みなさんこんにちは、リハノワ.comのかわむーです!
本日は、以前リハノワで取り上げた理学療法士の橋本大吾さんのご紹介で、福岡県福岡市に拠点のある「すごかハウスケア」の管理者で福祉用具専門相談員の内田忠夫さんを取材してきました!
内田さんは、もともとレーシングカートのメカニックとしてご活躍後、30代で福祉用具の世界へ転身。“L型手すりは嫌い” という内田さんの作り出す手すりはまさに人智を越えたもの。
「手すりの神」と呼ばれる職人・内田さんに、手すりを作る際の裏側や実際の事例、また大切にされている熱い想いなどを伺い、その魅力にとことん迫っていきたいと思います!
内田忠夫さん
◆ 内田忠夫(うちだ・ただお) さん
1965年 東京都出身
<資格>
・福祉用具専門相談員
・福祉住環境コーディネーター
・NPO日本コンチネンス協会認定排泄ケア専門員
(コンチネンスリーダー)
<経歴>
20代
・東京都立大学工学部機械工学科 中退
・築地青果市場仲卸で勤務
・趣味でレーシングカートのメカニックを始める
・自動車整備工場で勤務
30代
・レーシングカートの会社で勤務
メカニック担当
・ふすま屋さんで勤務
・階段昇降機などのメンテナンス会社で勤務
40代
・介護ショップで勤務
・福祉機器・住宅改修の会社で勤務
・日本コンチネンス協会入会
・東日本大震災 / 避難所にポータブルトイレを届けにいく
・face to face東日本大震災リハネットワークで活動
50代
・福祉用具の会社で勤務
・一般社団法人バラカメディカル 設立
「すごかハウスケア」管理人就任
内田さんはお仕事をしながら趣味でレーシングカートのメカニックを始められたとのことですが、きっかけは何だったのですか?
築地で働いていた時の得意先の息子さんが、レーシングカートをしていたんです。「今度大会があるから一緒に観に行かないか」と誘われたので行ってみると、なんと全日本選手権でした。趣味程度でやってるのかなと思っていたので、正直びっくりしました。
でも、その時にレベルの高いレーシングカートを見て、すごく興味を持つようになりました。すっかりハマっちゃって、自分でもレーシングカートを買って乗るようになったんです。
それからご縁があって、その息子さんや別の方のレーシングカートのメカニックを担当するようになりました。もともと工学部だったのもあって、そういった機械をいじるのは好きだったんですよね。
趣味で始められたレーシングカートそしてメカニックですが、その後はレーシングカートの会社にも就職され、本格的に仕事として活動されるようになったのですね。
1000分の1秒を争う世界のメカニックとなると、かなり卓越した技術・正確性が求められると思います。内田さんの人を驚かす手すりの秘密が、この頃の経験にありそうです。
確かに “動きを見て工夫をする” というのは、この頃に培ったのかもしれませんね。
レーシングカートの会社では、西へ東へと出張に忙しい日々を過ごしました。その後、階段昇降機などのメンテナンス会社で働くことになり、福祉の世界に少しずつ足を踏み入れるようになります。
手すり職人としての第一歩
現在は “手すりの神” と呼ばれる内田さんですが、元来の一般的な手すりに内田さんならではの視点を加え、工夫を施すようになったはいつ頃からなのですか?
神、と呼ばれるとなんだか恥ずかしいですね。
(神wwwww ←ご本人的にはこのような気持ちだそうですが、伝わらない方もいるかと思い勝手に変えさせてもらいました、すみません。笑)
きっかけは、40歳の頃に働いていた介護ショップです。
手すりを必要とする方の家に取り付けに行った時に、ふとその方の動きを見ていると「この人にとってはこっち方が良いんじゃないかな?」と思ったんです。そこで、取り付け前に上司に提案したところ「その方がいいね」と言ってもらいました。
その頃から、段々と僕の工夫が始まるようになります。
いち理学療法士(PT)として話を聞いていると、“動作を分析してその人に合うものを提供する” のは、まさに理学療法士と同じ目線だと感じました。
普段からリハビリスタッフと関わることも多いのですか?
そうそう、僕はよく 「PTぽいですね」とか「PTよりPTですね」なんて言われるんだけど、自分ではPTがわからないから、PTてなあにっ?て感じでしたよね(笑)
僕が一流かどうかは分からないですけど、できるだけ短時間でその人に合ったものを提供し、笑顔で生活して欲しいなと思います。
介護ショップを卒業した後に、ご縁があって理学療法士の人が立ち上げた福祉機器・住宅改修の会社で働くことになったのですが、その頃からPTという人がどんな人で、どんなことを考えてるかとか次第に分かるようになりました。
PTとOTの違いは分からなかったけど、SNSを通してリハビリスタッフとも繋がっていって、情報収集をはじめました。
あと、ちょうどその頃から、知り合いのPTさんがきっかけで排泄の勉強も始めるようにもなりました。日本コンチネンス協会という排泄トラブルを抱える方や医療・介護職の方へむけた予防・対応に関する情報提供をする団体で、活動も始めました。
まさに神業!解説付き事例紹介
手すりの神・内田さんの手掛けてきた実際の手すりを、内田さんの解説付きでいくつかご紹介していきたいと思います!
■ ボール型の手すり
この方は、頭部外傷後の脳損傷で身体に麻痺があった方です。東日本大震災を契機に仮設住宅でほとんど寝たきりの状態となってしまい、股関節が曲がらず、膝や足は伸びたまま、手も固まって開きにくい状態でした。介助で起こせば、何とか立つことは可能でした。
現地のリハビリスタッフから送ってもらった動画を何十回も見直しながら、どうやったらこの人は動けるようになるのだろうかと、身体の機能や動きからイメージを繰り返します。そして、僕は自分のイメージを確認するため、「丸いもの」を持って、現地に向かいました。
丸いものとは、コルクボールと発泡スチロールのボールです。実際にその方に握ってもらったところ、握力は弱く手指の動きは少なかったものの、しっかりと握ることができました。
「歩けるようになって欲しい」という一心で、僕は野球の軟式ボールを加工した手すりを作りました。大きさや素材、配置する間隔、高さ等を調整し設置します。また、ウロバック(尿を貯めるバッグ)をつけたまま一人で歩行練習できるように、手すりの下にバーもつけました。
最初は「寝たきりの人に手すり!?」と怪しまれたかもしれませんが、その後、この方は外も歩けるようになったし、手でピースサインも作れるようになりました。失語のため言葉は出ないけど、すごくいい笑顔を見せてくれました。
■ つり革の手すり①
この方は、左半身に麻痺がありました。トイレの移乗の時に立位がうまくとれず、ズボンの上げ下ろしは車椅子でするか便座に移ってからしていたそうです。
そのため、つり革を右側に設置しました。つり革は一見不安定そうに見えますが、右手と右足で引っ張っていれば軸ができるから、身体が回ることは合っても自分でコントロールできるんですよね。
これまでは立てなくて介助する側も大変だったのですが、つり革があることで立位保持ができるようになり、ヘルパーさんの負担も減ったそうです。
■ つり革の手すり②
この方は、右の股関節近位部骨折の術後だったのですが、本人の希望により術後数日でリハビリはほとんどせずに自宅に帰ってきました。
右の股関節にできるだけ負担をかけないようにしたいが、利用は数ヶ月だけだと考えた時に、つり革を思いつきました。タオル掛けのフックに掛け、いらなくなったら取り外してもらうことにしました。
■ 冊子に掘られた手すり
この方は、くも膜下出血で右麻痺がありました。左側に掴まれるところをつけるのに、通常の手すりだと幅をとってしまって狭くなるので、ちょうどいいのがこの窓の冊子の部分でした。
手をただ置いただけだと立てないので、ここを手すりにしちゃおうと思い彫ってみました。
■ 腰の負担を減らす階段手すり
この方は圧迫骨折でコルセットを着用している方でした。寝室が2階だったため階段を昇降する必要があったのですが、踊り場のあるこういったタイプの階段の場合、腰の屈伸が起きてしまうんですよね。
なので、この写真ではちょっと分かりにくいのですが、壁沿いにずっと斜めに伝って上れるように手すりを設置しました。
踊り場で傾斜の角度が変わった時に、腰椎の屈伸が起きて負担がかからないよう工夫してみました。
■ あえて飛び出した手すり
この方は、お嫁さんの介助により入浴をしてました。立位保持を安定させるには、手すりが壁に近くなると逆に不安定だったため、あえて30cm程前に飛び出させました。
身体を洗う際はこれまでお嫁さんが腰を屈めて洗っていたのですが、この手すりが付いてからは立位保持が可能になったので、お嫁さんの腰痛も軽減したそうです。また、浴槽への移乗もこの手すりを把持することでスムーズに可能となりました。
「介助者にも優しい手すり」を提案することの大切さを、再確認しました。
■ 浴槽の斜め手すり
この方は、左半身に麻痺がありました。壁沿いにL字と縦手すりがついていましたが、これだと不安定だったので、角のところに斜めに一本入れることを提案しました。
移乗および浴槽からの起立時も、ここに手すりがあることで非常に動きやすくなるんです。特に、浴槽からの起立時は、L字手すりだと離殿が困難なので、斜め前に付けたこの手すりを引っ張ることで起立がスムーズになります。
ちなみに設置の角度にもかなりこだわっていて、人の手の構造上から一番力の入りやすい角度で設置しています。
■ 回転も誘導!板状の手すり
この方は、頭部が胸の前にある重度の亀背でした。ご自宅のトイレを観察すると、便座だけ色が違っていたり、ペーパーホルダーが何度も取れた痕がありました。
「膝カックン」されたように急にバランスを失い後方に倒れ込むような形で着座していたため、手をかけていたペーパーホルダーは外れてしまい、便座は衝撃で壊れてしまっていたようなのです。
前方の余裕がないことを考慮し、右側に板状の手すりをつけ、その一部をカーブさせました。これにより、右手と右足に力を入れると自然に回旋が誘導されるんです。
■ 内田さん考案の福祉用具
これは、関節リウマチにより手に不自由さがある方の「チケットが取れない」という課題を解決するために作成しました。
もともとは片麻痺の方用の下衣操作(ズボンをあげる補助)をする道具なのですが、車の運転時に駐車券などのチケットを取るため、リウマチの方でも簡単に使えるように改良を重ねました。
東日本大震災がきっかけで
実際に事例を見させていただき、内田さんが「手すりの神」と呼ばれる理由がよく分かりました。
事例の1つ目にあった「ボールの手すり」の利用者さんは、2011年の東日本大震災の時に出会われたのですね。
そうなんです。当時の会社の代表(理学療法士)が排泄関連の連携があったことから、被災地に「簡易トイレ(ポータブルトイレ)を持ってきて欲しい」という要請があり現地入りしました。関東の各所から簡易トイレをかき集め、南三陸や気仙沼の避難所に持って行ったんです。
2011年の5月以降、僕は「被災地のために自分にもっと出来ることはないのか」と模索するようになりました。
その時に、ツイッター経由でFTF(個人でボランティアをしている有志のリハビリ職を中心としたボランティア団体:face to face 東日本大震災リハネットワーク)の活動を知ったんです。興味が湧き、参加するようになりました。
なるほど、そこで今回紹介してくださった理学療法士の橋本大吾さんと出会われたのですね。(*橋本さんはFTFの立ち上げに関与)
そうです。ボールの手すりを付けた利用者さんも、FTFからの相談がきっかけでした。
FTFで活動するスタッフは、みんなとてもやる気のある素晴らしい方達で、病院から飛び出して活動する中で、一体何ができるんだろうかって、本気で考え抜いていました。良い意味で、僕のこれまでのリハビリスタッフのイメージが変わりました。
病院の中でできることって意外と限られていて、スタッフにやる気があったとしても、セーブさせられることもあると思うんですよね。良い意味でも悪い意味でも、守られているというか。
でも、あの場での活動は、被災地の方のためにできることをみんなが専門職としての立場から必死になって考えていて、そして実際に行動に移していました。
彼らの存在を知ってしまってからは、なんでリハビリスタッフはみんな病院から出てこないんだろうって、不思議に思えたくらいです(笑)
被災地での活動を通して、考え方の変化などは何かありましたか?
被災地では、みんな「復興」に向かって必死に歩んでいました。
それと同じように、私たちが普段関わる利用者さんも、例え困っている事はたくさんあっても「一つ一つできるようになりたい」と思っているし「決して諦めたくない」「良くなりたい」と願っています。
自分の体力の限界はあるし悪化する病気もあるから、許されている時間は決して長くはないと思うんです。だからこそ、しっかりと現場の声を聞いて、その人の大切な時間を尊重する必要があると切実に感じました。
僕は、家に帰ってからが本番だと思います。病院では、1日24時間ある中の多くても3時間しかリハビリできないけれど、家に帰ればそれ以外の時間も全て自分のために使えるじゃないですか。僕は、少しでも長く病院で過ごすことが良いとは思えません。
在宅でのサポート体制を整えるのに僕は尽力しています。利用者さんの思いも大切にしながら、サポートする体制をもっともっと整えていきたいです。
内田流!手すり設置のポイント
手すりをつける際に内田さんが気にしている、具体的なポイントなどはありますか?
手すりをつける時に、「利き手はどちらですか?じゃあ、利き手の方につけましょうね」というのがすごく多いんですが、これに関して僕は否定的な意見を持っています。
「利き足でしょ」って。
体重を支えるのは手ではなくて足じゃないですか。だから、僕の場合は利き足を評価して、そちら側に取り付けることを提案します。
口ではあまり聞けないことも、観察しながら全てを想像するんです。そういうのを普段からしていると、自然と利き足は分かるようになります。手元の情報にはない既往歴も、分かるようになったりしました。
素晴らしい視点ですね。とても勉強になります。
家に行っておこなうのは、まずは動き方の「観察」と「想像」なのですね。
そうです。あと、家での「声かけ」にも気をつけています。
家族でもない人が訪問した時に、「さあ、動いてみてください。いつものようにお願いします」って言っても、利用者さんは素の状態で動けるわけないんですよね。
だから、出来るだけ普段の動きをしてもらえるように自然体に振る舞い、後ろにくっついて確認などはしないようにしています。
メッセージ
最後に、内田さんから読者の方へメッセージをお願いします。
僕には先生となる人はいないけど、とりあえず、目の前の当事者に関心を持ち、真摯に向き合うことに全力投球してきました。その人に何が足りないのか、何をプラスしたら笑顔になるのか、そんなことを僕はいつも考えています。
人間のポテンシャルって、本当にすごいんですよね。だから、プロとして絶対に諦めさせてはいけないと思っています。諦めることって、おそらく誰も望んでいないんですよね。サービス提供する側の都合で、可能性のある方を押さえつけてはいけないと思っています。
介護の目的は「自立支援」です。だから、僕は「手すりからの卒業」をとても嬉しく思います。在宅でその人に合った環境を整えて、最高に良いであろう手すりをつけたとして例え3ヶ月しか使いませんでしたって言われても、それはものすごく素晴らしいことだと誇りに思います。
生活の主役は「手すり」ではなく人。手すりは道具に過ぎません。ただ毎日使う、生活に欠かせない道具だからこそ、とても大切なんです。
僕はそんな風に、目の前の方に向き合っています。目の前の方の笑顔のため、これからも自分の道を信じて進み続けます。
内田さんが手がける手すりは「自立を支援する手すり」なのですね。
決して机上の空論ではなく、現状の福祉用具に対する考えの一歩も二歩も先を突き進まれていて、本当に素晴らしいなと感じました。内田さんの魂が全国に、そして全世界にもっともっと広まって欲しいなと思いました。
自分の仕事・道を信じて、介護(=自立支援)を行なっている内田さんの在り方に、非常に感銘を受けました。
内田さん、本日はありがとうございました。
内田さんの関連情報/SNSはこちら
・Twitter
・Facebook(すごかハウスケア)
・すごかハウスケアHP
・内田さんのオンラインセミナー
(2021年6月は23日19:00からだそうです)
以上、本日は福岡県福岡市に拠点のある「すごかハウスケア」の管理者で福祉用具専門相談員の内田忠夫さんを紹介させていただきました。
一人でも多くの方に、内田さんの魅力と素敵な想いがお届けできれば幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
今後ともリハノワ.comをよろしくお願いいたします!
かわむーでした。
※この取材は、本人の同意を得て行なっています。本投稿に使用されている写真の転載は固くお断りいたしますので、何卒宜しくお願い申し上げます。
コメント