP
■ 講習会・セミナー情報
こちらのページを御覧ください
写真撮影:ひろし(カメラマン/理学療法士)
以上、本日はRehatech Links株式会社の代表で理学療法士の大北 潤さんをご紹介させていただきました。
一人でも多くの方に、大北さんの魅力と素敵な想いがお届けできれば幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
今後ともリハノワをよろしくお願いいたします!
かわむーでした。
この取材は、本人の同意を得て行なっています。本投稿に使用されている写真の転載は固くお断りいたしますので、何卒宜しくお願い申し上げます。
リハノワは、株式会社HAPROT・他パートナー企業、個人サポーター、読者の皆さまの応援のもと活動しています。皆さまからのご支援・ご声援お待ちしております。
※取材先や取材内容はリハノワ独自の基準で選定しています。リンク先の企業と記事に直接の関わりはありません。
コメント