【当事者の声】「まぁいっか」って思えるようになった瞬間、世界が変わった|肢体不自由ピアカウンセラー 土井畑京子さん

みなさんこんにちは、リハノワのかわむーです!

今回は、大阪府河内長野市の当事者会「ゆっくりいっぽ仲間の会」にお邪魔させていただき、21年前に脳出血を発症し左半身麻痺となるも、現在はピアカウンセラーとして精力的に活動される土井畑京子さんにお話を伺いました。

本記事では、土井畑さんが病気を発症した当時のことやリハビリ内容、ピアカウンセリングや原動力、さらには過去の自分に向けたメッセージをご紹介します。

土井畑 京子さん

◆ 土井畑京子(どいはた・きょうこ)さん
1964年大阪府出身 / ピアカウンセラー

二児の母をしながら化粧品の販売員として活動していた37歳の時、脳動脈奇形破裂による脳出血を発症し、左半身麻痺となる。痙性による痛みが強く、さらには日々の家事や子育ての忙しさからなかなか思うようなリハビリができず、15年が経過。ピアカウンセリングに出会い、少しずつ考え方が変化した。現在はピアカウンセラーとして、大阪市河内長野市の社会福祉協議会や当事者会でピアカウンセリングを実施。また、2021年11月に会社を設立し、ピア事業を展開。左半身に麻痺は残存するものの、装具や杖なしで歩くことが出来る。改造車の運転をおこない、日々精力的に活動している。

脳出血後の歩み

かわむー
かわむー

土井畑さんが脳出血を発症したのは、今から21年前のことだったのですね。

発症当時の記憶や入院生活、その後のリハビリなど、覚えている範囲でお話をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか。


土井畑さん
土井畑さん

今から21年前の8月20日。当時37歳の時に、脳動脈奇形破裂による脳出血を発症し、左半身麻痺となりました。

私には2人の子どもがいますが、当時まだ子育て中だったこともあり、「何としてでも良くなりたい!」と、とにかく身体を良くすることに必死でした。

急性期病院に入院中、しっかりとリハビリができる施設はないだろうかと色々と調べました。そのなかで、ボバース記念病院の存在を知ったのです。

早速、ボバース記念病院にリハビリ入院をしたいと申し出ましたが、あいにく病床が空いておらず、1ヶ月間だけ別の病院でリハビリをした後に転院しました。


当時のリハビリの記憶としては、とにかく作業療法の時間が苦痛だったのを覚えています。左腕の痙性(脳の障害のため筋肉の緊張が高くなる状態)が強いため、腕にしこりのような塊ができてたんです。それをほぐしながら腕を動かしていたので、とにかくリハビリは痛みとの闘いでした。


イギリスで生まれた「ボバース概念」とは、脳卒中によって生じる運動麻痺などに用いられる、個別の徒手介入を基本とした問題解決型アプローチです。


かわむー
かわむー

入院中は、痛みでなかなか思うようにリハビリができなかったのですね。

退院後のリハビリや痙性による痛みの対処はどうされていたのでしょうか。


土井畑さん
土井畑さん

退院して15年ほどは、いわゆる「がんばるリハビリ」を続けてきました。「多少の痛みは我慢してください」と言われながら、ひたすら麻痺した手足を動かす練習をするのです。

次第に身体全体が硬くなり痛みも強くなりましたが、それでも、リハビリをやめるのは不安でした。5年おきくらいに場所を変えては、藁にもすがる思いで様々なリハビリを試してきました。

また、痙性に対する「ITB療法(バクロフェン髄注療法)」という筋肉の緊張を和らげる治療(手術)も行いました。

この治療は、脊髄へ直接、筋弛緩薬(バクロフェン)を作用させることによって筋肉を和らげます。バクロフェンを入れたポンプを手術によってお腹に埋め込み、ここから薬を流すカテーテルを脊髄まで通します。筋肉を和らげる薬が持続的に微量注入されることで、痙性が緩和するといった治療法です。

7年に1回はポンプを取り替える手術をしなければならないのですが、日々の痙性や痛みが緩和されるのでとても楽になりました。


リハビリの選択肢


かわむー
かわむー

様々なリハビリや痙性に対する治療を行われてきたのですね。

いわゆる「がんばるリハビリ」を15年間継続されたとのことですが、その後の歩みについても教えて下さい。


土井畑さん
土井畑さん

がんばるリハビリが嫌になり、5年程前にネットで「脳卒中・リハビリ」で検索しました。すると、「動きのコツ研究所リハビリセンター」に辿りついたのです。

まずは体験会へ。その後、お試しで3回行ってみました。1回目と2回目は効果はさほど分かりませんでしたが、3回目で「違う…!」と身体の変化を実感したのです。

動きのコツ研究所では、言葉の表現を大切にします。例えば、「腕を伸ばす」という言葉は「腕を広げる」に変換して、イメージを膨らませながら動かしていきます。

「足の裏に体重を乗せる」というのも、「足の裏でうける」と頭の中で置き換えたら、うまく麻痺側の足に体重がかけられたのです。

このように、自分の中にすっと入ってくる「力まない言葉」や「動きのコツ」を探りながらリハビリをすすめていく方法が、私にはあっていました。痛みを我慢しながら行う「がんばるリハビリ」ではない新しい方法に、可能性を感じました。

5年間継続し、最近では「そろそろ卒業でもいいかもね」と先生と話しています。

現在は、病院での外来リハビリと接骨院、訪問マッサージをそれぞれ週に1回ずつ受けています。2年前に家で転倒してしまい、大腿骨を骨折して手術をしたので、筋力や体力をつけるように手厚くリハビリしています。

また、孫が生まれたので、最近では片手で孫を抱く練習やオムツをかえる練習もしています。



ピアカウンセリングの力

かわむー
かわむー

病気の発症からこれまで歩んでこられたなかで、大変だったことや苦労したことがあれば教えて下さい。


土井畑さん
土井畑さん

発症して十数年は、「しなければならない」「こうでないといけない」と、常に自分を追い詰めながら過ごしてきました。

6歳と10歳の子どもの子育てと家事でいっぱいいっぱいで、固まった手を動かしてリハビリをする余裕がありませんでした。日々を過ごすことだけで必死の状態だったのです。

私はもともと化粧品の販売員をしていたため、毎日化粧をして、パンプスを履いて、身なりにはとても気を使っていました。そのため、装具はいやでいやでしょうがありませんでした。

十数年たってから、やはり装具を持っておけばよかったなと後悔することになるのですが、当時はせっかく作った装具が受け入れられず、捨ててしまったのです。

心に余裕が持てず、自分自身との向き合い方に苦労しました。


かわむー
かわむー

当時37歳、仕事も子育ても現役バリバリだったこともあり、相当辛く、苦しいご経験をされたことかと思います。

土井畑さんの気持ちや考え方が変わったきっかけは何だったのでしょうか。


土井畑さん
土井畑さん

発症して10年が経過した頃、初めてピアカウンセリングを受けました。

ピアカウンセリングの「ピア」とは、仲間や対等な立場の人を表しています。 ピアカウンセリングとは、同じ背景を持つ者人同士が対等な立場で話を聴き合うことです。

ピアカウンセリングを受けることで、それまでは障がい受容できていなかった私が少しずつ変わっていったんです。月2〜3回のピアカウンセリングを3年くらい続けました。

みんなの前で話すことで気持ちが楽になり、「こうでなければならない」といった変なこだわりから徐々に開放されていきました。

「こんな考えの人もいるのね」と多種多様を受け入れられるようになり、それが、自身の障がい受容にも繋がったように思います。

「お願い…!」と、人に頼ることができるようになったのも、ピアカウンセリングを受けてからでした。



かわむー
かわむー

ピアカウンセリングとの出会いが、土井畑さんにとって大きな変化となったのですね。

現在行われているピアカウンセリングの活動について教えて下さい。


土井畑さん
土井畑さん

3年ほどピアカウンセリングを受けた後、今度は私も提供する側になりたいと思い、講座を受け続けながらピアカウンセラーとしての活動をはじめました。今から8年程前です。

現在は、週に1回、ピアセンターかわちながのでピアカウンセラーとして勤務しています。外出が難しい方は、担当者と一緒に自宅まで訪問することもあります。

また、大阪府河内長野市の当事者会「ゆっくりいっぽ仲間の会」を立ち上げ、そこでもピアカウンセリングを取り入れた定例会を実施しています。

3ヶ月に1回開催する本当事者会には、毎回10人程度のメンバーが参加します。ピアカウンセリングの他、ゲームなどのレクレーションをしたり、ゲストを招いて体操をしたりしています。


かわむー
かわむー

ちょうど取材で伺った日は、脳卒中当事者の辻ありささんによる「フラリハ講座」が開催されていました。

開場には素敵な時間が流れており、みなさんとても豊かな表情をされていました。


大阪府河内長野市の当事者会「ゆっくりいっぽ仲間の会」
フラリハ講師・辻ありささん

私の原動力

かわむー
かわむー

いろんなことに挑戦されている土井畑さんの活動の原動力は、一体何なのでしょうか?

また、リハビリを継続するためのモチベーション維持の秘訣もあれば教えて下さい。


土井畑さん
土井畑さん

私は、自分がロールモデルとなることで、過去の自分と同じように困っている人の役に立ちたいと思っています。

発症当時、私は痛みで作業療法をまともにできないまま退院したため、自宅に帰って困ることがたくさんありました。しかし、周りには頼れる人が誰もいませんでした。

日常生活で「できない」ことが、ちょっとした工夫で「できる」に変わった瞬間、人生はとても豊かになります。そのため、「これ使ったら良いよ!」などのお役立ち情報を、同じように困っている人に伝えていく活動をしています。

また、モチベーションを維持するためには、細かい目標設定が大切だと思います。

例えば、私がここ数年続けてきたリハビリでは、当初の目標を「スリッパを履くこと」と設定していました。片足に麻痺があると、バランスを保ちながら履くのが難しいからです。

それがクリアできたら、今度は「子どもの結婚式に草履と着物で出る」ということを目標に設定しました。この目標を達成するには1年ほどかかりましたが、なんとか達成することができました。

リハビリ過程の様子をFacebookに動画で投稿していたら、友人の背中を押すこともできたようでした。

「できない」を「できた」に変えていく。

これは私が大切にしている考え方です。根拠はないけど「できる!」と思って何でも挑戦することで、それがいつか「できた」に変わるのです。


かわむー
かわむー

人の役に立ちたいという強い想いが、今の土井畑さんの活動の原動力となっているのですね。

実際に、土井畑さんが関わられている「ぴあセンターかわちながの」の情報コーナーには、日常生活や家事、運転の際に活用できるお役立ち情報が綺麗にまとめられていました。かなり有益な情報なので、是非ご覧になると良いかと思います。(記事下部にもリンクを掲載しています)

ちなみに、土井畑さんの現在の目標はなんですか?


土井畑さん
土井畑さん

今は、左手を使った「できた」を一つでも増やしていきたいと思っています。

麻痺した手が100%治るのは難しいのだけれど、今の身体で出来ることを考えていきたいです。

また、私は2021年の11月、ピア事業を本格始動するために会社を設立しました。

ピアカウンセリングやそれに関する講演会はもちろん、医療学生との交流や障害者でしかできない仕事づくりをすすめていきたいと考えています。今後はさらに、事業の発展を目指して活動をしていきます。


過去の自分へメッセージ

かわむー
かわむー

最後に、リハビリを始めた頃の自分に向けてメッセージをお願いいたします。


土井畑さん
土井畑さん

「変なこだわりで自分を苦しめ続けなくいいんだよ」

「そんなに頑張らなくてもいいよ」

と、伝えたいです。

「まぁいっか」って思えるようになると、その心のゆとりが自然と身体の緊張の緩みにも繋がっていきます。

自分は一人じゃない、仲間がいる、と思えた瞬間、とても心が楽になるよ。だからどうか、顔を上げてみて。

と、優しく伝えたいですね。



かわむー
かわむー

今、この記事を読んでいる人の中には、もしかしたら孤独を感じ、辛く悲しい思いをしている方がいるかもしれません。土井畑さんが過去のご自身に送られたメッセージは、そういった方にも優しく寄り添いながら、心に届いたのではないかと思います。

今回、私は土井畑さんのお話を聞いて初めてピアカウンセリングを知りました。実際のピアカウンセリングにも触れるなかで、臨床現場にはピアカウンセリングで救われる方がたくさんいるのではないかと思いました。ぜひ、選択肢の一つとして多くの方に知っていただきたいです。

ご自身の辛い経験から現在は前を向いて歩み続けている土井畑さんの姿は、多くの方に大きな希望とパワーを与えてくださいます。私自身も、お話を伺いながらとても胸が熱くなりました。

これからも、土井畑さんのご活躍を心から応援しております。

お忙しいなか、丁寧に取材に対応して下さった土井畑さん、当事者会の皆様、本当にありがとうございました。





写真提供:くらしフォトグラファー・しんたろう


以上、今回は21年前に脳動脈奇形破裂による脳出血を発症し左半身麻痺となるも、現在はピアカウンセラーとして精力的に活動されている土井畑京子さんを紹介しました。

一人でも多くの方に、土井畑さんの素敵な想いと魅力がお届けできれば幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

今後ともリハノワをよろしくお願いいたします!


かわむーでした。

この取材は、施設から同意を得て行なっています。本投稿に使用されている写真の転載は固くお断りいたしますので、何卒宜しくお願い申し上げます。

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