みなさんこんにちは、リハノワのかわむーです!
今回は、岡山県にある玉野総合医療専門学校岡山県にお邪魔し、非常勤講師を務める車椅子の看護師・三井和哉さんにお話を伺いました。
三井さんは、10年前に頸髄を損傷し車椅子となるも、現在は事務職員として働く傍ら、教育現場やYoutubeでの情報発信活動に力を入れられています。
本記事では、当事者と医療者どちらの視点も有する三井さんの、受傷当時のリハビリの様子や現在力を入れていることについて紹介します。
三井和哉さん
◆ 三井和哉(みつい・かずや)さん
1989年生まれ、鳥取県出身。幼少期から運動神経が良く、中学校から始めたバスケットボールでは、178cmの高身長も活かされ全国大会に出場。腕を骨折して理学療法士にお世話になったことから医療業界に興味をもち、高校卒業後は看護師の養成校に進学。2012年看護師と保健師免許を取得し、鳥取県の病院に就職。救急医療を学びたいという思いからICUへの配属を希望し、新卒1年目から重症患者さんの看護にあたった。同8月中旬、事故により頸髄損傷(C6BⅡ)を受傷し自身の働く病院に搬送、治療を受けた。その後、岡山県の脊損専門病院に転院し、2014年3月に退院。1年程自宅療養した後、2015年より看護師として勤務を再開。2017年から現職(事務職)。2019年より看護専門学校での非常勤講師を担当し、2021年からはリハビリ学生への授業も担当している。2021年9月YouTube「みついちゃんねる」を開設し、医療者と患者、両方の視点から脊髄損傷に関する情報を発信中。
受傷当時の記憶
看護師としてICUという医療現場の最前線でお仕事をされていた三井さんですが、車椅子生活を余儀なくされた大事故に遭われたのは22歳のことだったのですね。
受傷当時の記憶や入院生活、その後のリハビリについてなど、覚えている範囲でお話をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか。
新人看護師として病院のICUで働きはじめて、4ヶ月が経過した8月のある日。僕は、休日を兄夫婦や友人と楽しむために海に遊びに出かけていました。そこで、悲劇がこります。
みんなで海に入って遊んでいたところ、僕が飛び込んだところがたまたま浅瀬になっていて、身体を強くぶつけてしまったのです。
その瞬間、僕は「足と手が折れた!」と思いました。身体を動かすことができず、頭が下になったまま海にうつ伏せの状態のまま浮かび上がりました。寝返りをしようとしても身体は全く動きません。
異常事態に気づいた兄が、僕を海から浜辺まで引っ張り上げてくれました。当時、整形外科の看護師として働いてた義姉は、その状況の深刻さに気づいていたと思いますが、「大丈夫だよ」と声をかけ続けてくれました。
すぐに救急車がきて、僕は病院に搬送されました。
当時のことをかなり鮮明に覚えていらっしゃるのですね。海で突然身体が動かなくなり、相当怖い思いをされたことと思います。お兄さんがすぐに異変に気づき救助して下さったのは不幸中の幸いでしたね。
そうですね。当時の記憶も、結構鮮明に覚えています。
海水を飲んだのか呼吸が苦しかったため、「マスク、10リットルでいってください!!」と救急隊の方に酸素を要求したのもはっきりと記憶しています。
搬送先の病院は、僕の職場でした。救急外来に運ばれた瞬間、知っている看護師ばかりに囲まれ、中には泣き出す人もいました。僕も処置をしてもらいながら、悲しくて情けなくて仕方ありませんでした。
その後、直ちに手術が必要だと判断され、2〜3時間後に頚椎を固定する手術を受けました。
麻酔が切れて目が覚めると、僕はICUのベッドの上にいました。
隣のベッドには、昨日まで看護していた患者さんが寝ています。
僕はその日から、指導看護師や仲間の看護師に処置やケアをしてもらうことになりました。下の世話もしてもらわなければならないことで自尊心はボロボロ、今思い返してもあの時は本当に辛かったです。
リハビリの歩み
入院時のリハビリ
私も臨床時代は三井さんと同じくICUで働いていたため、当時の光景が容易に想像でき胸が苦しくなりました。まさか自分の病院で、昨日まで一緒に働いていた人たちにお世話になるとは。その辛さは、想像を絶するものだと思います。
ICUに入室して、その後の治療やリハビリはどのように進んでいったのでしょうか?
入院して1週間は大量の海水を飲んでしまっていたせいか、呼吸をすることが苦しかったため、本格的なリハビリが開始したのは2〜3週間後でした。
医師には「車椅子になりますよ」と言われましたが、僕は「リハビリを頑張れば、将来歩けるようになるから大丈夫」と思っていました。今思うと、障害受容プロセス(※1)でいうところの「否定」をしていたのだと思います。
その後、担当のリハビリの先生に「今後、僕はどうなりますか?」と質問したところ、将来は電動車椅子になる可能性を指摘されました。
僕はその先生のいうことを「そうなんだ…」と信じ、とても落ち込みました。
最初の病院に入院中、理学療法では寝返りの練習と呼吸のリハビリを実施しました。胸郭を柔らかくするためのストレッチは、後にとても良い影響を及ぼしました。作業療法では、ペグを使った卓上の練習やパソコンの操作練習を行いました。
※1) 障害受容は、「ショック期」「否認期」「現実に直面期」「受容期」を経て、障害を克服していくと考えられています。(フィンクの危機モデル)
最初は電動車椅子になる可能性も指摘されていたのですね。心を保つのが大変だったと思います。
三井さんはその後、リハビリ専門の病院に移られたのですか?
数ヶ月後、岡山にある脊髄損傷専門のリハビリ病院に転院しました。
そこで出会った作業療法士の赤澤壮介先生に、これまでの経過や生活環境などを話しました。その上で、「君は車に乗ることを目標にしたいから、そのために必要な筋力の練習や、移乗の練習、柔軟性をつけるためのストレッチをおこなうよ」と言われたのです。
僕はびっくりして、何度も確認しました。
「僕は、車に乗れるんですか?スボンを履いたり、一人で乗り移りをしたり、食事もできるんですか?」
「もちろんだよ。一緒に頑張ろうね」と、先生は笑顔で答えてくださいました。
明確な目標を共有してもらったことで、そのために必要なリハビリメニューにも納得がいきました。この時初めて、退院後の生活をイメージすることができ、希望が見えたように思いました。
それから毎日、僕はリハビリを継続しました。自動車は退院3ヶ月前に納車され、それから毎日、作業療法の時間では車の乗り降りや運転の練習を行いました。
そして2014年3月、事故から1年7ヶ月後、僕は自宅に退院したのです。
最近では、疾患に関する情報は比較的得やすくなっている一方で、リハビリメニューに関する詳細な情報は意外と出てこないのではないかと思います。
急性期は予後が立てづらい状況ではありますが、患者さんのリハビリに対するリテラシ―は疾患に比べて低いのが現状です。改めて、患者さんが不安を感じないようなコミュニケーションのとり方について考えさせられました。
※三井さんの運転リハビリに関する記事がこちらにまとめています
現在のリハビリ
退院後は、どのようなリハビリをされましたか?
家に帰ったあとは週に1回訪問リハビリを利用し、関節を動かす練習や筋トレを実施しました。
月に1回は病院の外来に通院していましたが、それ以外は外出する気になれず、引きこもり生活を送っていました。そんな生活が約1年続いた頃、ある方との出会いがきっかけで、看護師としてクリニックで仕事を再開することになります。
仕事は良いリハビリになりました。外出や就労にあたり、より効率的に身体を動かすために自分で考えながら動くようになったのです。
2017年に岡山県へ引っ越し、1年間ほど「倉敷ロボケアセンター」という保険外のリハビリ施設に通いました。2週間に1回、腰回りの筋トレを機械を用いて実施しました。
コロナが流行しはじめてからは通うのをやめ、現在は、家でダンベルを用いた筋トレを行っています。メニューは腕の筋トレが中心です。
1.5kg〜3kgのダンベルを使用し、①肘曲げ ②肩の外転運動 ③肩を前方に動かす屈曲運動などを行っています。
本当の “信頼” を問う
入院中や退院後の暮らしで、三井さんが苦労したことや大変だったことなどがあれば教えて下さい。
周りからはよく「順調に回復したね」と言われますが、決してそうではありませんでした。実は、入院中はずっとやる気のない状態が続いていたのです。
頭のなかで、病棟を駆け回り看護師として活躍する自分、インターハイに出場した頃のようにバスケで活躍する自分、お金を稼いでいる自分を妄想しては、現実逃避していたのです。
入院中は何度「死んでしまいたい」と思ったか分かりません。それでも、家族が悲しむ姿を想像しては思いとどまっていました。
僕は入院中、他の患者さんや担当外の医療スタッフとは話すことなく病室に引きこもっていましたが、唯一、心を許せたのが担当セラピストの方々(PT、OT)でした。おふたりとは毎日雑談をしながらリハビリしていたので、次第に信頼関係が深まっていきました。
今日はリハビリやりたくないな…と思っても、「大丈夫、やろう!」と誘われると自然に身体が動くのです。
あの時、なかば強制的にリハビリに誘ってくれていたことにはとても救われました。「この人が誘ってくれるなら…」という深い信頼関係があったからこそ、辛いリハビリにも頑張って取り組むことができたのです。
退院後は1年ほど引きこもりの時期がありましたが、家族の手厚いサポートが受けられない状況となり、甘えてはいられなくなりました。僕は目標を「一人暮らし」と掲げ、奮起しました。
入院中は、信頼をおく2名のセラピストに支えられたとのことですが、三井さんが思う「信頼できる医療者」について考えをお聞かせ下さい。
脊髄損傷の患者さん同士って病棟でよく井戸端会議をしているのですが、そこでは、「ドラマの話をするのは看護師Aさんで、相談ごとは看護師Bさんだよね」といったように、雑談などのコミュニケーションを頻繁にとっていたとしても、信頼は別物だといった内容の話をしているんです。
僕もそれには同感でした。
信頼できる医療従事者とは、やはり「知識がある上で言葉のキャッチボールができる人」だと思います。
コミュニケーション=信頼関係と思っていまいがちですが、その人に知識がないと心の底から信頼はできません。
今の教育では雑談のコミュニケーション力が大切にされる風潮がありますが、一概にそうとはいえないのではないでしょうか。患者さんのために学び続ける医療従事者こそが、現場や患者が求めている理想ではないかと考えます。
僕の原動力
三井さんの現在のリハビリの目標や、モチベーションを保つ原動力となっていることを教えて下さい。
現在の目標は2つあります。
1つは、夏に生まれたばかりの息子(0歳)と一緒に家族旅行にいくこと。
もう1つは、会いたい人に会いに行くことです。
その目標をかかげ、「みんなと楽しい時間を過ごすぞ!」というのが、リハビリのモチベーションを保つ原動力になっていると思います。
僕の体調が良いことは、みんなにとっても良いことだと言い聞かせながら、日々体調管理にも気をつけています。
三井さんには、生まれたばかりの息子さんがいらっしゃるのですね!
せっかくなので「子育て」に関してもお聞かせ下さい。生まれる前後での心境の変化や新たな発見などはありましたか?
生まれてくる前は、自分で抱き上げることはできないので、泣いていても上手くあやせられないんじゃないかとか、色々と不安に思うことはありました。
しかし、実際に息子が生まれ子育てが始まると、意外とできることがあるのが分かりました。ミルクもあげれるし、妻がお風呂のときはずっと抱っこすることもできます。
今後は、子どもの自我が芽生えた時に、親が車椅子ということについてどう話すかはゆっくり考えたいです。
いろいろと心配はありますよね。でも、健康なお父さんのように一緒にキャッチボールなどはしてあげることはできませんが、親が車椅子という他の子にはない経験を強みにして、誰にでも優しい子になってほしいと思っています。
発信という新たな挑戦
現在、三井さんが力を入れて取り組んでいることを教えて下さい。
当事者と医療者どちらの視点ももっていることを強みとして、看護学生やリハビリ学生、脊髄損傷者や家族に向けた情報発信や教育に力をいれています。
2019年から玉野総合医療専門学校の看護学生を対象に授業を持つようになり、さらに2021年からは、リハビリ学生の授業も担当するようになりました。最近では他の大学からもオファーがあるなど、少しずつ活動は広がってきています。
授業では、脊髄損傷の人の生活や暮らし、身体機能の評価方法や自助具・トイレの紹介、移乗や更衣動作、運転方法、心理面や性に関する話まで、幅広くお伝えするようにしています。
また、2021年に開設したYouTube「みついちゃんねる」でも、上記と同じような内容を5〜10分程度の短編動画で配信しています。
講義を受けた学生は復習として動画を見てくれているようで、「理解がさらに深まった」「脊損に興味を持った」など嬉しい声を聞かせてくれます。
みついちゃんねる、私もチャンネル登録して見させていただいています!
チャンネルにはたくさんの動画がアップされていますが、なかでも特に三井さんが「これは絶対見てほしい!」という動画があれば教えて下さい。
そうですね、まず、同じような脊髄損傷当事者の方やそのご家族には、褥瘡やシーティング、マットレスなどの「身体の管理」に関する動画を見てほしいです。
看護学生や看護師には、実際に看護師から言われて感謝した言葉など「コミュニケーション」に関する動画を見てもらいたいです。
明るい未来への道
最後に、三井さんが今後チャレンジしたいことがあれば教えて下さい。
今後は、授業や講演活動にもっと力を入れていきたいと思っています。多くの場所に行き、多くの人と出会い、多くの人に直接僕の声を届けたい。
ぜひ、僕に少しでも興味を下さった方はお声がけいただけると嬉しいです。
その他、車椅子ユーザーでありながら、さまざまな業界に飛び込み活躍している人の話も聞いてみたいです。一見できないと思われそうな仕事をやっている人とか、サーフィンやスキーを趣味にしている人とか。
僕は、もっと前向きなことを話したり、自分が聞いて学びや励みになる場に行きたいです。
今はとにかく色んなことに挑戦したい。そんな思いで日々を過ごしています。
日々仕事をする傍ら、発信活動や授業をおこなう非常に活動的な三井さんですが、さらに高みを目指して進み続ける姿にとってもパワーをいただきました。
当事者と医療者、どちらの視点も有した方はなかなかいらっしゃらないと思います。ぜひ、これからも三井さんにしか届けることのできないリアルな声を、ひとりでも多くの当事者や医療関係者に届け続けてほしいと感じました。
ぜひ、リハノワもその活動を応援させて下さい!
三井さんのさらなるご活躍をこれからも楽しみにしております。
取材に協力いただいた三井さん、作業療法士の赤澤さん、玉野総合医療専門学校の関係者の皆様、本日はありがとうございました。
※ 続くこちらの記事では、三井さんの「運転リハビリ」に特化した内容をお届けしています。当時の担当OT赤澤さんのコメントも多く掲載しておりますので、興味のある方は是非ご覧下さい。
<三井さんの関連情報>
・三井さんと運転リハビリ
・YouTube「みついちゃんねる」
・Instagram
ぜひ合わせて御覧ください。
写真提供:くらしフォトグラファー・しんたろう
以上、今回は車椅子の看護師・三井和哉さんをご紹介させていただきました。
一人でも多くの方に、三井さんの魅力と素敵な想いがお届けできれば幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
今後ともリハノワをよろしくお願いいたします!
かわむーでした。
この取材は、ご本人から同意を得て行なっています。本投稿に使用されている写真の転載は固くお断りいたしますので、何卒宜しくお願い申し上げます。
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