【前編】難病と闘いながら人の魂を癒す。がん専門ケア領域で活躍する理学療法士 | さあら(SARAH)さん

みなさんこんにちは、リハノワ.comのかわむーです!

本日は、福岡県福岡市に拠点のある「一般社団法人バラカメディカル」代表理事の今村幸恵 (さあら / SARAH) さんを取材してきたので、皆さんにご紹介したいと思います!

さあらさんは、自身も10万人に1人といわれる難病・遺伝性血管性浮腫(HAE) を抱えながら、理学療法士およびリンパ浮腫ケア技能指導者として在宅をはじめ様々な現場でご活躍されています。

34歳の時に出会ったエジプト人がきっかけとなり、その後イスラム教に入信。天真爛漫で人の心をぐっと掴む素敵な女性さあらさんの、これまでの経験や今後新たに挑戦される事など、その魅力にとことん迫っていきたいと思います!

本記事(前編)では、「さあらさんが難病になられてからの歩み」についてご紹介します。

さあら (SARAH) さん

今村幸恵(さあら) さん
1975年 東京都出身 千葉県育ち

<資格>
・理学療法士
・リンパ浮腫ケア技能指導者
・アクティブカラーセラピスト
・認定発達障害アドバイザー
・認定心理士

<経歴>
1997年 理学療法士免許取得
    リハビリ科単科のクリニック勤務  
2009年 総合病院 勤務
2010年 結婚を機に関東から福岡へ移住
    乳腺専門の病院にて勤務
2015年 リンパ浮腫ケア技術指導者 資格取得
2018年1月 個人事業主として開業、訪問リハビリにて勤務
2018年6月 ケアサロンバラカ開店
2020年10月
一般社団法人 バラカメディカル設立

<難病とイスラーム>
9歳
突然激しい腹痛と嘔吐で入院
シェーグレン症候群発症
10歳
入院した病院で「神様」という言葉に出会う
14歳
遺伝性血管性浮腫(HAE) と診断される
中学卒業まで生きられないかもと医師から宣告される
17歳
入退院を繰り返し遺書を書いて親友に託すようになる
20代
病状が悪化し寝たきりになる
34歳
初めて一人でエジプトへ旅をする
イスラム教徒になる
40歳
HAEの患者会・NPO法人HAEJ事務局長就任
44歳
医療者によるオンラインHAE患者サポート
HAEサポートネット設立
45歳
一般社団法人バラカメディカル設立


かわむー
かわむー

さあら(SARAH)さんを初めてお会いした時、名前の珍しさとヘッドスカーフ、そして天真爛漫な明るい性格がとっても印象的でした。


さあらさん
さあらさん

そうですね、理学療法士として仕事をする中でも、まず「日本人ですか?」とか「なぜその格好をしているのですか?」と疑問を持たれることが多いので、はじめに説明することがほとんどです(笑)

私は日本人の両親から生まれた生粋の日本人で、34歳の時に出会ったエジプト人がきっかけで興味を持ち、その後イスラム教徒になりました。

『SARAH・さあら』という名は自分でつけました。アブラハムの奥様の名前ということで選んだのですが、この名の由来はアラビア語で「幸せ」という意味があることを後から知りました。

エジプトでシャハーダ(信仰の告白)をした時に、現地の方から「あなたの人生がこれからずっと幸せで恵まれたものでありますように」と言われた瞬間、自分の名前が「幸恵」だったのでとても驚き、涙しました。


かわむー
かわむー

今では「さあらさん」の愛称でみなさんから慕われていらっしゃいますが、まさか「幸恵さん」と「さあらさん」の名前の由来が全く一緒だったとは。まさに、運命を感じずにはいられませんね。

さあらさんが、エジプトへ一人で行かれたりイスラム教徒になったのは何かきっかけがあったのですか?


さあらさん
さあらさん

私は決してもともと宗教熱心だったわけではありません。むしろ、宗教というものはあまり好きではありませんでした。そんな私がそもそも「神様」という存在を知ったのは10歳の頃です。私は、体の様々な部分が急に腫れ、最悪の場合は呼吸困難に陥る病気「遺伝性血管性浮腫(HAE)」のため病院に入退院を繰り返していました。

その時、同じ病室の子から、私たちに辛い病気があるのは「神様が私たちが耐えられるって知っていて選んだんだよ」と教えてもらいました。以降、信仰について考えるようになります。

それが何かはわからないけれど、辛くてどうしようもない時も “神様に選ばれたのだ” という特別感に思えたことが唯一の救いであり、母や他の人を責めずにすみました。


かわむー
かわむー

病気がきっかけで知った神様という存在。はじめは、それが何かはわからないけれど “心の拠り所” みたいなものになっていたのですね。

神様の存在に気づき、イスラム教徒へ入信することにした決め手はなんだったのでしょうか。


さあらさん
さあらさん

34歳でほぼ寝たきりの生活をしていた時、時間があるからと英語の勉強を始めたんです。その時にペンフレンドを募集し、出会ったのがあるエジプト人の方でした。その方はものすごくマナーや知識に長けていて、やりとりをしているうちにエジプトという社会に興味がわき調べるようになりました。

その時にたまたま見たアラビア語の美しい文字とその音色に、一瞬で魂が震えたんです。気づいたら涙が頬を伝っていました。これは神業だー!って、神様の存在を確信したんですよね。

後からその音色がイスラームの聖典クルアーンであったことを知りました。そして、“ムスリムにならずに死んではならない” というクルアーンの一節を読み、イスラム教徒になることを決意しました。

10歳の頃教えてもらった神様はこの方だったんだ、、と私の中で全てが一致した瞬間でした。


死・生・命

かわむー
かわむー

病気になられてからのさあらさんの歩みを教えていただいてもよろしいでしょうか?


さあらさん
さあらさん

9歳の頃から原因不明の激しい腹痛発作により、瀕死の状態で毎月入退院を繰り返していました。同時に、「シェーグレン症候群」という難病(自己免疫疾患)を発症します。

その後、14歳でようやく稀少疾患・難病である「遺伝性血管性浮腫(HAE)」と診断がつきました。しかし、遺伝がなく国内唯一の患者だろうと言われ、孤独と恐怖の中で押しつぶされそうになっていました。

“なぜ自分だけが耐えなくてはならないんだろう” という気持ちとともに、常に死を思いながら過ごしていました。


かわむー
かわむー

さあらさんが、死とか、生とか、命について考える瞬間。

それはこれまで、どのくらいあったのでしょうか。


さあらさん
さあらさん

まず、「死」については考えることが非常に多かったです。

14歳の時に病名がはっきりし、私の免疫に関連した遺伝子が正常の3分の1に満たないことが分かると、主治医は「このままだと15歳までは生きられないだろう」という見通しを両親に伝えました。

私にはそれは知らされていませんでしたが、原因と病名がわかった安心感がある一方「人はいつか死ぬ」という考えではなく「いつ死ぬかわからない」という恐怖に変わりました。

実際に、さっきまで元気だったと思ったら発作が起き、瀕死の状態で運ばれることが当たり前のように毎月起き続けていたので、「死んだらどうなるんだろう?」とその度に考えるようになります。


かわむー
かわむー

14歳の頃から「いつ死ぬか分からない」という自身の命に危険を感じ、その恐怖と孤独の中で過ごされてきたのですね。



さあらさん
さあらさん

私が死や生、命について考えることとなった経験は、まだあります。

ある時私は、別の時期にふたつの大切な命を亡くしました。ひとつは将来結婚したいと思っていた人。もうひとつは妊娠4カ月の自分の子どもでした。私にとってこのふたつの死は人生にとても大きな意味をなしました。

赤ちゃんがすくすくと成長すると同時に、私の体は生気を完全に子どもに吸い取られるかのように、日々「死」に向かいました。自分の中に「生」と「死」を同時に感じながら過ごします。

3カ月が過ぎた頃、「このままでは母体がもたず、妊娠の継続は難しいでしょう」と医師に言われ、抵抗も虚しく手術をすることになりました。その頃、私はもう自力で歩くことも座っていることもできなくなっていました。

手術後、子どもが私の体からその死をもって消えた直後から、私の生はまた始まり、それまでの体の負担は全くなくなりました。すごく不思議な感覚でした。


かわむー
かわむー

そのようなご経験があったとは、、。

さあらさんが前向きに歩み始められたのは、一体どのタイミングだったのでしょうか。


さあらさん
さあらさん

私も最初は、早くみんなの所へいきたい、天国へはどうやったらいけるんだろうか、なぜ私がまだ生きていなくてはならないのだろうか、、といつも心の底から思っていました。

それなりに幸せに過ごしている時も、時々私など生きている必要もないし、もう何もかもやり終えたのだから亡くなった彼らに会いにいってもいいだろう、と、幾度となく自殺未遂も繰り返しました。

そのたびに、人が通りかかったり、誰かが発見してしまったりで失敗に終わるんです。私の意思とは無関係に生き続ける自分の身体が、不可思議で仕方ありませんでした。

しかし、最終的に「私はもう自分で死ぬことはできないんだ」と諦めがついたのは、多くの良き友人や恩師などの支えがあったからでした。

彼らに一言も挨拶や感謝もせず、このまま死ぬことなど許されない。どうやって感謝しようかと思た瞬間から、それにはまず『生きる』しかないと思ったんです。

生きている間、いったい何が私の使命なのか” そんなことを考えながら日々生活することになりました。


当事者の経験から

かわむー
かわむー

周りの方々の支えもあり、また前を向くことができたのですね。

さあらさんはとても温かく、患者さんのことを本当に熱心に考えられている素晴らしい理学療法士だなと感じました。

ご自身の経験から、患者さんがセラピストや医療従事者に求めている事はなんだとお考えですか?


さあらさん
さあらさん

そうですね。欲しいのはみんな「安心」ではないでしょうか。

だから、不安を取り除き、安心を提供することが大事だと思っています。知識ももちろん必要ですし、どういうことで人は安心するのか、考え抜くことが必要です。

患者さんは知識がなく、今後の予測ができない事などで不安になります。そこを何で取り除くのか、しっかりと向き合っていけるといいですね。


かわむー
かわむー

病気を通して患者さんの立場も分かるからこそ、本当にたくさんの視点がさあらさんにはあるのですね。

ご自身が昔、誰にも何も言えなくて辛かった時期、安心できる空間がなかったからこそ、目の前の患者さんには安心感を与えられる心かげられているのですね。とても素敵です。




続く後編では、「理学療法士のさあらさん」についてご紹介したいと思います。




※この取材は、本人の同意を得て行なっています。本投稿に使用されている写真の転載は固くお断りいたしますので、何卒宜しくお願い申し上げます。

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