【リハノワ誕生秘話】情報という “選択肢” を届けるためにー。|運営代表・河村由実子

みなさんこんにちは、リハノワの運営代表のかわむーこと河村由実子です。

本記事では、リハノワが誕生するまでのストーリーやリハノワの目指す世界観についてお話させていただきたいと思います。

メディア運営をはじめて2年が経過しましたが、改めて文字にまとめたことがなかった事に気づき、今回この記事を作成させていただきました。

少々長くなるかもしれませんが、もしよければ最後までお付き合いいただけると幸いです。

◆ 河村由実子(愛称:かわむー)
リハノワ代表/認定理学療法士(呼吸)
1991年2月25日広島県廿日市市生まれ。2013年理学療法士免許取得後、亀田総合病院にて勤務。2017年から県立広島病院でICU専任理学療法士として従事。病院で働く傍ら、2019年よりFMラジオ局にてメインパーソナリティーとして活動。また、WEBメディア「リハノワ」を立ち上げ日本全国の医療介護福祉の現場を取材し記事を書く。2021年に独立。リハノワの活動を続ける傍ら、ヘルスケアに特化したPR・広報支援活動等を行う。

リハノワとは

リハビリの輪を繋げるWEBメディア「リハノワ」は、リハビリ当事者や関係者に良質な情報を届けるべく、日本全国の、

リハビリに励む方の生の声
素敵な取り組みをしている医療介護福祉施設・企業
輝いているスタッフ

を取材し記事にしています。想定読者はリハビリ当事者やその家族、医療介護福祉従事者です。

記事は、もともと病院で理学療法士として働いていた河村の知見を踏まえ作成しています。2019年11月に活動を開始し現在に至るまで、取材先の選定からアポイントメント、取材、執筆、発信に至るまでのほぼ全ての工程を一人でおこなっています。どの記事も、一文字ずつに丁寧に愛情を込めて作成しているのが特徴です。

リハノワ・シンボルマーク

リハノワの目指す世界観

リハノワは、「病院の中だけではアクセス出来ない情報を提供することで、リハビリテーションの可能性を広げる」ことを目指しています。

「ひとりの元気を、みんなの元気に」をモットーに、読者の皆さまに情報という選択肢を届けるべく日本全国の現場に自ら足を運び、記事を書いています。

誕生秘話① ICUという現場で

かわむー
かわむー

リハノワが誕生する事となったきっかけ課題感、これまでの歩みについて記憶を辿りながらお話していきたいと思います。


私が理学療法士として臨床に出たのは2013年。新卒で関東にあるいわゆるマンモス病院に就職し、学ぶには最高の環境で、理学療法士としての第一歩を踏み出しました。その後、2016年に地元広島の公立病院に転職。そこでは、前職の経験を活かし集中治療室(ICU)の専任理学療法士として従事しました。

ICUには、毎日救急車やドクターカー、ドクターヘリに乗せられ患者さんが運ばれてきます。目の前の危険な状態にある方をその人らしい元の暮らしに戻すため、私は毎日必死でした。自己研鑽に費やす時間や勉強代は、日々触れ合う患者さんを思うと負担とは感じませんでした。

エピソードの具体化は避けますが、ICUに運ばれてくる方の中には、早期の医療受診に繋がる知識や予防医療に努める機会があれば、ここまでの悪化を防げ、もう少し未来が変わったのではないかと悔やまれるケースが多々ありました。

多くの病気の背景には、生活習慣病が存在します。さらに生活習慣病の背景には、暮らしや地域の文化、家庭環境など様々なものが存在します。病院のICUでただただ重症患者さんが運ばれてくるのをこのままただ待つだけではなく、病院に来るまでの生活や暮らし、地域での環境から上手にアプローチすることで、病院で悲しい思いをする人を減らしたいと考えるようになりました。

苦しい思いをしながら治療をうける本人、悲しむ家族が一人でも減ってほしい。

そのために、病気や障害を負う前の段階のより多くの人々に、情報という選択肢を届けたい!

私は、病院に運ばれてくる前の段階の方々が医療に接点をもつために、予防医療に関する情報を届ける必要があると考えました。

とはいえ、臨床一筋でやってきた私には、病院の外でどのように動いたら上手くいくのか想像もつかないし、仲間もいません。「どうやったら私の届けたい人に声が届くのだろうか…」私は自分なりの試行錯誤をはじめます。

誕生秘話② 選択肢を届けるために

医療現場で悲しむ人を少なくするためには、情報という選択肢を届ける必要がある

こんなスローガンを掲げた私は、医療しかみてこなかった自分の視野の狭さを解消するため、本やインターネットでまずは情報収集を開始しました。その領域は、政治・経済、IT、デジタル系、歴史、心理学など多岐にわたります。

また同時に、SNSを通じて自分の想いを形にする取り組みも開始しました。もともと文字で表現することが好きだった私にとって、Twitterやnoteという文字を主体とした媒体は、自己表現の場として非常に相性が良いと感じました。

そこから1年程は、情報収集を行う傍ら、興味のある人にはSNSなどを介して直接話を聞きに行き、自分の本当にやりたいことは何でどうすれば出来るようになるのかを深掘りしていきます。もちろん、臨床では毎日一生懸命、患者さんに向き合いました。

情報収集を進める中で、健康格差について書かれているイチロー・カワチさんの名著 『命の格差は止められるか』に出会い、強い衝撃を受けます。

本の中で触れられていた行動経済学(人間の心理的・感情的側面の現実に即した分析を行う経済学)には、私が情報を届けたい人たちへの「届け方のヒント」がありました。

“個人の健康を考える時に、より健康的な行動を取ってもらうには環境を整えるだけではだめで「仕掛けづくり」をすることが肝心となる”

行動経済学では、人の意思決定の過程には、以下の2つの機能が共存すると考えます。

①  直感に近い判断や感情的な判断
②  理にかなった論理的な判断 


(イチロー・カワチ(2013). 命の格差はとめられるか 小学館)


現在の健康増進や予防医療に関する取り組みは、②の論理的なアプローチを行っていることがほとんどです。しかし、論理的な説明はその論理が理解できる人にしか届かない可能性があり、理解できない人には効果が乏しく、この方法のみでは逆に健康格差を広げてしまっている可能性があります。

臨床現場での経験からは、健康格差はそのまま命の格差に繋がっているとも考えられました。

ここから私は ①の直感に近い判断や感情的な判断 に訴えることが、これまで届いていなかった人たちに健康を届けるヒントになるのではないかと閃きます。ただし具体的な方法までは思いつかず、どうしたものかとひたすら考え続けました。

父と母に学ぶ! 人の心が動くとは

ここでもう一つ、私の中でのヒントを得た話を紹介したいと思います。

それは、当時65歳となり高齢者の仲間入りをした両親にありました。

両親ともに再雇用という形で60歳を過ぎても働き続けていましたが、64歳で完全に退職しました。2人とも仕事人間だったため、退職後の過ごし方をどのようにするかな?と、興味深く見ていました。

父は、退職後、家に引きこもりました。父にはずっと健康でいてもらいたいので、運動することを強く勧めましたが、全く聞く耳を持ちません。運動に関しては専門職の私が言っても、です(悲)45年間、休みの日も仕事をするほど仕事人間だったため、地域のコミュニティもないし友達も少ない父。 

そうしてしばらく家でのんびりしていた父ですが、祖父の介護が必要になったため、週の4日は田舎に帰り、食の細くなった祖父のために料理の勉強を始めました。そして今では、超こだわり栄養料理を作れるようなシェフに変身したのです。また、孫が生まれてからは、孫に会うためにわざわざ4時間も運転し、広島から大阪に遊びに行くようになりました。町内会の行事にも積極的に参加するようになるなど、大きな変化が見られました。 

一方、母は、昔から人との関わり方が上手く退職前にはやりたいことをリスト化しており、少しずつ準備を始めていました。退職後は仲間と畑で野菜作りを始めたり、定期的に山に登る山クラブを結成したり、趣味の習字に没頭したり、毎日忙しそうに過ごしています。

このように、楽しみながら自ら行動を起こす母を見て、 “楽しい” は、行動に繋がるということを確信し、真面目な父からは、 “使命感” や仕事を与えることで、それは生きがいになるということ学びました。

人に使命感や生きがいを与えられるような仕組みをデザインし、楽しさやワクワクと掛け合わせることで、医療の分野でも、論理的な説明だけでは手の届かなかった人に、情報が届く仕組みが作られるのではないか、と思ったのです。 

人々の行動を変えるためには、「ワクワクする!」とか「〜しなくちゃ!」など、感情に訴えることがきっと必要だ!

誕生秘話③ FMラジオ番組の作成

そんな中、1つ目の転機が訪れます。

たまたま地元のFM局の方からお声がけがあり、ラジオパーソナリティとして番組を制作することになったのです。

ラジオというエンターテイメントを利用すれば、届けたい人に声が届く可能性がある…!

私はめちゃくちゃテンションが上がりました。実現のための第一歩は、スポンサー探し。なぜ番組を作りたいのか、その熱意と情熱を、理学療法士で訪問看護ステーションを経営する中田恭輔さんにぶつけ、快諾をいただきました。

その後、毎月2回の30分番組での契約が決定。サブパーソナリティには、検査技師で多岐にわたる活動をされていた黒木真由さんが就任しました。

行動経済学の理論を実践したいと考えていた私達は、番組を「医療系トークバラエティ番組」とうたい、毎月ゲストに医師や歯科医師、理学療法士やリハビリ当事者の方をお呼びしました。番組では、毎回面白楽しく雑談を繰り広げ、その中に医療情報を少しだけ落とし込んでもらったのです。

医療系トークバラエティ番組『医どばた食堂』|FMはつかいち
2019.9〜2021.2放送

当時を一緒に走り抜いて下さった黒木さんと、応援し続けて下さったスポンサーのうるおい訪問看護ステーション・中田さんには心から感謝申し上げます。

番組の一部(Facebook、You Tubeにアーカイブあり)

誕生秘話④ ビジネスという新たな世界

ラジオが放送開始となり間もなく、またもや転機が訪れます。

尊敬する先輩(医師)から、東京で開催されるヘルスケアビジネスコンテスト『Healthcare Venture Knot 2019』のアイデア部門に出場してみてはどうか、と提案をいただいたのです。医療現場の課題や医療者の想いと、ビジネスを繋ぐ機会への挑戦。私は「応募します!」と2秒で返事をしました。


しかし。


医療現場の課題やアイデアはたくさんあったものの、ビジネスなんて1ミリも考えたことがない。はて、困った。

しかし、私はもう、やるしかありませんでした。


数日間、課題とアイデアについて真剣に考えました。

これまでは多数の未病に対して情報を届けるというアプローチを行っていましたが、ビジネスとして考えた時に、私の強みがより活かせるであろうリハビリに特化したものが良いだろうと思いました。

そして、以下のテーマが決定します。

リハビリ当事者における、リハビリ意欲衰退時の目標設定とモチベーション維持・強化する仕組みづくり

経緯はこうです。

“リハビリの継続にはモチベーションの維持が必要であるが、そのためには「目標」が重要となる。入院中は「退院」という目標があるため頑張れるが、退院後は目標がなくなりモチベーションが維持できずリハビリが続かない。また、入院中も目標が上手く立てられない方は同じ状況となる。退院後、機能の回復よりも「維持」がリハビリの目標となった際は、さらにモチベーションは維持しにくい。リハビリが続かないと、機能の衰退や廃用がすすみ、最悪の場合、同じような病気や疾病を繰り返したり再入院を繰り返したりする”

これを解決するため、私は、退院に変わる目標設定モチベーション維持、さらにはモチベーションの強化となる励みが必要であると考えました。

そして、ゲーミフィケーションとインセンティブの仕組みを取り入れ、さらには自分の健康行動が他の人の幸せにも繋がることを実利的にみせることのできるプラットフォーム『リハノワ 〜自助から繋げる互助への連鎖〜』を考え、最終選考まで残ったことから東京の会場にて登壇したのです。

お気づきだと思いますが、リハノハの始まりは、実はゲーム(のようなプラットフォーム)でした。

誕生秘話⑤ メディア・リハノワ誕生

ビジコン終了後、3度目の転機が訪れます。

Healthcare Venture Knot 2019 の会場で、実際に走り出しているスタートアップの取り組みや社会を変えるイノベーターの思想にふれる中で、ヘルスケアビジネスの面白さや可能性をものすごく感じたのです。既存の制度で救えない人にアプローチするには、ビジネスを通して取り組む道もあることに気がつきました。

”私が抱えている課題も、ビジネスとしてちゃんと回せる仕組みを作ったら解決できるかも知れない…!”


その時の会場にいた審査員の方が、ビジネスにおいて大切なのは「まずはやってみる、始めてみる、とにかくたくさんPDCAサイクルを回すこと」だとお話されていたのがとても印象的でした。

そこで、当時抱えていた現場の課題を解決しつつも、病院で働く自分でもすぐにはじめられる形として「メディア・リハノワ」を考えついたのです。

1つの病院や施設の中だけではアクセス出来ない様々な情報をエンターテイメントのように提供することで、理論だけでは語り尽くせないリハビリテーションの可能性を広げることができるかも知れない!

自分の好きな文章作成とこれまでの理学療法士としての経験が相乗効果を生み出すのではないか? コツコツと楽しく情報を発信することで、これまで届かなかった誰かに届くかもしれない。

そんな、可能性と使命感に胸を踊らせ、私の「リハノワ」は形を変えて新たな一歩を踏み出したのでした。ビジコンから1週間後のことでした。


モデルを思いついたらまずは行動。お金のことはあまり考えていませんでした。よく分からないけれど、とりあえずネットで良いと書かれていたワードプレスを使ってプロトタイプを作成。その後、知り合いの方に頭を下げ、取材に行かせていただき早速記事を書きました。

活動を続けていくと、自分で思っていた以上に皆にとって良い形でないかと気づきはじめます。自分にとっては勉強になり、取材させて頂いた方には感謝され、元気を貰いましたと読者の方からは感謝を頂ける。よし、これは、いけるぞ、、、!

脱公務員、そして独立

病院で働く傍ら、取材と記事制作をつづけること1年半。

コロナ禍でICUの現場を離れるのには後ろ髪ひかれる思いではありましたが、私はリハノワでの独立を決意。2021年3月、県職員を退職しました。

以降、活動しやすくするために拠点を横浜に移します。個人事業主としての開業届や年金や保険の手続き、提携先との契約書や請求書などの書類やり取りなど、はじめてのことばかりで苦戦する日々。毎月のお金の精算や、完成したリハノワのロゴの商標登録など、何をするにも新鮮で濃ゆい時間を送りました。

現在のリハノワの活動は主にリハビリ関係者を中心としたものですが、今後の展望としては、私が当初救いたかったリハビリ以外の人にもアプローチできるよう動いていこうと考えています。

絶対的な安定した収入がなく、福利厚生による健康的な生活も約束されない。毎日パソコンに向かい必死になって作る文章は、どこのどんな人に届いているか分からない。時折、医療を通して一人一人に向かい合っていた頃を懐かしく思うこともあります。

それでも私がいま書き続けているのは、もしかしたら病院では出会うことの出来ない多くの人が救われ、豊かになる可能性があると信じているから。

なぜ理学療法士から独立されたのですか?なぜリハノワを立ち上げたのですか?なぜライターを選んだのですか?こんな質問を、独立してから山ほど受けてきました。

いつだって、これに対する答えはひとつ。”現代社会におけるリハノワの必要性を感じ、可能性を信じ、気付いたから行動した” ただそれだけです。

リハビリテーションを学んできた私だからこそできる活動。リハノワを通して、あらゆる人のより豊かな暮らしや人生、幸福への手助けをしたい。

私の尊敬する理学療法士の平田和彦さんは、私に、リハビリテーションとは人生をより豊かにするものだと教えてくださいました。



私は、リハノワを手段として、リハビリテーションを提供する。リハビリに励む、多くの方のために。




これからも、ずっと。



今後も、感染状況を見ながら全国のリハビリ当事者や医療介護福祉施設の取材も続け、2022年からはさらに力をいれ記事を書く予定です。


リハノワは、これからも読者の皆様のために良質な情報が届けられるよう一生懸命取り組んでまいります。


今後とも、リハノワをどうぞ宜しくお願いいたします。

私のことを綴っただけの長い文章に、最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました。



2022年3月3日 
リハノワ代表・河村由実子

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