みなさんこんにちは、リハノワのかわむーです!
本日は、東京都町田市にあるヨリドコ小野路宿で働く理学療法士の大関純平さんをご紹介します。
大関さんは、理学療法士として病院で勤務した後、海外での留学や就労さらには介護旅行会社の立ち上げを経験。現在は、ヨリドコ小野路宿で理学療法士として働かれています。
多方面に渡るこれまでのご経験や、ヨリドコ小野路宿で今後チャレンジしていきたいことなど、その魅力にとことん迫ります!
理学療法士・大関純平さん
◆ 大関純平(おおぜき・じゅんぺい)さん
沖縄県出身
1987年1月10日生まれ
<経歴>
2009年春
長崎リハビリテーション学院 卒業
理学療法士免許取得
福岡の回復期病院 勤務
2013年
春 フィリピンへ留学(5ヶ月間)
11月 バックパッカーで一人旅へ
2014年2月
旅より帰国
介護付き旅行会社 勤務
2019年
再び海外・マルタ共和国へ留学
現地のWEB関連の会社 勤務
2020年
7月 日本へ帰国
9月 ヨリドコ小野路宿 勤務
迷いからの決断
多くのキャリアをお持ちの大関さんですが、理学療法士を目指したきっかけは何だったのでしょうか。
きっかけは、スポーツ分野に携わりたいという思いからです。
幼い頃から野球とハンドボールをしていて、将来はトレーナーになりたいと思っていました。ただ、トレーナーとしてご飯を食べていくのは厳しいかなと高校時代に感じ、色々と調べる中でリハビリの仕事に出会います。スポーツ領域に関われるのは理学療法士かなと思い、理学療法士の道に進むことを決意しました。
親から、高校卒業後は地元の沖縄を一度は出るように言われていたので、学校は長崎にしました。長崎を選んだ理由は、東京や大阪などの都会は何となく怖かったのと、極力暖かい地域に住みたかったからです。結果、初めて長崎へ行った年にまさかの数年に一度の大寒波…(笑)生まれて初めてマフラーを買うなど、冬の寒さを痛感しました。
学生時代は、週6で病院でリハビリ助手のバイトを経験。ホットパックなどの物理療法の準備が多かったのですが、学生の僕にとっては非常に勉強になりました。
リハビリ助手のバイトは、かなり学びになりそうですね!それにしても週6とは、なかなか大変だったのではないでしょうか。
理学療法士免許を取得後は、回復期病院で働かれたのですね。
はい、福岡にある脳卒中や整形外科がメインの100床程度の病院に就職し、4年間勤務しました。
スタッフは40人くらいで、熱い思いを持って働いている方が多かった印象です。僕も、 臨床の傍ら腹横筋に関する研究を行なったり、触診や足底板、ボバースの勉強をするなど、とにかく技術や知識をつけるのに一生懸命でした。
辞めたきっかけは、自分が臨床でしていることに迷いが出たからです。
脳卒中の方をみる機会が多くありましたが、これまで一生懸命磨いてきた技術と知識で患者さんを良くしたいという思いがある一方で、脳卒中の予後予測(将来的な日常生活の動作レベルを事前に予測)を自然とする自分に気づきました。その時、もしかすると患者さんの可能性を狭めてしまっているのは自分なのではないかと悩むようになりました。
そんなことを考えていたら、どんどんと臨床に気持ちが入らなくなってきて。それがしんどくなり、一回臨床を離れようと決意しました。
そして、どうせ離れるなら一度は自分のやりたいことをやろうと考え、海外に旅することにしました。
脳卒中の予後予測は、リハビリ界では目安として用いられるスタンダードの評価ですが、私も同じ理学療法士として、当時の大関さんの気持ちは痛いほどに分かります。一生懸命、患者さんに向き合っていたからこその辛さだと感じました。
それにしても、世界へ旅に出るとは驚きです!
海外で変化する価値観
臨床から離れ海外へ行くことを決意された大関さんですが、そもそも海外に興味を持ったのは何故だったのですか?また、どんな国を旅されたのですか。
もともと異文化に興味を持っていました。海外に行って英語を学びたいと思うようになったのは、たまたま行った香港で自分があまりに英語が話せないことに悔しさを覚えたからです。
学生時代、香港でたまたま入ったファーストフード店で、自分より若い店員さんが英語でペラペラと話しかけてきたんです。その時、私は全くうまく話せず、「これが世界との差か…!」と、めちゃくちゃ悔しさを感じました。と、同時に「英語を話せるようになりたい!」と、いつか海外に語学留学したいなと思うようになります。
その時の願いを叶えようと、臨床から離れるのをきっかけに思い切った感じです。
最初はフィリピンに5カ月間留学しました。留学先のフィリピンはエージェントに相談し決定。全寮制の専門学校に通いながら全力で遊ぶ中で、自然と英語は話せるようになっていきました。
帰国後、日本に数ヶ月滞在した後、再び旅に出ました。やはり、いろんな国を見てみたいと思ったからです。保険を解約するなどとにかくお金をかき集め(笑)、バックパッカーでカンボジア → タイ → ミャンマー → インド → ネパール → マレーシア → オーストラリアを4カ月間で周りました。
なんと、7カ国も旅をされたのですか!
大関さんの中で、特に印象に残っている国はどこですか?
インドですね。インドで私の価値観は大きく変わりました。
実は、この旅の最中、私はずっと悩んでいました。というのも、フィリピン留学に行っている時に、次に働くこととなる介護付き旅行会社の創業メンバーとして働く話をもらっていたからです。
帰国したタイミングで社長とお会いし、「あと4カ月間海外を周るので、その後、正式にお返事させて下さい」と返答していました。病院でしか働いたことがなかったので、未経験の別業種、かつ立ち上げの会社で上手くいくかも分からないことに挑戦するのが怖くて、ずっとモヤモヤと悩んでいたのです。
それが、1カ月以上滞在したインドで大きく変わることになります。
インドではまだまだ貧富の差が大きく、カースト制度(身分制度)が残っていると感じました。日本だと頑張れば這い上がれる可能性はあるけれど、インドにある圧倒的な貧富の差は、頑張りだけでは乗り越えられないものに感じました。生きるためのお金を得るために、左手しかない障害をおっている少女が物乞いの生活をしているのです。
毎日を必死に生きる彼らを目の当たりにして、自分の悩みがちっぽけに思えたのと同時に、日本人であることがいかに幸せであるか感じるようになり、価値観が少しずつ変化していきました。
「恵まれた環境にいるのだから、やれるところまでやろう!頑張ろう!」と思えました。
そして、4カ月の旅を終え、2014年2月に帰国しました。
介護付き旅行会社での挑戦
大きな変化があった旅を無事に終え、帰国後からついに始まった介護付き旅行会社での仕事。実際に働いてみていかがでしたか?
また、やりがいを感じた瞬間や大変だった事などもあれば教えて下さい。
帰国したその月から働きはじめました。会社は福岡でNPO法人として運営することとなり、スタッフは看護師の社長と私の2人です。
サービス内容は、介護が必要な方の旅行を支援するというものです。自費サービスで行っていたのですが、当時は自費サービスが今よりも少なく、怪しく思われたのか営業に行っても「何それ!?いらないよ」と突き返されることも少なくありませんでした。
これまでは病院で待っていれば患者さんが次々と来る環境だったので、改めて顧客を獲得することの大変さを痛感します。また、慣れない営業や経理作業、旅行中のリスク管理、旅行依頼が行楽シーズンに集中すること、収益化の難しさなど大変なことも多かったです。
一方で、病気や障害のために旅行を諦めていた方が、私たちがサポートすることで旅行に行くことができ、眩しい笑顔を見せてくれる瞬間にとてもやりがいを感じました。
珍しいことをしているので、講演会に講師として呼ばれたり、テレビなどメディア取材も受けたりしました。また、学会発表も行ったので介護付き旅行に興味を示すリハビリ従事者が次第に増えていきました。
デイサービスとクリニックでバイトをしながら、何とか5年間継続します。
やりがいをすごく感じるだろうなと思う一方で、大関さんの仰られるように、継続させることの大変さが伝わってきました。
5年間継続された後は、どうされたのですか?
再び海外に留学しました。もう一回ちゃんと英語を勉強したいという思いと、留学中に今後について考え直そうと思ったからです。
場所は、マルタ共和国。地中海に浮かぶ小さな島で、綺麗な海と温暖な気候が故郷の沖縄を思い出させる場所でした。2019年1月から半年間学校へ通い、そこからスウェーデンに本社のあるWEB関連企業で約1年間勤めました。
本来は、留学期間中に日本で新たにやりたいことを決めようと思っていたのですが、モチベーションの上がるものがなかなか見つからず、一度海外で働いてみようと思い多国籍の方がいるWEB制作会社にジョインします。
もちろん、海外で働くのは初めての経験でした。国籍は様々で、日本人1人のチームに配属されました。もちろん誰も日本語は話せません。1対1の英語での会話はいいのですが、全体会議となると話すスピードも上がり、最初のうちはついていくのがやっとの状態。しかし、働いていくうちに次第に慣れていきました。
ヨリドコとの出会い
何事にもまずは挑戦しようとされる大関さんの姿勢、素晴らしいですね。
コロナ禍で日本への帰国を考えられたとのことですが、現在の職場「ヨリドコ小野路宿」を選ばれた理由を教えて下さい。
マルタ共和国へ行き1年半が経過した2020年5月頃、コロナウイルスの流行のため仕事がフルリモートになりました。次第に面白くなくなっていき、帰国を考え始めます。実際に帰国したのは、2カ月後の7月30日ー。
ヨリドコのことは、知り合いのデイサービス経営者の方に教えてもらいました。施設のコンセプトを聞き興味がわき、1週間後に見学に行きます。訪問リハビリの経験はなかったため多少不安はありましたが、実際にヨリドコ見て、施設や竹林に惚れこみ「ここで働きたいな」と思いました。
見学日に面接も終え(笑)、翌月9月1日から正式に働くことが決まります。
見学当日に採用が決まったのですね!
竹林のある施設なんて聞いたことないですし、また、古民家を改装した建物や多種多様な人たちの居場所になっているヨリドコのコンセプトもとても魅力的ですよね。帰国後すぐに、こんな素敵な職場と出会えるとは、大関さんはやはり何か持っているなと感じます。
現在のヨリドコでの仕事内容や働き方について教えて下さい。
現在、週の5日は訪問リハビリで利用者さんのお宅に伺っています。
その他、空き時間でヨリドコの裏にある竹林を整備したり、庭にある菜園で野菜作りをしたりしています。竹林の入り口にある階段や手すりも全て僕の手作りです。YouTubeで調べながら、コツコツと作りました。また、竹を使ったイベントを開催し地域の方との交流も図っています。
ヨリドコには、地域の子どもから大人・高齢者まで様々な方がふらっと遊びに来られます。
竹林を見た方が「綺麗」と言ってくれることや、実際に竹林に入ってくれた人が喜ぶ姿を見るのが管理するモチベーションであり、僕の楽しみでもあります。
海外の方も定期的に来られ、竹に触れ合う機会を楽しんでくれています。
多種多様な人が集う場所「ヨリドコ」、本当に素敵です!!
今後に描く未来
多くのキャリアを歩まれ、現在は竹林を管理しながら在宅という新たな現場で活躍される大関さんが、今後のヨリドコに思い描くことを教えて下さい。
現在、ヨリドコには地域の方やサイクリストなど多くの方が来られていますが、今後は外国の方にももっと来て欲しいなと思っています。
異文化に気軽にふれ合える、常にグローバルでダイバーシティな場所を作りたいです。
そのために、多様性を楽しむ空間づくりができるよう、いつもコンテンツを考えています。海外の人が楽しめるものを作れば、海外を好きな人も自然と集まってくると考えるからです。
福祉とか健康だけを意識した空間ではなく、旅や文化、言語をキーワードに多様性に溢れた居場所作りを進めていきたいです。そこにはもちろん、車椅子の方や障がいのある方、高齢者などもいて、みんなが楽しんでくれる場所になればいいなと思っています。
グローバルでダイバーシティな居場所づくり…!
聞いているだけでワクワクします。大関さんのそのパワーの源は、一体なんなのでしょうか。
僕の今の原動力は、好奇心です。面白そうだからやる、それだけです。
実は、僕が今やりたいことはまだまだあって(笑)
ボランティアの人たちと少しずつ輪を広げながら、いつか、竹林の中をキャンプ場にしたいと考えています。あの竹林の中でみんなで珈琲を飲めたりしたら、本当最高だと思うんですよね。
ヨリドコでは、7月はそうめん流し、8月は竹灯籠と音楽を楽しむイベントなど、イベント企画も行っています。一緒に活動してくれる仲間も大募集しています。
竹林の中で飲む珈琲…!想像しただけで、もう美味しいです…!
破天荒で常に面白いことを企画して動かれている大関さんから、今後も目が離せません。ヨリドコ小野路宿では、SNS等でも積極的に活動を発信されているので、興味を持たれた方はぜひチェックしてみて下さい。
大関さんの今後ますますのご活躍を、心より楽しみにしております!本日はありがとうございました。
以上、東京都町田市にあるヨリドコ小野路宿で働く理学療法士の大関純平さんを紹介させていただきました。
一人でも多くの方に、大関さんの魅力と素敵な想いがお届けできれば幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
今後ともリハノワをよろしくお願いいたします!
かわむーでした。
この取材は、本人の同意を得て行なっています。本投稿に使用されている写真の転載は固くお断りいたしますので、何卒宜しくお願い申し上げます。
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