みなさんこんにちは、リハノワのかわむーです!
今回は、片足のサッカープレイヤーとしてブラジルや日本代表選手として活躍される「エンヒッキ・松茂良・ジアス(愛称:ヒッキ)さん」をご紹介します。ヒッキさんは、日本でアンプティサッカーを競技として広めたパイオニアでもあります。
当時のリハビリの様子や片足でサッカーをどのようにして練習していかれたのか、また、2022年秋のワールドカップ(W杯)に向けた抱負やアンプティサッカーを通して伝えていきたい熱い想いなど、その魅力にとことん迫っていきたいと思います!
最後には、リハビリに励まれている方へ向けたとても素敵なメッセージもいただいております。少々長編になりますが、ぜひ最後までお付き合い下さい。
◆アンプティサッカーとは
1980年代に米国で生まれた競技で、6人のフィールドプレイヤー(片足の方)と1人のゴールキーパー(片腕の方)の計7人のチームでプレイする。グラウンドの大きさは、2本足のサッカーの約3分の2。国際大会は前後半25分の合計50分で争われる。
アンプティサッカー日本代表・ヒッキさん
◆ エンヒッキ・松茂良・ジアスさん
愛称:ヒッキ
生年月日:1989年6月16日
出身:ブラジル・サンパウロ
所属:FCアウボラーダ
ポジション:MF/RW
<ヒッキさんの歩み>
1989年:ブラジル人の父と日系ブラジル人の母のもとに生まれる
1994年 (5歳): 交通事故により右足を切断
1997年 (8歳):サッカーを始める
2002年 (13歳):ブラジルの全国大会出場、新人賞受賞
2007年 (18歳):W杯初出場(ブラジル代表)
2008年 (19歳):来日し、ブラジルの金融機関・東京支店に就職
2010年 (21歳):日本でアンプティサッカーの練習開始/チーム結成
2010年 (21歳):W杯出場(日本代表)
2012年 (23歳):W杯出場(日本代表)
2014年 (25歳):W杯出場(日本代表)
2018年 (29歳):W杯出場(日本代表)
2022年 (32歳):アジア予選出場、W杯出場予定
5歳で失った右足
アンプティサッカー史上はじめて、2つの国(日本・ブラジル)にまたがってW杯に出場経験のあるヒッキさんですが、右足を失うこととなった事故に遭われたのは、まだ5歳のことだったのですね。
受傷当時の記憶や入院生活、その後の生活についてなど、覚えている範囲でお聞かせいただいてもよろしいでしょうか。
ブラジルで暮らしていた5歳の時、交差点で信号待ちをしていた僕に向かって、自動車が猛スピードで突っ込んできました。
その瞬間、「うわ、なんか来た!」と感じたのを最後に僕の記憶はなくなり、右足はその場で切断。病院のお医者さんからは、切断部位があと数センチ上だったら大量出血で命が奪われていたと聞かされました。
事故後、すぐに病院に運ばれた僕は、ICUに入室しました。記憶は曖昧ですが、入院した初日は体中に様々な管や機械がつけられ身動きがとれなかったのを覚えています。トイレもいけないし、話もできない、そんな寝たきりの状態が数日間つづきました。
結局ICUには2〜3ヶ月いたと思います。その後は、日本のようにリハビリ専門の病院に移るなどはなく、すぐに家に帰りました。
退院してからしばらくは、車椅子で生活しました。失った右足の傷もまだ十分に癒えてはなかったので、寝る時は鉄のやぐらで足を囲い、布団が直接足にふれないようにしていました。
1年ほど、家でゆっくりゆっくり過ごしながら回復をまちました。
リハビリして感じた「片足でも出来るじゃん」
日本と比べると、かなり早い退院ですね。
お家に帰ってからは、どのようなリハビリをされたのでしょうか。
リハビリは「動けるように練習をする」というよりかは、当時まだ子どもだったので、自然と自ら動いていった感じです。
退院後しばらくは車椅子、その後は4点式の固定型歩行器、そして1年くらい経った頃に義足をつくりました。しかし、切断したところ(断端)が短く、皮膚も柔らかくデリケートだったため、義足をはいたらすぐに痛みが出てしまいました。なので、義足は付けずに生活していたことが多かったです。
義足をつけずにどうやって歩くかというと、「クラッチ」とよばれる杖を使います。アンプティサッカーの時に使っているのと同じものです。最初は立ってバランスをとるのも難しかったのですが、ゆっくりと自分のペースですすめていくことで次第に慣れました。
歩くためのリハビリも通いましたが、毎日ではなく、週に1回くらいだったと思います。退院して2年が経つ7歳頃には、クラッチを使って上手に歩けるようになっていました。
せっかく作った義足も、痛みがでてしまい付けられなかったのですね。私も理学療法士として病院で働いていた時にはよく患者さんと杖で歩く練習をしたため、片足で杖で歩くことの大変さはよく分かります。
ヒッキさんからお話を聞いたりこれまでの発信を見させてもらったりする中で、ヒッキさんは「とても前向きで明るい方だな」という印象を受けたのですが、怪我をされた当初からそうだったのでしょうか。
僕の場合、事故に遭ったのが子どもの頃なので、足がないことに関してあまりマイナスだと思っていないんですよね。「無いけど出来るじゃん」って感じて、特に悲観することなく過ごしてきました。周りの人が思うより、軽い感じかも。
生まれつき足がなかった訳ではないけど、気持ちは若干それに近いと思います。足があるよりない時間の方が長いし、足をなくしてから色々動いていったり成長したりしていったので、「足がないから出来ない」というのは感じたことはないし、悩んだこともないです。
テレビのインタビューでは、よく「大変だった」っていうエピソードを求められるんですが、その期待に答えられるような話が正直できなくて、、(笑)それに困っているくらいです。
アンプティサッカーとの出会い
サッカーとの出会いや、競技としてサッカーを始めたきっかけについて教えてください。
僕がサッカーに興味をもったのは、入院中の時でした。
ブラジルに住むおじさんがお見舞いに来てくれた時にサッカーのユニフォームをくれたり、サッカーの話してくれたりテレビで試合見せてくれたりしたんです。そこからハマっちゃって、選手のシールを集めてアルバムを作るようになりました。
ただ、入院中に自分がプレイをするというイメージはありませんでした。サッカーを始めたのは、退院して自分で歩くようになってからです。
実は、足を切断する前は水泳をやっていたので、歩けるようになったタイミングで母親と一緒に近所の障がい者施設のプールに行きました。そこでスポーツを再開し、競技ではないけどサッカーも遊びとして始めることとなります。
当時、サッカーは健常者の友達や従兄弟と一緒にやっていました。競技として始めよう思ったのは10歳の頃。アンプティサッカーのブラジル代表が活躍する記事を、たまたま新聞で見たのがきっかけです。
アンプティサッカーという競技があることをはじめて知った瞬間は、さぞかし嬉しかったことと思います。当時10歳のヒッキさんは、その後どんな行動をとられたのですか?
アンプティサッカーをすぐにでも始めたい一方で、当時、僕の住むサンパウロでは競技をやっている人はいませんでした。まだ幼い僕にはどうすることもできず、競技への参加は諦めざるをえませんでした。健常者の友達とサッカーをしながら情報収集を行い、チャンスが来るのを待ちました。
そして僕が13歳の時、ブラジルのリオデジャネイロでアンプティサッカーの全国大会が開催されるという知らせを受けます。サンパウロには選手がいないものの何とかして出場したいと思った僕は、水泳や陸上の選手にダメ元で声をかけていき、なんとか5名集めることに成功しました。
しかし、結果は全敗。20点以上も入れられるボロ負けでしたが、僕はその大会で新人賞をもらいました。子どもから大人まで幅広い年代が出場している大会での受賞だったので、とても嬉しかったのを覚えています。
また、その大会でブラジル代表のエース、マリオ・メロ選手と出会い、「練習を続ければ、いつかブラジル代表になれるよ」という声をかけてもらいました。それが、僕の選手人生の大きな転機となります。サッカーへの想いに、さらに火がついた瞬間でした。
その後、18歳の時にブラジル代表としてW杯に初出場。19歳で日本へ渡ってからは、これまで過去4回、日本代表としてW杯に出場しました。
“全力の遊び” 夢中にボールを追いかける日々
アンプティサッカーの練習方法やテクニカルな部分についてもいくつかお聞きしていきたいと思います。
最初は歩いたり走ったりするのも大変な状態だったかと思いますが、遊びとして、また、競技としてのサッカーはどのように練習されていったのでしょうか?
最初は、恐怖心からクラッチで立ってバランスを取るのも精一杯でしたが、子どもは慣れるのが早いですよね。確か、数ヶ月くらいで歩けるようになったと思います。走るのは、正直どんなタイミングでできるようになったか分からないけど、「早くあそこまで辿り着きたい」と思っていたらいつの間にか走っていた感じだと思います。走るための努力はしたことないです。
サッカーもそれと同じで、夢中になってたらいつの間にか走ってボールを蹴っていました。
最初の頃はゴールキーパーになろうと思って、片足でケンケンしながらボールをとめるというのをずっとやっていました。基本的にはゴール前でしゃがんでいて、ボールが来た時に飛ぶ、という感じです。
少しずつクラッチの操作に慣れてボールが蹴れるようになってから、フィールドプレイヤーとしてやりたいなと思うようになります。
フィールドプレイヤーになってからは、走ったり蹴ったりとにかく身体を動かす必要があるかと思いますが、どんな練習をされていましたか?
僕は、練習とかトレーニングというよりも遊びのような感覚でずっとやってきました。
例えば、ゴールの左の隅に蹴るといったシュートの精度は、「チャレンジゲーム」みたいな遊びをしていたらいつの間にか上がっていました。ブラジルのマンションの下にフットサルコートがあったのですが、そこでいつも「狙ったところにボールを蹴る」というのを友達とやっていたんです。「当たるまでやめちゃ駄目だよ」っていうルールを決めて、相手がいない時は物を置いて様々な角度からシュートをうっていました。
そして気づいたら、正確なシュートがうてるようになっていました。
僕は昔から遊びの中で上達していったし、今でもチーム練習のときの休憩時間などは、みんなより先に立ち上がってシュートをうつ「遊び」をしています。
ここにも(取材場所の喫茶店)ボールがあったら、蹴っていると思います。それくらい、サッカーが純粋に好きなんですよね。
ヒッキ流!アンプティサッカーのコツ
アンプティサッカーのコツ!として、ヒッキさんが考えられる大切なポイントを教えて下さい。
そうですね、感覚的にやってるので改めて考えると少し悩みますが、転び方とか杖の持ち方は大切になるかもしれません。
アンプティサッカーでは、転び方によって変わりはしますが、肩や手・あばらを怪我しやすいです。その時に何が重要になるかというと「転び方」です。杖を持ったまま転けると危ないので、転びそうなシーンになると、杖は手放して手でクッションするようにします。
最初は杖の扱いに慣れていないと怪我しやすいと思いますが、練習を重ね慣れてきたら、自然と杖をはなすタイミングとかも分かってくると思います。
「杖の持ち方」として、僕はクラッチの前腕を支えるカフの後ろ半分にしか体重をかけません。
カフの前半分に力をかけると腕が抜けて転倒・怪我の原因になるからです。W杯で海外選手をみても、杖の扱いに慣れた選手ほど「オープンカフ」と呼ばれる後ろ半分しか支えのない形状の杖を使っている人が多い印象です。
僕も以前、2回目のW杯前にたまたまカフの前半分折れちゃって、みんなには「壊れてるじゃん〜」と言われましたが、僕は「後ろしか使わないから〜大丈夫」と言ってそのまま試合に出場しました。やはり、何の問題もなく大会の全試合をこなせました。
色んな角度から体重かけて杖がグラグラとなる選手の中には、杖が手から離れないように試合中ぐるぐる巻に固定する方もいます。扱いに慣れてきたら、少しずつオープンにしていくと良いのでないかと思います。
ちなみに、杖の寿命はだいたい2年くらいです。
ヒッキさんのお話を聞きアンプティサッカーに興味をもった未来の選手に向けて、ヒッキさんの現在のトレーニング方法やアンプティサッカーならではの魅力を教えて下さい。
目指すレベルにはよりますが、遊びだけでよければ、時間がある時に楽しく何でもやったらいいと思います。
もし代表選手を目指すのであれば、必然的に苦手な練習も必要になります。走れないんだったら、スタミナをつけるようなメニューとして水泳だったりランニングをしたりするとか。僕も、個人的にはあまり好きではないけど、体力つけるためにランニングをしています。
その他、健常者と一緒に練習するのも良いかと思います。考え方の違いもあるかと思いますが、自分が障がい者だから健常者とできないと思った段階で、自分に制限をかけてしまうことになります。僕の場合は子どもの頃から健常者とやることが当たり前だったので、それが普通なんじゃないかという感覚です。実際、上達はすると思います。
ただ、一番大切なのは楽しくやることです。練習しなきゃって思うよりは、楽しくやれることをする方が自分のモチベーションの維持に繋がるからです。
アンプティサッカーならではの魅力としては、競技だけでなく普段の交流にあると思います。いい意味でバカが多いというか(笑)障がいとか感じることなく、「こいつ、おもろいな」って思う人が本当にたくさんいます。
広島、大阪、静岡など各地域のチームとも交流があるので、仲間は全国にいます。アンプティサッカーがなければこの出会いもなかったので、やっててよかったなと思います。もう、楽しくてしょうがないですよ。
ワールドカップ2022への意気込み
ヒッキさんの今年の目標を教えて下さい。
今年はW杯イヤーです。日本は5回目の出場を目指し、まずは3月バングラディッシュであるアジア予選に挑みます。そこで2位以内になれば、10月トルコで行われるW杯に出場できます。
日本代表として参加した過去4度のW杯では毎回成績があがってきているので、その流れで今年もさらに高みを目指して頑張りたいです。前回10位だったので、今回は最低でもベスト4には入りたいですね。世界の壁は高いけど、新しい選手もいて徐々にレベルは上がってきているので、優勝目指して頑張ります!
最近は僕自身、試合中に焦ることも少なくなり、走るだけではない落ち着いたプレーが出来るようになりました。若者を走らせて、いないといけない所にいるという賢いプレーみたいなのを心がけています。
いつもまでも自分がって感じではなく、その時々の役割をこなすように変化してきました。若手選手の育成にも、力を入れないといけないです。
W杯優勝!素晴らしい目標です!
「育成」というキーワードもでましたが、ヒッキさんが思い描く日本のアンプティサッカー界の今後について、もしよければお聞かせ下さい。
将来的には、健常者もアンプティサッカースタイルで試合に出れるような仕組みづくりをしたいと思っています。
片足の選手だけでなく、やりたい人がみんなやれるようにしたいです。アンプティサッカーは男女も別れていないので、女子選手もでてきてよりインクルーシブな世界観を目指しています。
まだまだ知られていない競技のため、知名度を上げるための活動にも、今後はさらに力をいれていきます。
リハビリ当事者へ「やればできる」
最後に、今、障がいをおって苦しんでいる方やリハビリをしている方に向けてメッセージがあればお願いいたします。
僕のチームメイトの中には、事故にあって切断してしまい10年以上ひきこもりだった方もいます。しかしアンプティサッカーに出会い、どんどんと自信がついていき、今ではとても前向きに生活されています。代表選手にも選ばれ、さらにはずっと独身かと思っていたら結婚して子どもも生まれ、とても幸せそうです。
たかがサッカー、されどサッカー。
アンプティサッカーは、人生が変わる可能性を秘めている競技なのです。
足や手を失い健常者から障がい者になったタイミングで、「なんで自分だけこんな目に…」と孤独を感じ、苦しむ人は日本や世界にたくさんいると思います。しかし、自分と似たような悩みを抱えている人も、実はたくさんいます。W杯の開会式では、400〜500人くらい片足の選手が集結するので「片足の人ってこんなにいたっけ!」という感覚になります。
障がいがあってもなくても同じだと思いますが、やりたいことや夢があるなら、それに向かってまずは一生懸命になってやってみよう。悩みがない人間なんていないし、何だって「やればできる」。僕はそう思っています。
日本に来た当時は日本語が話せなかったので、話したい話したい!と思っていたら次第に話せるようになりました。サッカーもそう、自分の心持ち次第で未来は変わります。
色んな苦労をされている方も、何か目標を作り「やればできる」という精神で取り組んでみることが大切だと、僕は思います。
僕にもできたから、あなたにもきっとできる!
もちろん僕もまだまだ出来ないことはたくさんあります。でも、今までやれば出来ると思って挑戦し続けてきたら、いつの間にか出来るようになっていたことがたくさんあります。
僕は、アンプティサッカー選手として「やればできる」というメッセージを伝え続けたい。
これからもいろんな人に勇気を与えられる存在であるため、僕は止まることなく、歩み続けます。
夢や目標の達成に向け、楽しみながら一歩ずつ着実に歩んでいくヒッキさんの姿から、リハビリテーションの本来あるべきカタチを改めて考えさせられました。「苦しい・キツイ」というこれまでのイメージが払拭される、まさに理想の形だと思います。
また、実際にヒッキさんが所属するアウボラーダの練習も見学させていただきましたが、所属選手の皆さんが必死になってボールを追いかけ食らいつく姿に、とてつもないパワーをいただきました。カチカチとクラッチの音が鳴り響くグランドで、汗を流しプレーをする選手の姿。
きっと、多くの同じような境遇の方はもちろん、そうでない全ての方も、彼らの姿を見たらそれがパワーに変わり、モチベーションに繋がるのではないかと思います。
今回、ヒッキさんを通してアンプティサッカーの魅力を存分に知ることができました。これからも、ヒッキさんはじめチームの皆さんのご活躍と日本代表チームW杯優勝、アンプティサッカー界のさらなるご発展を心から応援いたします。
2日間にわたり取材に応えてくださったヒッキさん、アウボラーダの皆様、ご紹介いただいたアンプティサッカー応援団長井上さん、片山さん、本当にありがとうございました。
ヒッキさんのSNS・関連情報
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アンプティサッカーに興味を持たれた方は、まずはこちらの協会HPをチェックし、お近くのチームにお問い合わせ下さい。
写真提供:ひろし(カメラマン/理学療法士)
以上、本日は片足のサッカープレイヤーとしてブラジルや日本代表選手として活躍される「エンヒッキ・松茂良・ジアス(愛称:ヒッキ)さん」を紹介させていただきました。
一人でも多くの方に、ヒッキさんの素敵な想いと魅力がお届けできれば幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
今後ともリハノワをよろしくお願いいたします!
かわむーでした。
この取材は、施設から同意を得て行なっています。本投稿に使用されている写真の転載は固くお断りいたしますので、何卒宜しくお願い申し上げます。
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