みなさんこんにちは、リハノワ.comのかわむーです!
本日は、2021年4月から提携することとなった「一般社団法人りぷらす」の代表で、理学療法士の橋本大吾さんをご紹介したいと思います。
橋本さんは、東日本大震災を契機に関東から宮城県に移住され、地域づくりを行う中で様々な社会課題に向き合われています。理学療法士として災害支援に関わられた非常に貴重なご経験、またその経験から感じられた事や大切にされている想いなど、その魅力にとことん迫っていきたいと思います。
理学療法士・橋本大吾さん
◆ 橋本 大吾(はしもと・だいご)さん
1980年10月24日 茨城県鹿嶋市出身
<経歴>
2007年
千葉県にて理学療法士免許を取得
埼玉県の医療法人に就職
2011年
3月 東日本大震災にて実家が半壊
5月 宮城県でのボランティア開始
6月 face to face 東日本大震災リハビリネットワーク(FTF)設立
7月 FTFにて宮城県石巻市での支援活動開始
12月 埼玉県から石巻市へ移住
2012年
FTFにて雄勝地区・河北地区でリハビリ支援事業継続
2013年
1月 一般社団法人りぷらす設立・代表理事就任
5月 通所介護事業開始 デイサービス開設(石巻市)
11月 障害福祉サービス開始
2014年9月
住民主体の介護予防事業開始
2015年3月
デイサービス開設(登米市)
2016年4月
仕事と介護の両立支援事業開始
東日本大震災後、多くのご活動をされてきた橋本さんですが、震災当日の3月11日は、どこで過ごされていたのですか?
僕は理学療法士の免許を取得後、埼玉県の医療法人で勤めていたのですが、震災当日はちょうど訪問リハビリで利用者さんのお宅にいました。必死で食器棚を押さえたのを覚えています。
リハビリを終えなんとか職場に戻ると、テレビで津波の映像がたくさん流れていて驚きました。
ご実家は茨城県鹿嶋市とのことですが、そちらもかなり心配になられたのではないですか?
当日と翌日は交通が遮断されており、実家に戻れたのは地震から2日後の3月13日でした。幸いライフラインは遮断されることなく、家族はなんとか無事に生活できていました。しかし、両親の精神面の動揺は私の想像を遥かに超えていました。
家は屋根が壊れるなど半壊の状態だったので、翌14日も家のことをして過ごすことになります。街には給水車が出たり店も閉まったりしていて、かなり混乱していましたね。
東北の被災地に行こうと思われたのは、何か “きっかけ” があったのですか?
実家の様子が落ち着いてきた頃から考えるようになりました。行かなきゃと思ったのに特に理由はないですね。できることがあるかわからないけど、まずは行ってみようと思ったんです。気づいたら体が動いていましたね。
被災地へ行ったら、誰かの、何かは力になれるだろうと思って。
実は僕はこれまで、ボランティアというのをしたことがありませんでした。だから、人生初めてのボランティアということですよね。東北にはニーズがあるのに人が足りていない現状というのがあったので、いてもたってもいられなくなりました。
宮城県の被災地へ
被災地の支援は、どういった形ですすめられていったのですか?
現地に入って活動がしたかったので、まずは災害ボランティアの募集を探しました。
理学療法士協会の募集は臨床経験5年以上だったので、当時3年の僕はまだ行くことができませんでした。その後、東北の大学が募集していた災害ボランティアを見つけ、5月に初めて東北・宮城へ行くことになります。
5月2日、僕は、大学の中で事務仕事をひたすら行いました。どうしても現場に行きたかった僕は、その晩泊まった漫喫でひたすら地元の介護施設を探します。そして、翌朝電話をかけました。
3日と4日は、電話で受け入れ要請のあった仙台空港近くのデイサービスに行きました。
現場で直接支援したいという強い思いから、自ら行動に移されたのですね。
なかなか公的には現場に入れないという現状に、かなりもどかしさを感じられたのではないでしょうか。
まさにその通りです。東北にはたくさん困っている方々がいて需要はあるのだけれど、なかなか支援しに行けない、どこに行っていいか分からない、という状況でした。この時、もう一つの受け皿となるような民間の支援団体の必要性を感じました。
個人でボランティアをしている有志のリハビリ職を中心として、2011年6月に「face to face 東日本大震災リハネットワーク」(以下、FTF) を設立しました。このボランティア団体のコアメンバーは主に関東在住で、メンバーは全国さらには英国や米国など世界各地から集まりました。また、静岡県理学療法士会からは支援者の派遣などもしていただきました。
その後、FTFの一員として7月に初めて宮城県石巻市に入りました。リハビリテーション支援として保健師の方と情報交換をしながら、活動を展開していきました。
ここで、保健活動の重要性を学ぶとともに、リハビリテーションの知識や考え方は地域の支援・復興に非常に効果的であると感じました。
実際のリハビリテーション支援の内容としては、どのようなことを行われたのですか?
仮設住宅に移行されてからの主な活動は、「個別訪問」と「リハビリテーション相談会」の2つです。
個別訪問では、仮設住宅環境のバリアフリー化のための調査、生活不活発病予防のための支援を行いました。生活不活発病とは、安静状態が長期にわたって続くことで起こる様々な心身機能低下のことで、廃用症候群とも呼ばれています。
リハビリテーション相談会では、住民の方に仮設住宅の集会場などに集まっていただき健康に関する簡単な講話をしたり、生活不活発病予防のための体操教室などを開いたりしました。
当時、石巻市だけでも8000近くあると言われていた仮設住宅のバリアフリー調査は、とても大変そうですね。どのようなポイントをチェックしていかれたのですか?
また、地域との調整はどこが担っていたのですか?
実際には、いくつかのエリアに分けて進めていきました。僕たちは、11月頃から石巻市より事業を委託され、雄勝地区・河北地区・渡波地区の3つの地区を担当することになります。それを機に、僕は12月より石巻市へ移住しました。
チェックする箇所としては、玄関、トイレ、浴室周囲、脱衣所の4箇所に絞って進めていきました。家で手すりが欲しい箇所にテープで印をつけたり、評価表をつけていったりします。
この事業は、保健師、地域包括支援センター、社会福祉協議会、石巻市などと協働し行いました。
地域リハの課題と可能性
一般社団法人を設立された2013年からも、リハビリテーション支援事業の方は継続されたそうですね。
支援事業を通して、何か感じられたことはありますか?
個別訪問に関して言えば、終えてみれば全955の仮説住宅のうち12.5%にのぼる190程度にバリアフリー化が必要でした。高齢者のみならず子どもも使いにくいという現状があったため、ユニバーサル化は必要だと切実に感じました。
また、仮説住宅に入居する前に人と住宅のマッチングも出来たらいいなと思いました。
私自身東北へ移住する前は、訪問リハビリテーションや通所リハビリテーションというのが「地域リハビリテーション」だと思っていました。しかし、東北へ行って保健・予防・相談の活動に関わっていると、そうじゃなかったと気づかされたんです。
橋本さんが感じられた、本当の地域リハビリテーションとはなんだったのでしょうか。
震災後の支援事業に関わっていると、地域には、転倒はもちろん生活不活発病の方や、そのリスクが高い方がたくさんいることに気づきました。また、病気や障害があるけれどリハビリを行なっていない人や、そのために症状が悪化している方、リウマチにも関わらず福祉用具や自助具の存在も知らない方もいました。
リハビリの潜在的ニーズはものすごく高いけれど、十分に行き届いていないという現状を痛感したんです。
僕にとって地域リハビリテーションとは、そのような方々の手を取りより良い社会にすることだと思っています。僕たちから地域住民の近くに、開かれた場所へ自ら赴くことが必要であり、また、そのような場所を作ることも必要不可欠だと思いました。
橋本さんのお話を伺っていると、リハビリスタッフは一市民として同じ目線に立ち、より良い地域社会を作っていく仲間として関わっていけるのが理想なのかなと感じました。
地域には住民同士の繋がりもあり、近所で支え合う習慣も日常的にあると思います。その日常のすぐ近くにリハビリのスタッフもいれば、生活や暮らしをもっと豊かにできるのかなと思います。
“予防” の重要性を感じて
橋本さんが、理学療法士を目指した “きっかけ” はなんだったのですか?
僕は理学療法士になる前、高齢者と関わるお仕事をしていました。その中で、圧迫骨折などで入院し治療しても退院後またすぐに転んでしまう人があまりにも多いことにびっくりしました。
そこで感じたのは、そもそも家で転ばないような「仕組み作り」をすることが必要ということです。
これを地域でなんとかしたいと思い、理学療法士の養成校に入ることにしました。当時はちょうど介護保険ができたくらいのタイミングで、地域で働く理学療法士は少なかったですね。
そもそも予防分野に課題感を持った状態で、理学療法士の養成校に行かれたのですね。素晴らしいです。
就職する最初の年から、地域で働くことを選ばれたのですか。
学生時代の実習を通して、脳卒中や心臓リハビリテーションなどの急性期リハビリの面白みも感じましたが、やはり地域に出て働きたいという原点に帰り、介護分野の経験もつめる医療法人へ就職しました。
1年目は老健や訪問で新規事業の開発、2・3年目は老健施設の立ち上げや訪問、新規事業の開発を行いました。
地域や制度の狭間にいる方をサポートする仕組み作りに、やりがいを感じています。
圧倒的な無力感
橋本さんがこれまで理学療法士として歩まれてきた中で、“大変だな” と感じられたのはどのような時でしたか?
そうですね。まず、震災の時でいうと、何百キロにもわたり瓦礫や車が転がるまさに壊滅的な状態が続いているのを目の当たりにした時ですかね。あの光景は今でも忘れられません。言葉には言い表せないほどの、ものすごい衝撃でした。
この状況で自分には何ができるんだろう、と、とても不安になりましたし圧倒的な無力感を感じました。
橋本さんの向き合われている世界。それはあまりにも壮絶すぎて、わたしには想像することさえ容易ではありません。
圧倒的な無力感を起爆剤に、橋本さんはこれまで本当に多くの活動をしてこられたと思うのですが、その課題に向き合う過程においてはどうでしたか?
石巻に移住してしばらくはFTFで活動を続けるのですが、必要性を感じたことから自分で法人を立ち上げました。
正直、あまり借金をしたくなかったので色々と策を考えましたが、やるとなったらやはり腹を括らなければなりませんでした。覚悟を決めた瞬間でしたね。
多くの人の自立と笑顔
橋本さんが 活動される中で、“嬉しいな” とか ”やりがい” というのを感じる瞬間はどんな時ですか?
僕が代表理事を務める一般社団法人りぷらすでは、デイサービスの事業もやっているのですが、そこの利用者さんでいうと、介護から卒業した時や笑顔や役割りが生まれた時、その人の “なりたい” とか “ありたい” が表現できた時は嬉しいですね。
りぷらすのデイサービスには、障害を持った人(障害者総合支援法)や障害児(日中一時支援事業)、あとは高齢者(介護保険)など本当にいろんな方が来れるようにしています。
介護保険事業だけではなく、“地域ってそもそもみんな一緒でしょ” という想いから、僕たちが役に立てる人をできるだけ多くするためにそのようにしています。セラピストも施設も少ないから、人とものの有効活用にもなりますしね。
デイサービスの目的って、そもそも日常生活の自立支援や社会的孤立のサポート、家族のレスパイトなどがあると思うのですが、りぷらすではその全てを幅広い分野で担われているということですね。
「介護からの卒業」とか「役割が生まれる」という状態は、具体的にはどのようなものなのでしょうか。
介護保険って、「使うと悪くなる」とか「悪い状態の人が使うもの」みたいなイメージがあると思うんです。でも僕は、「介護保険を使ってよくなろう」という考え方が大切だと思っています。
そのためには、介護のポジティブな事実を知ってもらうことや、それを伝えていくことが大事になります。さらに、介護保険を適切に使って生活を整えていく事も必要になります。その結果、介護保険導入前に比べて、導入後は多くの方の生活が改善します。
以前、うちのデイサービスに介護保険で通われていた方が、正月に餅つきをしに来てくれたことがありました。杵と臼で元気に餅をついている姿を見て、すごく感動しました。介護から卒業し、自らの人生を楽しく歩まれているようでした。
役割りについては、うちには高齢者も子どもも来るのですが、高齢者の方が子守をしてくれたり、子どもは無邪気に笑って高齢者を元気にしてくれたり、そんな光景が当たり前のようにあるんですよね。お互いが自然と役割りをもって交わり、そして笑顔が生まれる。そんな様子を見ているととても嬉しくなります。それと同時に、これってすごく大事なことだと思いました。
社会をより良くするために
最後に、橋本さんが理学療法士として大事にしている “モットー” を教えてください。
最近リハビリテーションはどんどん細分化し、各分野の専門家が誕生しています。一方で、そのフェーズや分野には強くなるけれど、それ以外のことは分かりづらくなっているという現状もあります。
社会としては、高齢者はどんどん増え、制度の中で救えない人たちも増えてきています。制度の中で救えない人というのは、例えば、介護保険を持っていない人、生活支援事業で救えない人、脳卒中になって介護保険を使いたいけどその環境が整っていない、逆に本人が受けたくないためADLが落ちていっている人などです。
そういう状況というのは、目の前のことだけをしていると気づけないと思うんです。結果は出るかは分からないけれど、僕は、そこに気づけた人達みんなで動いていきたいと思っています。
在宅でいうと、介護保険を使う前の段階から大事ですし、本人だけでなく家族のサポートも大事です。子どもが生まれるとなったらその環境を整えることもそうです。このように、最近では健康に関する社会的な要因(Social Determinants of Health)をどんどん考えるようになりました。
これは、医療従事者としてだけではなく、働く職場環境でも同様です。個人に対するアプローチと同様かそれ以上に、その人が所属する環境や社会にアプローチする重要性を意識しています。
なかなかそれらは動きにくいですが、まずは動くところを動かす。そして、自分が動く。良い変化が出ると周囲の人々も変わるので、しのごの言わずにとにかくビジョンを持って進むことが大事だと思っています。
震災を機に東北へ来た時もそうでしたが、この先の未来なんて正直、どうなるかなんて分かりません。だからこそ、強い信念を持って進んでいくことが大事だと思っています。
信念を持って行動を続ければなんとかなる。僕はそう信じて、前に進みつづけます。
最後は、橋本さんからものすごくパワーのある言葉をいただきました。
橋本さんの今後のさらなるご活躍を、心より楽しみにしています!
橋本さんの関連情報・SNSはこちら
・一般社団法人りぷらす
・仕事と介護の両立支援事業
・橋本さんのTwitter
・橋本さんのnote
橋本さん、本日はありがとうございました。
以上、本日は宮城県石巻市にある「一般社団法人 りぷらす」の代表理事で、理学療法士の橋本大吾さんを紹介させていただきました。
一人でも多くの方に、橋本さんの素敵な想いがお届けできれば幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
今後ともリハノワ.comをよろしくお願いいたします!
かわむーでした。
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