【当事者の声】そこには “一生、車椅子” って書いてあった。それでも私は歩み続ける <前編>|高橋尚子さん 

みなさんこんにちは、リハノワのかわむーです!

本日は、17歳当時の事故で頸髄を損傷するも、現在は車椅子の暮らしやバリアフリーについて発信しながらwebデザイナーとして活躍されている熊本在住の高橋尚子さん(愛称:Shokoさん)を取材してきたので、みなさんにご紹介したいと思います。

リハビリや日々の暮らし、また、事故を通じて感じたことや今後チャレンジしたいことなど、その魅力にとことん迫っていきたいと思います!

Shokoさんとリハビリ


◆高橋尚子さん
1993年熊本県上益城郡山都町生まれ
愛称:Shokoさん、Shokoちゃん
WEBデザイナー、YouTuber、
「くまバリ」リーダー

<車椅子生活となってからのこれまで>
2011年1月21日 
東京で開催された全日本卓球選手権の試合を終え寮に向かう途中で、乗っていた車とトラックが衝突
頸髄損傷(C6B2)、頭部外傷、肋骨骨折、左手小指壊死(複雑骨折→切断)を受傷し救命センターへ搬送

翌22日 
ドクターヘリでせき損センターへ搬送
頸椎の手術を施行

(入院リハビリを継続)

6月頃
徐々に体の違和感に気づき、不安の波が押し寄せる

(入院リハビリを継続)  

2013年 春 
せき損センター 退院
東京での一人暮らし開始
脊損専門のトレーニングジム「J-Workout 」でリハビリ開始(週2~3回)

2014年 春  
熊本へ帰る
自動車学校へ通学し、3ヶ月で免許取得

2016年    
デザインの学校へ入学

2017年 春  
デザイン会社 勤務

2018年 春
デザイン会社 退職 
フリーのWEBデザイナーとして活動開始

2019年8月 
くまバリの活動スタート


かわむー
かわむー

Shokoさんは、もともと日本を代表する卓球のトップ選手として活躍されていたのですね。

卓球はいつから始められたのですか?


Shokoさん
Shokoさん

小学校1年生の時に2つ上の姉がやっていたのがきっかけで始めました。

小学校時代から熊本代表として全国の舞台を経験し、中学校、高校でも全国大会に出場しました。高校2年生の時には、インターハイでベスト16の戦績を残しました。

今思い返しても「よくやってたな〜」って思うくらい、本当に卓球漬けの毎日でした。


かわむー
かわむー

怪我をされた当日も、全日本卓球選手権のために東京に行かれていたのですね。


Shokoさん
Shokoさん

そうなんです。怪我をした当日も、卓球をしていました。事故は、その大会を終え羽田空港から熊本空港まで帰り、そこから寮に向かう途中でおきたんです。

私は後部座席の真ん中に座っていたのですが、衝突した衝撃でフロントガラスまで頭から突っ込んでいってしまいました。事故の瞬間、隣に座っていた後輩が「先輩、血が…」って言っていたのを覚えています。


かわむー
かわむー

朦朧とする中、微かに覚えていらっしゃったのですね。


Shokoさん
Shokoさん

はい。でも、その後の記憶はありません。

次に目覚めたのは病院でした。病院での記憶も実はほとんどありません。

しっかりと目が覚めてきた頃には、首の手術は終わっていたと思います。


一生、車椅子?

かわむー
かわむー

最初に運ばれた救急病院から、翌日、手術を受けるために「せき損センター」へドクターヘリに乗って移動されたそうですね。

手術後はすぐにリハビリが開始になったと思いますが、一体どのような感じで進んでいったのですか?


Shokoさん
Shokoさん

せき損センターでは、手術などの初期治療から社会復帰のためのリハビリまで、とにかく多くのことを経験しました。

入院中のリハビリの主な目的は「障害をおった身体を知ること」「慣れること」そして「日常生活動作を手に入れること」です。

入院中の具体的なリハビリメニューとして、まずは、
頭を少しずつ起こしていく練習(脊髄損傷では起立性低血圧が起こりやすいため)
・病室でのストレッチ
・重錘を用いた腕の筋力トレーニング
などを行いました。

ベッドごとリハビリ室へ出かけられるようになった頃から、
車椅子にどれだけ乗っていられるかの練習(離床時間の確保)
車椅子の自走練習
日常生活動作の練習(移乗、トイレ、入浴、着替え、車の乗り降り等)
が徐々に進められていきました。


かわむー
かわむー

社会復帰するために必要なことを、2年間みっちりと時間をかけリハビリされたのですね。

当時17歳で、ご実家から離れた病院でひとり入院するというのは、相当心細かったのではないでしょうか。


Shokoさん
Shokoさん

せき損センターは福岡県にあるのですが、入院してはじめの数ヶ月は両親が病院の近くに部屋を借りてくれて、毎日付き添いに来てくれていました。身の回りのことが何もできなかったので、本当に助かりましたし、心強かったです。


かわむー
かわむー

Shokoさんは、 “頸髄損傷” という怪我を負ったことについて、ご両親や先生からはどのタイミングで知らされたのですか?

また、怪我が “不可逆的なもの” だと認識したのは、いつ頃だったのでしょうか。


Shokoさん
Shokoさん

怪我のことについては、最初は知らなかったし宣告もされていませんでした。両親が、伝えなかったんですよね。

なので、実は事故から半年くらいはずっと “すぐ歩けるようになる” と思っていました。リハビリを頑張れば、またすぐ元に戻る、と。

しかし、せき損センターの周りの人はいつまで経っても車椅子だし “どうもおかしいな” と思ったんです。それで、病院にいる周りの友達に今後のことについて聞いてみました。返ってきた言葉に、私は驚きます。すぐさま部屋に戻り、ケータイで調べてみました。


そこには “一生、車椅子” と書いてありました。


母親に「私、歩けんと?」と聞くと、母は苦しそうな表情で「諦めたらいかんよ」と声を振り絞って言っていました。

両親はきっと “諦めて欲しくなかった” から言えなかったんですよね。


東京での新生活

かわむー
かわむー

せき損センターで約2年間のリハビに励まれた後は、どこで、どのようなリハビリを継続されたのですか?


Shokoさん
Shokoさん

退院後は、自宅には帰らず東京で一人暮らしを開始しました。

毎日ヘルパーさんに来てもらいながら、脊損専門のトレーニングジムJ-Workout」に週2〜3回通いました。ここでは再び歩けるようになるため、「立つ・歩く」の練習を進めていきました。

休みの日には原宿や表参道の方にもお出かけしたりして、今ではいい思い出です。


かわむー
かわむー

まさかの一人暮らし…!? 驚きです!
週2〜3回の立つ・歩く練習を1年間継続したら、かなり身体は変化しそうですね。

1年経ったその後は、どうされたのですか?


Shokoさん
Shokoさん

東京での生活を送った後は、熊本に戻りました。この頃には家のバリアフリー改修もちょうど終わっていました。

熊本に帰ってからは、週1回の外来リハビリを継続することになります。リハビリには自分の車を運転して通っているのですが、駐車場の広さの関係から、2年前にリハビリ施設を変更しました。

今現在のリハビリの目的は「運動機能の回復と維持」そして「歩けるようになる」ことです。

関わってくれている先生や療法士の方は本当に良い方ばかりで、とても感謝しています。


かわむー
かわむー

現在の日本の法律では、ある一定期間を超えると月に13単位(1単位:20分)の時間内でしか保険内のリハビリは受けることができなくなります。

その限られた時間の中で、しっかりと充実したリハビリを受けられていて素晴らしいですね。

これからも体調に気をつけて頑張ってください。応援しています!


私の背中に羽がはえた…!

かわむー
かわむー

先ほど、「リハビリにはご自身で車を運転して行っている」とお話されていましたが、自動車の運転はいつからされているのですか?


Shokoさん
Shokoさん

2014年です。
東京から熊本に帰り、すぐに教習所へ通いはじめました。

車いす生活になって「諦めなくてはいけない事」が本当に多かったんですが、それでも “なんとか自由になりたい!” と一念発起し、自動車免許を取得しました。

ちょっとだけ自慢なのは、わずか3ヶ月で取得できたことです。全て一発合格できたんですよ。


かわむー
かわむー

えー!それはめちゃくちゃすごいですね!(私、何回か落ちている人…。笑)

ちなみに、教習所での授業や実習は、なにか特殊な形になっていたりするのでしょうか?


Shokoさん
Shokoさん

教習所は一般の施設と同じですが、「手動装置の車」がある所に通いました。授業は普通に受けて、実習はその特殊な車で行います。

ちなみに、免許取得後わたしも自動車を購入したのですが、「車いす用」に改造してもらいました。
今ではいろんな装置や装具を駆使し、一人で車を乗りこなせるようになりました。

初めて見た人には結構驚かれるんですが、車いすも自動で収納出来る造りになっているので、自宅から出先まで自分1人だけで動くことが出来ます。最初は心底感動しましたね。



かわむー
かわむー

1人だけでお出かけできるのですね!素晴らしいです。

でもやはり、最初は相当不安だったのではないでしょうか。
慣れるまでは大体どれくらいかかりましたか?


Shokoさん
Shokoさん

そうですね、やはり最初は “1人で” というのは恐かったです。乗り降りや運転に慣れるまでは半年ほどかかりました。

ですが、行動範囲がすごく広がったことで “自由” を手に入れることができました。大袈裟に聞こえるかもしれませんが、車いすに乗る前よりも世界が広がった と思っています。


かわむー
かわむー

移動の手段」を手に入れたことで、前向きなShokoさんがさらにパワーアップした印象を受けました。人生が大きく変わった出来事になったのですね。

例えハンディキャップがあったとしても、最初から「あれダメ、これダメ」と決めてしまわず様々なことに挑戦し続けているShokoさんは、本当にかっこいいです!

いつも前向きで行動力のあるShokoさんの “はじめの第一歩” に触れられた気がしました。



悲しみの先の “楽しさ”

かわむー
かわむー

怪我をされて以来ずっとリハビリに励まれているShokoさんですが、どんな時に “楽しい” と感じますか?


Shokoさん
Shokoさん

そうですね、入院中はリハビリ自体は結構大変で辛いことも多かったのですが、患者さん同士みんな仲が良かったので、週末みんなでデイルームで鍋をしたり、ピザを食べたり、水族館に出かけたりしていて、それがすごく楽しかったですね。家族ぐるみで映画を見に行ったりもしました。

今はどうか分かりませんが、当時はそんなことをしていました。癒しの時間でしたね。


かわむー
かわむー

今現在はどうですか?

リハビリに、お仕事に、SNSでの情報発信、その他にも「くまバリ」はじめ多くの活動をされていて、ものすごくお忙しそうですが…!


Shokoさん
Shokoさん

いや〜、毎日楽しいですね。
くまバリも、自分の仕事も、友達と会うのも、全て。

最近では、甥っ子と遊ぶのも楽しみの一つです。すっごく可愛いんですよ。

毎日を “楽しい” と感じられるようになるには、実は結構な時間もかかったんですけどね。

当時を振り返ると

かわむー
かわむー

今でこそ明るくて前向きなShokoさんですが、“怪我をした当時” のことを思い返したりすることはありますか?


Shokoさん
Shokoさん

そうですね。後から思い返して気づいたのですが、実は、事故の瞬間までにすごく不思議なことが起きていました。

事故に遭う数日前、私は足首を怪我していて、お医者さんからは「大会には出ない方が良い」と言われていました。なんとか痛みも我慢できる範囲だったので出場を決意するのですが、試合前日も40度の熱が出たんです。当日には下がっていて体に問題がなかったので試合には出場しました。

そしてさらに、試合後、本当は熊本空港から一旦実家に帰る予定だったのですが、急遽、次の日も練習がしたくなり、両親の迎えを断り、自宅ではなく寮に帰ることにしました。その寮に向かう帰りの車で事故に遭いました。


かわむー
かわむー

いろんな偶然が重なっていますね。 “あの時こうしていたら…” と、自分を責めてしまったこともあったのではないでしょうか。

本当に辛い日々をお過ごしになられたことと思います。


Shokoさん
Shokoさん

そうですね、事故から数年間はなかなか前向きになることが出来ませんでした。大学も卓球で進学することが決まっていたので、尚更でしたね。

私の体はもう元には戻らないんじゃないか?” って体の違和感に気づいた時、

「一生歩けない!?」
「卓球もできない!?」
「大学はどうなるんだろう!?」
「自分一人では何もできないのに、私はこれからどうなるんだろう!?」
「何をして生きていくんだろう!?」
「どうして死ななかったのだろう」

生きる意味はあるのかな

そんなことを毎日のように考えていました。

そして気づくといつも【簡単に死ねる方法】と検索していました。

おそらく、立ち直るのには4年くらいかかったと思います。


かわむー
かわむー

Shokoさんは、どのようにしてその時期を乗り越えていかれたのですか?


Shokoさん
Shokoさん

最初は不安の波に完全に押しつぶされていましたが、色んな事を経験しながら次第に自分自身を受け入れていったのだと思います。

もともとスポーツをしていたため、かなり負けず嫌いだった私は “何もできない自分” を知り合いに見られることが苦痛でなりませんでした。でもそれは、自分自身の思い込みであったり考えすぎだったりして、本当は良い意味で周りはそこまで気にしていなかったんです。

そんなことに少しずつ気づいていけた頃から、楽になっていきましたね。


ちなみに事故の時、私は後部座席の真ん中に座っていたと先ほどお伝えしましたが、実はシートベルトをしていませんでした。そのため、車が衝突した衝撃でそのままフロントガラスまで頭から飛び出していってしまい、首の骨を折ったんです。

シートベルトさえしていれば、と悔やむことは多いです。それと同時に、当事者として “シートベルトの重要性” は訴えていきたいと思っています。

これから挑戦したいこと

かわむー
かわむー

パワフルで活動的なShokoさんですが、今後さらに “挑戦してみたいこと” があれば教えてください!


Shokoさん
Shokoさん

私がリーダーを務めるバリアフリープロジェクト『くまバリ』は、“熊本を日本一のバリアフリー大国に” すべく、2019年に活動を開始しました。

くまバリでは、バリアフリーユニバーサルデザインを推進する活動を主に行っているのですが、今後はこれにさらに力を入れていきたいと思っています。


かわむー
かわむー

「くまバリ」では、クリエイティブ会社の代表「FUMIYAさん」と共に、“全員で作り上げる全員が生きやすい社会” を目指し活動をされているそうです。

くまバリのことは、続く後編でみっちりと聞いていきたいと思います!


くまバリの他に、何か力を入れたり、チャレンジしたいと考えられていることはありますか?


Shokoさん
Shokoさん

そうですねぇ。
私、 “本を書いてみたい” です!

2021年は、なんとかこれを叶えたいな〜。


かわむー
かわむー

本ですか!いいですね〜!
Shokoさんの本が出たら、大人気ですぐ売り切れになっちゃいそうですね!

たくさんの夢、希望に満ち溢れていて、話を聞きながらとってもワクワクしました。



メッセージ

かわむー
かわむー

最後に、同じようにリハビリに励まれている方に向けて、Shokoさんから一言、メッセージをいただいてもよろしいでしょうか。


Shokoさん
Shokoさん

私は怪我をした当初、リハビリをする目的が「歩くため」ではなく「日常動作を手に入れるため」ということがなかなか受け入れられず、 “一生懸命” になることが出来ませんでした。

やる意味あるのかな」って。


でもいつしか、小さな目標を少しずつ達成していくことに喜びを感じるようになりました。


リハビリの目的は人それぞれだと思います。

がむしゃら” や “一生懸命” にはなれなくても、ゆっくりと自分のペースで、自分自身と向き合いながら進めることも大切かな、と思います。


自分の人生は、誰のためのものでもなく “自分自身” のものです。

皆さんが自分 “らしく” 日々を暮らし、そして人生を歩んでいけることを心から応援しております。


かわむー
かわむー

辛い時期を乗り越え、そして現在もリハビリを継続されているShokoさんから、とても心温まるお言葉をいただきました。

Shokoさんが、Shokoさん “らしく” 前向きに歩まれている姿を見て、たくさんのパワーをいただきました。

今後のさらなるご活躍を、心から応援しています!


<Shokoさんの発信媒体はこちら>
ホームページ
YouTube「しょうこちゃんねる」
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Twitter
stand.fm


続く後編では、現在取り組まれている様々な活動やShokoさんが歩み続ける理由について、その魅力にとことん迫っていきたいと思います!

Shokoさん、本日はありがとうございました。




以上、本日は17歳当時の事故で頸髄を損傷するも、現在は車椅子の暮らしやバリアフリーについて発信しながらwebデザイナーとして活躍されている熊本在住の高橋尚子さんを紹介させていただきました。

一人でも多くの方に、Shokoさんの素敵な想いがお届けできれば幸いです。


最後まで読んでいただきありがとうございました。


今後ともリハノワをよろしくお願いいたします!




かわむーでした。






この取材は、ご本人から同意を得て行なっています。本投稿に使用されている写真の転載は固くお断りいたしますので、何卒宜しくお願い申し上げます。

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