「取り残されても大丈夫」といえる社会へ。理学療法士・糟谷明範さんの描く、弱くつながり合う世界

みなさんこんにちは、リハノワのかわむーです!

今回は、東京都府中市で医療・福祉事業とコミュニティ事業を展開する株式会社シンクハピネスの代表であり、理学療法士でもある糟谷明範さんを取材しました。

糟谷さんが描く、理想の「医療福祉と暮らしのあり方」や「専門職と患者の関係性」に迫り、これからの医療や地域リハビリテーションについて考えます。

※ シンクハピネスさんの紹介記事はこちら

理学療法士・糟谷明範さん

◆ 糟谷明範(かすや・あきのり)さん
株式会社シンクハピネス 代表取締役 / 一般社団法人 CancerX 共同代表理事 / 理学療法士
1982年生まれ、東京都府中市出身。2006年に理学療法士免許取得後、総合病院や訪問看護ステーションでの勤務を経て、2014年に株式会社シンクハピネスを創業。東京都府中市を拠点に「“いま”のしあわせをつくる」をミッションに、医療・福祉事業とコミュニティ事業を展開している。

かわむー
かわむー

現在、東京都府中市を拠点に「医療・福祉」や「コミュニティ」事業を展開されている糟谷さんですが、もともと理学療法士を目指したきっかけは何だったのでしょうか。


糟谷さん
糟谷さん

私が理学療法士を目指したのは、高校生のときに受けた腰の手術がきっかけです。中学生の頃から徐々に左足に痛みや痺れを感じるようになり、小学1年生から続けていたサッカーにも支障をきたすようになりました。医療機関を受診したところ、馬尾神経に腫瘍が見つかり、高校1年生の冬休みに手術を受けました。そのときに初めて、理学療法士の方と出会います。

術後のリハビリは約10ヵ月続き、その過程で理学療法士という仕事に強く惹かれるようになりました。しかし、高校3年間は部活動に熱中していたため、卒業後は内部進学で経済学部へ進みました。しばらくはキャンパスライフを楽しんでいましたが、大学2年生の夏頃から将来について真剣に考え始め、翌春から理学療法士養成校に進学することを決意しました。

理学療法の学生時代は、実習を通して、急性期から終末期までさまざまな患者さんに接する機会をいただきました。「患者や家族が望む『暮らし』を実現するためのリハビリテーション」について教わり、患者さんがどのような人生を歩んできたか、これからどのような人生を歩んでいくか考え抜く大切さを学びました。

患者さんの身体の機能面だけでなく、それが改善して何をするのかという「活動」や「参加」にもしっかりと向き合うことができました。


かわむー
かわむー

一人ひとりの人生の物語を大切にしながら、リハビリテーションの専門職として何を考え、どう介入すべきか深く考えている姿勢が本当に素晴らしいです。ぜひ、理学療法士になってからの歩みや、起業のきっかけについても教えてください。


糟谷さん
糟谷さん

理学療法士の免許取得後は、「ついに理学療法士として仕事ができるぞ!」とワクワクした気持ちで総合病院に就職しました。しかし、1ヵ月も経たないうちに、専門職と患者の関係性に違和感を感じるようになります。

私が違和感を抱いたのは、たとえば、医師が患者さんに対して威圧的な言動をとったり、忙しそうなスタッフに遠慮して患者さんが話しかけるのをためらっていたり、リハビリテーション専門職が患者さんに対して上から目線で接していたりする場面でした。もちろん一部のスタッフではありますが、私は率直に「どうしてこんなに偉そうなんだろう」と感じました。

そんな中、患者さんとリハビリをしているときに、私は衝撃的な言葉をもらいました。それは、「患者はあなたたちに気を遣って治療を受けている。医師や看護師、リハビリテーション専門職に自分の意見を言ってしまったら、明日からちゃんと見てくれないんじゃないかと思ってしまう」というものでした。

この言葉を聞いた瞬間、私はとても悲しくなりました。医療を受ける側の患者さんが、医療者への遠慮によって自分の意見を言えないなんて、いったい誰のための医療なのだろうか、と。

それと同時に、「この状況を何とかしたい!」と強く思いました。これが、私が起業を決意したきっかけです。

糟谷さん
糟谷さん

専門職と患者の歪な関係性を問い直すには、病院など非日常の場ではなく、日常の暮らしの中で、まちで暮らす人たちと関わり合いながら進めていくことが重要だと考えました。

そのため、医療や福祉の視点を持つ「訪問看護ステーション」と、まちの視点を持つ「コミュニティ」を地域のひとがアクセスしやすい場所で運営することにしました。医療福祉の「専門職」として、街で暮らす「住民」として、両方の立場からお互いの価値観を覗き見できる環境が必要だと感じたのです。

病院で6年間勤務した後、訪問看護ステーションで3年ほど勤務し、2015年に株式会社シンクハピネスを創業。在宅での医療や介護を通じて、地域の空気を変える挑戦がはじまりました。


シンクハピネスの拠点がある東京都府中市、多磨霊園駅前商店街

暮らしの中にある医療福祉

かわむー
かわむー

専門職と患者の理想の関係性を追究するために、暮らしの場に拠点を置かれたのですね。

シンクハピネスさんでは、現在、医療・福祉事業とコミュニティ事業を展開されていますが、それぞれの事業の特徴や力を入れていることについて教えていただけますか。


糟谷さん
糟谷さん

医療・福祉事業では、「心身がどんな状態でも、その人らしい生活を選択できる」というテーマのもと、LIC訪問看護リハビリステーションとLIC居宅介護支援事業所を運営しています。

私たちのステーションでは、神経難病や終末期など医療依存度の高い方を積極的に看ています。そのため、一般的な訪問看護ステーションよりも医療保険で介入する方の割合が多くなっています。

実は、会社を創業して半年後に、私の母が筋萎縮性側索硬化症(ALS)という難病の宣告を受けました。母の在宅ケアには、当ステーションのスタッフにも関わってもらっています。これをきっかけに、神経難病の患者さんや人工呼吸器を使用している重症患者さん、最近ではがんの終末期の方など、医療的ケアが必要な方を多く看させてもらうようになりました。

糟谷さん
糟谷さん

医療的ケアや介護が必要な方に対して、私たちは医療の高い専門性だけではなく、その人の「暮らし」をどうみるかを大切にしています。その時の症状だけでなく、日々の暮らしや環境、一人ひとりの人生に寄り添うことを心がけています。

また、理学療法士や作業療法士によるリハビリテーションに加えて、生活の質(Quality of Life:QOL)に直結する「食」に関するリハビリテーションにも力を入れています。看護師で管理栄養士の資格を持つスタッフと言語聴覚士が協力しながら、食べるリハビリテーションをサポートしています。

さらに、救急搬送を減らすための取り組みとして、2019年から近隣の病院と連携して看護師の相互研修を行っています。それぞれの臨床現場の状況を知ることで、患者さんにより良いケアを提供することができます。コロナ禍で一時休止していましたが、再開したいと考えています。


LIC訪問看護リハビリステーションの所長で看護師である黒沢さん(左)と糟谷さん

弱くつながる地域コミュニティ

かわむー
かわむー

訪問看護や訪問リハビリ、ケアマネジメントを通じて、最後まで家で暮らすために必要な環境を高い専門性をもって築かれていることがよく分かりました。

ぜひ、コミュニティ事業についても教えてください。


糟谷さん
糟谷さん

コミュニティ事業では、医療福祉の専門職が、地域で暮らす人々にフラットにつながることのできる生態系作りにチャレンジしています。駅前商店街でコミュニティカフェ「the town stand FLAT(フラットスタンド)」を運営したり、さまざま人が集まるアパート「たまれ」を運営したりしています。

事業を進めていく中で、専門職と患者の理想の関係性には「人と人との弱いつながり」が重要なキーワードになると考えました。「弱いつながり」とは、何となくお互いを知っているような、つかず離れずの関係で、必要な時にお互いに声を掛け合える関係です。

そんな、弱くつながり合うきっかけをくれる場で、「地域で暮らすとは何か」という正解のない問いを、子どもから高齢者まで、地域の人と一緒に考え続けています。

2016年に「まちのセカンドリビング」を目指してオープンしたコミュニティカフェ「フラットスタンド」(多磨霊園駅から徒歩1分)
糟谷さん
糟谷さん

フラットスタンドは、医療福祉の専門職が地域の人と自然につながる(弱くつながり合う)ための入口の役割を果たしています。

毎週火曜日から土曜日の午後に営業しており、就労支援事業所で作られているコーヒや軽食を提供しています。

また、定期的にイベントを開催したり、ポップアップストアやレンタルスペースとして貸し出したり、地域の医療福祉に関わる専門職の勉強会を開いたりして、地域のみなさんとつながるきっかけを作っています。

フラットスタンド2階。レンタルスペースにもなっている。


糟谷さん
糟谷さん

「たまれ」は、もともと私の祖父が所有していた築40年になる3階建てのアパートの空き部屋を使って運営しています。建物は2棟あり、各階3部屋ずつあります。

たまれには、子どもたちが集うアトリエや、学生が運営するコミュニティスペース、お菓子工房、オフィス、お店などさまざまな人やモノ、コトが集まっています。

たまれは、場であり、活動そのものです。多様な文化や価値観が集まるからこそ、良い「あそび」が生まれ続けています。

フラットスタンドの裏にある「たまれ」
たまれ2階に入っている、子どもたちのためのあそびのアトリエ「ズッコロッカ」
心地よい自由や余白があり、人と人との関係性や距離感について改めて感じ、考えることができる。
「たまれ」を舞台に開催される「たまれ万博」は、「わたし」と「あなた」と「このまち」の文化祭をテーマに、年に一度開催している。(ご本人より写真提供)

ゆっくりと交わり合う

かわむー
かわむー

医療福祉とコミュニティ、どちらも真摯に向き合い追究し続ける姿勢に、とても心を打たれました。

会社の中には、医療のスペシャリストと暮らし(コミュニティ)のスペシャリストが在籍されているかと思いますが、相互に理解し、連携していくために、なにか工夫されたことなどあるのでしょうか。


糟谷さん
糟谷さん

看護師の何人かが三次救急の現場出身なので、当初は暮らしの視点よりも、症状やデータに基づく医療の視点で判断する場面が多くありました。

しかし、2019年に訪問看護の事務所を移転した際、医療スタッフとケアマネジャーが同じ空間で仕事をできる環境を整えました。そこには、暮らしのスペシャリストであるケアマネジャーには「医療」を、医療のスペシャリストである看護師やリハスタッフには「暮らし」を学んでほしいという思いが込められています。

ケアマネジャーには、看護師やリハスタッフに暮らしの視点から意見を言ってもらったり、医療の勉強会に参加してもらったりしました。最初はお互い、医療と暮らしを理解し合うのに戸惑いも見られていましたが、だんだんと交わるようになり、いまではスタッフみんなが暮らしの視点を持ったケアや、緊急時の適切な対応ができるようになりました。

引っ越しを機に、フラットスタンドのお客さんとも顔を合わせる機会が増え、「地域に入るってこういうことなんだ」という実感がスタッフの間で広がっているようでした。

ふらっと相談に来る人や、具合の悪い人がいれば声をかけてもらえるようになり、臨床だけではない多様な関わり方が見えてきたのだと思います。「会社がやりたいのはこういうことなんだ」と、徐々に理解してもらえるようになったと感じています。


フラットスタンドから徒歩1分の場所にある訪問看護と居宅介護支援の事業所
理学療法士のみづきさん(左)は、週4日は訪問看護ステーションで、週1日はカフェで勤務し、さまざまな立場からまちの人と関わっている。

これまでの10年、そして未来へ

かわむー
かわむー

2014年に創業され、今年で10年目を迎えるシンクハピネスさんですが、地域とともに歩んできたこの10年を振り返り、ターニングポイントとなった出来事や、改めて思うことなどがあれば教えてください。


糟谷さん
糟谷さん

最初の3年間は、とにかく人の出入りが激しい時期でした。立ち上げ当初から私が描いている「医療福祉が暮らしにそっと溶け込み、弱いつながりの中で育まれている」という世界観や、掲げている理念は変わらないものの、「私にはできません」「やりたいことはこれじゃない」と辞めていく人も多く、マネジメントに苦戦しました。

そんな時期を経て、訪問看護部門に現在の管理者が加わり、徐々に看護部門の体制が整っていきました。創業から5年を迎えた頃から、医療と暮らしの部分が少しずつ交わりはじめ、基盤が固まっていったように思います。事務所を現在の場所に移転したのもこの時期です。

創業から10年経ったいま、私たちは次のフェーズを迎えていると感じています。組織が凝り固まるのは避けたいですし、安定は衰退の始まりだと思っています。当初から描いてきた理想を実現するために、会社の構造を変えていくタイミングだと考えています。

これからの5年、そして10年は、医療福祉のスペシャリストとして成長し続けることと、弱いつながりの土壌をさらに耕していくことに注力していきたいと思っています。10年、20年先は、いまカフェやたまれに関わってくれている人たちが、ケアや医療を必要としているかもしれません。その未来に向けて、暮らしの中で良いケアが提供できる文化をゆっくりと醸成していきたいです。


かわむー
かわむー

「あの人はフラットスタンドでよくアイスコーヒーを飲んでいたな」「こんな素敵な価値観をもっていたな」といった日常の文脈やその人らしさが、ケアに活かされるととても素敵ですね。

専門家としての成長と、弱いつながりの土壌を耕していくことがキーワードとして挙げられましたが、最後に、そのために具体的に取り組んでいきたいこと、チャレンジしていきたいことについて教えてください。


糟谷さん
糟谷さん

専門家としての成長に関しては、地域全体の医療福祉のレベルの底上げをしていきたいと考えています。今年の夏から、フラットスタンドを会場にして、定期的に勉強会を開催しています。地域のケアマネジャーやケアスタッフが集まり、ともに学びながら、つながりを深めています。

弱いつながりの土壌を耕していくことに関しては、私たちのコミュニティ事業で関われない人や、医療介護の制度の枠内だけでは関われない人々にもっと寄り添える仕組みを作っていきたいと考えています。「制度の枠内だけでは関われない」というのは、たとえば、普段のちょっとした相談や、病院に行くほどではないけれど健康に関する心配ごとなどです。

つい先日も、ステーションに「知り合いが困っているからサポートして欲しい」という電話がありました。その方は、骨折の治療後で暮らしに不便がある様子でした。自宅へ駆けつけ、関係する医療機関と連絡をとりながらサポートをしました。こういったケースは本当に多い状況です。

私は、このような「制度の狭間にいる人を何とかしたい」と創業当初から思っています。しかし、そこに対してまだ何も対策できていない状況です。今後は、事業として関われる仕組みをしっかりと構築していきたいと考えています。

人と人とが弱くつながっていたら、必要な時にはお互いに声を掛け合うことができます。よく、「誰も取り残さない社会にしよう」といったことを耳にしますが、私は、誰かが取り残されても、誰かが救える、そんな「取り残されても大丈夫な社会」をつくっていきたいと考えています。

「取り残されても大丈夫」といえる社会の実現を目指して、私はこれからも、一歩ずつ前に進んでいきます。



かわむー
かわむー

地域に溶け込み「弱くつながり合う関係性」を醸成するのは本当に根気のいる大変なことかと思いますが、それを面白がりながら、みんなを心地よく巻き込んでいく姿に感動しました。

糟谷さんの描く理想の社会が、その未来をともに作り上げてくれる仲間たちとともに、着実に一歩ずつ実現していくことを、リハノワは心から応援しています。

糟谷さんのことをもっと知りたいという方は、ぜひ糟谷さんが執筆している連載『境界線を曖昧にする』(Blue Black MAGAZINE)をご覧ください。本人の口から語られるリアルな話に、リハビリテーションについて深く考えるためのヒントが隠されています。

糟谷さん、本日はありがとうございました。



かわむー
かわむー


撮影:ひろし


以上、今回は東京都府中市で医療・福祉事業とコミュニティ事業を展開する株式会社シンクハピネスの代表であり、理学療法士でもある糟谷明範さんを紹介させていただきました。

ひとりでも多くの方に、糟谷さんの素敵な想いと魅力がお届けできれば幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

今後ともリハノワをよろしくお願いいたします!


かわむーでした。

この取材は、本人から同意を得て行なっています。本投稿に使用されている写真の転載は固くお断りいたしますので、何卒宜しくお願い申し上げます。

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