【当事者の声】39歳で頸髄を損傷。娘や仲間と歩んできた8年間と再生医療挑戦の裏側|藤井佳奈さん

みなさんこんにちは、リハノワのかわむーです!

本日は、8年前に頸髄を損傷するも、現在、再生医療にむけて懸命にリハビリに取り組まれている藤井佳奈さんをご紹介します。

佳奈さんが取り組まれるリハビリの内容やその原動力、また、再生医療挑戦の裏側や過去の自分へのメッセージ、バリアフリーに設計されたご自宅の紹介などたくさんお話を伺ったので、写真も交えながらその魅力をお伝えしていきたいと思います!

藤井佳奈さんとリハビリ

◆ 藤井佳奈(ふじい・かな)さん
1975年 広島県尾道市生口島出身
歯科衛生士 / FP / メディカルアロマセラピスト&アドバイザー

歯科衛生や病院の医療事務として勤務した後、生命保険会社で外交員として従事。2014年10月(当時39歳)、交通事故により第6頸髄損傷・骨盤骨折をはじめとした多発外傷を受傷。1年2ヶ月にわたる入院治療とリハビリを経て、自宅に退院。退院後も懸命なリハビリを継続され、数mの杖歩行や自動車運転の再開を果たす。現在は、週4日リハビリに励みながら生命保険会社の外交員として勤務している。今後は、実用性歩行の獲得を目指し再生医療/リハビリに挑戦する予定。

生きる希望は「娘」だった

かわむー
かわむー

もともと医療現場や生命保険会社の外交員としてバリバリとお仕事をしながら育児もされていた佳奈さんですが、車椅子生活を余儀なくされた大事故に遭われたのは、39歳のことだったのですね。

受傷当時の記憶や入院生活、その後のリハビリについてなど、覚えている範囲でお聞かせいただいてもよろしいでしょうか。


佳奈さん
佳奈さん

2014年10月のある日、仕事が終わり夜自宅に帰る途中で、道端を歩いている私に自動車が突っ込んできました。事故直後記憶はありませんが、第6頚椎損傷(不全麻痺)と左骨盤骨折、左足関節骨折、顔面骨折、前歯欠損などをおう大事故でした。

もともと医療事務として働いていた病院に運ばれた私は、ICUに入室することとなりました。意識が朦朧とする中、「りこちゃんのために生きて!」という声だけが聞こえてきたのを覚えています。あとから聞くと、知り合いの看護師さんが懸命に声をかけてくださっていたそうです。意識が朦朧としていても、耳は不思議と聞こえているんだなという貴重な体験をしました。

当時、私は小学6年生の娘と2人で暮らしていたので、とにかく娘のことが心配でなりませんでした。「今から家に帰るね」と電話した直後に事故にあったので、娘は不安でいっぱいだったと思います。ICUには子どもは入れない決まりとなっており、娘と再開できたのは一般病棟に移った約2週間後でした。

娘と再会した時、私の首にはカラーがつけられていました。首から下は全く動かず、まるで自分ではないみたい。顔だけが生きているような感覚でした。そんな状況の中、娘の顔を見た瞬間、私は涙が止まりませんでした。



かわむー
かわむー

事故当日の佳奈さんや娘さんの状況そして心境を思うと、胸が締め付けられる思いでいっぱいです。

状態が安定し一般病棟に移ってからは、入院生活はいかがでしたか?


佳奈さん
佳奈さん

一般病棟へ移動後、右の肩や腕がほんの少しだけ動くようになりましたが、あとは何もできません。自分では力をいれているつもりでも動かせない腕や指、足。一人で寝返りもできず、排泄も手伝ってもらわないとできない。熱い・寒いも分からず、汗がかけない。そんな状況の全てが辛く、耐えられませんでした。

それに加え、痺れや熱さで身体がとてもしんどくなり、全てが嫌になったのを覚えています。

寝たきりの身体でどうやって生活するの? どうして私がこんな目にあうの? 死んだ方が良かった、と当時は思いつめることも多く、息することもしんどくなり過呼吸を起こすことも頻繁にありました。

リハビリでは、理学療法の時間にはとにかく離床する(ベッドから起きる)こと、作業療法では食事が自分でできるようになるため、コップを親指の付け根で掴んで横に運ぶという練習をしました。

車いすに移る練習ではリフトを使用していましたが、リフトに吊られている時、「なんで自分、こんなことされてるんだろう」と、とにかく悔しくて悲しくてしょうがなかったという記憶が残っています。

また、リハビリが進み車椅子に座ることができるようになっても、すぐに血圧が下がり失神していました。目の前が真っ暗となるのも「慣れですよ」と言われていたので、ベッドのコントローラーを動かしては自主練習していましたが、リハビリはなかなか思うように進みませんでした。

そんな時、「今はとにかくリハビリしかない!」とお見舞いの方や看護師さんに励ましてもらっていたのですが、動かないのにどうしたらいいの?と、私はもどかしい気持ちでいっぱいでした。

日中は笑顔でポジティブでいるように心がけていても、身体が思うように動かないことは精神的ダメージも強く、夜は睡眠導入剤をもらう日も多くありました。



かわむー
かわむー

佳奈さんはいつも明るく笑顔で、本当に太陽のような人だと思います。心の中では辛いのに、笑顔で対応する当時の佳奈さんが目に浮かびました。心と身体のバランスを保つこと、本当に大変でしたね。

そのような辛い状況の中、当時の佳奈さんの支えやリハビリの原動力となっていたことは何でしたか。


佳奈さん
佳奈さん

娘とまた生活がしたい。娘とまたご飯が食べたい。娘と買い物にでかけたい。娘をまた送り迎えしてやりたい。

何もできなくて人のお世話になってばかりの身体でしたが、娘の存在が「してやりたい」という未来への希望に変わり、私のリハビリの原動力になっていました。

入院当時、娘は小学校6年生だったので「なんとか卒業式に行きたい!」というのがリハビリの目標でしたね。それがあったので、辛くても頑張ることができていました。


先日成人を迎えた娘さん「りこちゃん」と佳奈さん
お二人はとっても仲良し

仲間との互助を活かして

かわむー
かわむー

急性期病院での治療が落ち着いた後は、リハビリ専門の病院に転院されたそうですね。

転院後は、どのようなリハビリをされたのですか?


佳奈さん
佳奈さん

最初に運ばれた病院に2ヶ月半入院した後、脊髄損傷の専門のリハビリ病院に転院しました。そこには約1年半入院することになります。

そこではまず、プッシュアップという腕でお尻を持ち上げる練習をしました。とにかく大変でしたが、それができるようになると車椅子に乗り移りする練習にすすめるため、必死に頑張りました。

その後は、理学療法では立つ・歩く練習、作業療法は着替え化粧の練習へと進んでいきました。その中でも特に、化粧の練習には力を入れていました。退院したあとはすぐにでも社会復帰したかったので、私にとって化粧をすることは必須条件だったのです。手に化粧筆をぐるぐるに巻き付けてやってみるなど、作業療法士さんの知恵もかりながらたくさん練習しました。

また、当時リハビリ以外の時間でめちゃくちゃ効果的な練習になっていたものがあります。それは、スマホゲームの「ツムツム」です。空き時間や夜眠れない時にずっとツムツムをしていたら、めちゃくちゃ手先の練習になっていました。

リハビリ仲間同士で、ゲームにもう1回挑戦できる「ハート」を送りあうなどして、楽しみながらリハビリをしていました。


かわむー
かわむー

私も一時ものすごくハマっていた「ツムツム」が、まさかこんな素晴らしいリハビリになるとは! 楽しみながら、さらにはリハビリ仲間同士で支え合う互助の役割も果たすなんて、すごいですね…!

娘さんの存在が原動力となっていたお話もそうですが、リハビリの継続には「誰かのために」というの存在や役割が必要だと改めて感じます。


佳奈さん
佳奈さん

当時入院していた仲間には女性が多く、いつもみんなでワイワイとしながら支え合っていました。

病院のご飯だけでは満足できないこともあったので、差し入れに買ってきてもらったウインナーを2つずつラップにくるんでは、電子レンジでチンしてみんなで食べていました。

また、お湯をかけて作るタイプのわかめスープや卵スープを、リハビリ後のご褒美といってみんなで飲むのも楽しかったですね。コップは、使用後に洗わないで済むように100均のプラスチックのコップの中にさらに紙コップを入れて使っていました。

私は、そのご褒美ウインナーとスープをみんなに配給する係だったので、紐がついたお盆を首から下げて膝にのせ、みんなに「今日のご褒美ですよ〜」と配ってまわっていました(笑)

こぼさないように、ゆっくりゆっくり車椅子を漕ぐんです。今思えば、あれも良いリハビリになっていましたね。

その他、化粧の練習も仲間たちと一緒にやっていました。良い方法や商品などを紹介しあうんです。やはり、同じ障害を持たれた方の生の声・口コミほど信頼できるものはないですね。当時の仲間の存在には、その後もかなり支えられています。



その後、1年2ヶ月のリハビリ生活を経て自宅に退院しました。その時、私はなんとがぎりぎりベッドへの移乗が一人でできるレベルでした。そのため、家に帰ってからもリハビリは継続です。

家での自主練習では、あえて背中にクッションをいれて作業(洗濯物たたみ)をすることで体幹を鍛えてみたり、筋肉に刺激をあたえるパッドを貼って鍛えてみたりと色々と実践しました。

週に4日の訪問リハビリと週に1日の通院リハビリを継続し、とにかく退院した時のレベルを落とさないようにするのに必死でした。


いつも明るくムードメーカーの佳奈さん
頑張って習得した化粧
フックタイプのピアスも自力で付けられるようになった
最近では料理にも挑戦する

再生医療に向けた想い

かわむー
かわむー

現在、佳奈さんが取り組まれているリハビリの内容について教えて下さい。


佳奈さん
佳奈さん

現在も継続している週に4日の訪問リハビリでは、バランスボールを使った体幹の筋力練習バランス練習、手すりを使って歩く練習、さらには両手にロフストランド杖をもって屋外を歩く練習をしています。


以前は理学療法士さんが来てくれても、準備運動のストレッチだけでかなり時間がかかっていたので、そのストレッチを最近は自分でするようにしています。そうすることで、ちょっとでも運動のリハビリを長くとることができるんです。

リハビリでは、徐々に回数が増やせたり上手に歩けるようになったりした時に成長が感じられますが、毎日リハビリを続ける中でなかなか昨日今日でその変化を感じることはできません。それでも、「いつかできるようになる!」という日を想像するんです。

そして、その「いつか!」が来た時、「できた!」となった時には、リハビリの先生や娘、友達が「やったじゃ~ん!」とものすごく褒めてくれます。

私はその瞬間が一番嬉しいですし、それがリハビリを続ける楽しみになっています。


かわむー
かわむー

佳奈さんらしい、とてもすてきな原動力だと感じました。溢れんばかりのパワー、素晴らしいです!

現在のリハビリの目標は何ですか?


佳奈さん
佳奈さん

私は、やりたいことがたくさんあります。

みんなと同じ目線の世界をもう一度見てみたい。皆と肩を並べて歩きたい。島の出身なので浜辺も行きたいし、一人で買い物にも行きたい。高い所のモノをとれるようになったり、映画館も1番前(車椅子専用)じゃ首がしんどいから、後ろの席に座ったりできるようになりたいんです。

そんな夢を叶えるために、実は、今年の7月「再生医療」に挑戦します。

そこに向けて、今はとにかく歩く練習を頑張っています。

家の中では車椅子を卒業し、できるだけ歩行器で移動するよう機会を増やしています。さらに、娘が6月から海外に留学することになりました。なので、これからは一人で買い物に行けるよう、自動車を運転する際の車椅子の積み込みを今は練習中です。

もう一度歩けるようになるという大きな目標に向けて、できることをコツコツと積み重ねていきます。


かわむー
かわむー

何事も諦めずに、常に前を向いて突き進まれる佳奈さんの姿にとてもパワーをいただきました。

6月からの一人生活、そして、7月からの再生医療とリハビリ生活。心から応援しています!

佳奈さん、頑張って下さいね!


実際にバランスボールを使ったリハビリに取り組まれる佳奈さん
退院当時より、かなり体幹が安定してきてる
玄関から車までの端距離は歩けるように…!

新築のご自宅/工夫ポイント

かわむー
かわむー

実際に新築のご自宅にお邪魔し、設計時に工夫したポイントをご紹介いただきました。


■ 食卓・作業机
車椅子でも入りやすいようにテーブルではなくカウンターに

調理をしてそのまま提供・配膳できるように導線も考えられている
仕事や作業にも使用(写真は、メディカルアロマセラピスト&アドバイザー佳奈さんによるハンドクリーム教室の様子)


トイレ
広々とした空間で手すりも充実


■ トイレの壁
立位でズボンの上げ下げができるように、頭で支える部分におしゃれなクッションを設置

洗面台
車いすでも鏡が見れるように、洗面台の下部分まで鏡に変更


浴室
移乗がしやすいように高さ・スペースを確保し、浴槽の中には段を作った。しっかりと肩まで温まれるように、浴槽上部からお湯が出てくる機能を追加。


■ 壁
車いすで壁が傷つかないように、床上10cmは壁紙をなくした


ソファ
移乗しやすい高さ、ベッドとしても使える幅の広いものを採用


かわむー
かわむー

自宅にはまだまだたくさん、佳奈さんが暮らしやすいように工夫されたポイントや道具が取り揃えられていました。

実際に見させていただいたことで、非常に学びとなりました。佳奈さん、ありがとうございます。



メッセージ

かわむー
かわむー

最後に、リハビリを始めた頃のご自身へメッセージがあればお願いします。


佳奈さん
佳奈さん

上り坂でも下り坂でもない!えっ?まさか!の坂に落ちた自分へ

悔しかったし、辛かったし、真っ暗だったよね。

何より情報のなさが、その暗さに拍車をかけてた。

どうしたらいいの?ばっかりだった。そんな自分へ

焦らない。比べない。諦めない。とにかく目の前のことに向き合い、ひたむきに努力を続けた自分は、間違いなかったよ!

できなくなったことを数えるより、またできるようになったことを数えてみようね。大丈夫だよ。


そう、当時の自分に伝えたいですね。


かわむー
かわむー

佳奈さんのメッセージを聞きながら、目頭が熱くなりました。

さまざまな困難を乗り越え、尚且、これからも次のステージに向けて階段を登り続けるその姿は、多くの方の希望の星となりパワーを与え続けてくれます。

いつも明るい佳奈さんの、辛く大変だった時の原体験や有効なリハビリ方法、また原動力となったことなどたくさんお伺いすることができてとても勉強になりました。

佳奈さん、貴重な声をお聞かせいただき本当にありがとうございました!


続くこちらの記事では、佳奈さんが運転再開にむけて歩まれた過程方法についてご紹介します。引き続き、御覧ください。




かわむー
かわむー

佳奈さん関連情報

リハノワ記事:「佳奈さんの自動車運転再開ストーリー」
佳奈さんInstagram


一部写真提供:まっさん(カメラマン/理学療法士)



(取材の最後に、最高の笑顔をいただきました…!)




以上、本日は8年前に頸髄を損傷するも、現在、再生医療にむけて懸命にリハビリに取り組まれている藤井佳奈さんを紹介させていただきました。


一人でも多くの方に、佳奈さんの素敵な想いと魅力がお届けできれば幸いです。


最後まで読んでいただきありがとうございました。


今後ともリハノワをよろしくお願いいたします!


かわむーでした。




この取材は、施設から同意を得て行なっています。本投稿に使用されている写真の転載は固くお断りいたしますので、何卒宜しくお願い申し上げます。



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※取材先や取材内容はリハノワ独自の基準で選定しています。リンク先の企業と記事に直接の関わりはありません。

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