【当事者の声】私たちはここにいる。生後まもなく脳室周囲白質軟化症を患った少女とお母さんがつむぐ “幸せのカタチ” |ニコさん親子 <前編>

みなさんこんにちは、リハノワ.comのかわむーです!

本日は、広島県にある訪問看護ステーションあすかさん協力のもと、生後間もなく脳室周囲白質軟化症(PVL)と診断された6歳の女の子 「ニコさん」と、その「お母さん」を取材してきたので、みなさんにご紹介したいと思います!


かわむー
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本編では、ニコさんの「病気のお話」や「食事・食育」「リハビリ」について紹介しています。
続く後編では、お母さんの「療育園」や「福祉」に対する熱い思いや、同じように頑張られいる方やニコさんへ送る「メッセージ」を紹介しています。

また、

・ニコさんのお母さんの紹介はこちら
・訪問看護ステーションあすかさんの紹介はこちら
担当セラピストの小柳翔太郎さん(理学療法士)の紹介はこちら

ぜひ合わせてご覧ください。


“障がい” という言葉が日常になった日


お母さんの元気がないときには「ママだいじょうぶー?あたらしいお顔やいてあげたから、げんき100ばいアンパンマン!」 と、優しい声かけをしてくれるのは、生後間もなく脳室周囲白質軟化症(PVL)と診断された6歳の女の子、ニコさん
お母さんの選んでくれたオシャレな洋服を見事に着こなす、笑顔がとってもキュートな女の子です。

ニコさんが生まれたのは6年前の春。
予定日より約1ヶ月ほど早く、2160gで生まれてきました。出生後すぐにNICU(新生児特定集中治療室)に入室。最初はちゃんと泣いていたこともあり、ただ小さいだけかと思われました。しかし、その日のうちに “何か異常があるかもしれない” ということで行った検査で、頭に 「脳出血の痕」があることが判明。脳室周囲白質軟化症(PVL)という診断をうけ、将来的にてんかん発作や運動機能障害が残る可能性があることを告げられました。

その後、約2週間で退院となり、不安を抱えたまま自宅での生活が始まっていきます。


かわむー
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NICUへ8日間、その後はGCU(新生児治療回復室)にて入院生活を送られたそうですが、2週間で退院とは、、!意外と早くてびっくりしました。

切迫早産になるまでは何の異常も指摘されていなかったそうで、お母さんの受容にも時間は相当かかったのではないかと思います。

さらに、1ヶ月も早い出産だったため家や心の準備もあまりできていないままでの退院。出産後、お母さんはじめ周囲の方もかなりバタバタされたんだろうな、というのが容易に想像されました。




ニコさんとお母さん


新生活の始まりと初めての発作

退院後は、病院から1時間程度離れたお母さんの実家にて、新生活がスタート。
これまで別世界の、どこか他人事だと思っていた「障がい」というものが、みんなの日常になっていきます。

PVLがあったため、医師からは発作や発達遅延は起こるだろう、と言われていました。
退院後のニコさんは、明らかに四肢の動きがおかしかったり、白目を向いたり、ミルクの飲みが悪かったり眠らなかったりと、この様子からもお母さんはある程度覚悟ができていた、とお話しされます。


そして、恐れていた事態は退院後3ヶ月になってすぐに起こりました。

小さなニコさんの体を「てんかん発作」が襲いかかったのです。
発作は1時間以上止まらず、ニコさんは病院まで救急搬送されました。その後、てんかんのお薬にて治療が開始されますが、一度発作が起こるとなかなか止まらなくなるようで、なんと1〜2週に1回、ニコさんは発作を起こすようになります。

その度に、1時間程度離れた病院へ救急搬送されるのです。


かわむー
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可愛い我が子が発作に襲われ、しかもそれが1時間以上止まらないだなんて本当に不安でしょうがなかったのではないでしょうか。

さらにその発作が1〜2週に1回のペースで起こるだなんて、考えただけでも、お母さんやそのご家族さんの大変さが目に浮かびます。




離れた場所にある病院への再々の救急搬送で、次第にお母さんの精神的な疲労や不安はピークに達します。

発作が起こる度に不安は大きくつのり、生後1歳半の時に、ついに病院の近くへ引越すことを決意。
引越しは慌ただしい中なんとか無事に終了しましたが、その後も発作は続きました。結局、発作が落ち着く3歳までは、2週〜1ヶ月に1度のペースで発作が起きたため、なんと1年の半分程度は病院で過ごすことになったそうです。


お母さんこだわりの “バリアフリーのリノベーションハウス” (詳しくはお母さんの記事で紹介しています。)



度重なる発作に耐えかね、担当の医師が “ミダゾラム” という発作を止めるための薬(劇薬)をなんとか在宅でも使用できるようにならないか、と、何度も病院の倫理委員会に掛け合ってくれたそうです。

当時、日本での導入は数少なかったようで、許可が下りるのにはかなり時間がかかりましたが、無事にニコさんが2歳の時に導入が実現。導入後は発作も少なくなっていったようです。


ミダゾラムは普段は冷蔵で保管しており、発作時にシリンジで吸って、鼻から注入します。ニコさんで効果があったため、今では他の子への使用もどんどん進んでいるようです。


かわむー
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取材中、「ミダゾラムを家で使用している」と聞いたときは本当に驚きました!
ニコさんがパイオニアになったということですね!

お母さんは、“先生が子どものために本当に一生懸命になってくれて、とても感謝している” と、何度も何度も繰り返しお話しされていました。先生とお母さんの強い信頼関係から、これまでの壮大なストーリーを感じました。


今でも1年に数度は痙攣が起こるようで、夜間は酸素を測るモニターをつけて眠るニコさん。「もしかしたら今日なのではないか」という不安と戦いながら、お母さんは今日もニコさんと夜を過ごしています。



“ケトン食” と “食育” への想い

生後3ヶ月で初発した頻繁な発作のため、お薬(抗けいれん薬)はどんどん増えるものの、ミルクは飲まず経鼻胃管になっていったニコさん。その影響でいつもぼんやりとし、元気がなくなり、次第に体の反射もなくなっていったそうです。

1歳になる前頃に、てんかんの専門病院を求めて県外の病院を受診し遺伝子検査を実施。
その結果、1歳9ヶ月で「Glut-1 欠損症」という遺伝子の病気があることが分かりました。その後はその治療法でもある「ケトン食療法」が開始となります。


かわむー
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ケトン食とは、日本ではまだあまり普及していませんが、欧米や韓国では難治性てんかんの治療法の一つとして確立しています。

ケトン食は、糖や炭水化物を減らし脂肪を増やした食事で、脂肪が分解されてケトン体が体内で作られ、効果を発揮します。

お米、パン、パスタなどはできるだけ食べないようにして、砂糖の代わりに人工甘味料を使用し、卵、豆腐、肉、魚主体の食事に食用油を添加し、食事中の脂肪の比率を 3~4 : 1 にしたものです。


(参考:日本小児神経学会HP https://www.childneuro.jp/modules/general/index.php?content_id=20)



ケトン食が始まってからは、2週間もしないうちにみるみると成長していきました。
減薬もすすみエネルギーがいったことで、発語も急激に増え、体幹も強くなり、2歳にかけてどんどんと良くなっていったそうです。

そのあまりの成長ぶりに、回診してくる病院の先生たちや、県外のためたまにしか来れていなかったお父さんも、とっても驚かれていたそうです。


しかし、お母さんの食事指導(覚えること)は想像以上に多く、大変でした。
毎日の食事も、例えば醤油0.5g などを全部測りながら、それをExcelのデータに入力しなければなりません。さらにはお菓子も全部手作りです。

退院後、ケトン比が不安定だったためか最初はすごく発作が増え「このままケトン食を続けてもいいのか?」と、とても不安になられたそうです。しかし、病院の管理栄養士さんや訪問看護さんなどに助けてもらいながら色々と調整し、なんとか軌道に乗ることができました。

かわむー
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ケトン食はちょっとでも早く始めた方が効果があるそうで、遺伝子検査をするために思い切って県外の病院へ行かれたことは、一つの転機になったようです。

てんかんのお薬などとは違い、ケトン食は一生続けていかないといけないものです。そのため、お母さんには “食育” に対する強い思いがあるようです。

お母さんに “食育に対する思い” について伺ってみました。



お母さん
今、“食育” についてすごく騒がれている中で、この子(ニコさん)って、コンビニやレストランのものも食べられないし、私の手から作ったものしか食べられないんです。

3歳から入園した療育園では、掛け合った成果もあり給食を出してもらっていました。しかし、6歳からの小学校では、マンモス校ということもあり給食を出すことは難しいと言われていました。

しかし、せっかく園で3年間培われたものが、この先12年潰れてしまうと、食育っていう面でも幅がなくなってしまうと思いました。ただただ私の作ったものしか食べられなくなって、それで18歳を迎えてしまうと、その先は多分もう機会はないんですよね。

一生私が作ったものしか食べられないと、この子にとっても世界が狭まってしまうし、この子の人生にとって何もメリットがないと思いました。

これを教育委員会に訴え、そこですごく理解してくださって、小学校でも特別な給食を作ってもらえることになりました。本当にありがたいと思っています。


かわむー
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お母さんの我が子を思う気持ちが、教育委員会の方の心を動かしたのですね。

ニコさんの食育もそうですが、お母さんの生活にとっても本当に良かったなと感じました。お母さん、そして周りの方々のパワー、本当に素晴らしいです!



リハビリについて

ニコさんのリハビリが開始となったのは、2歳前くらいから。

体調が安定しなかったためなかなかリハビリに行くことができなかったニコさんですが、2歳になる前頃からようやく行けるようになりました。初めは月1回で、療育センターと病院の2箇所に通います。


訪問リハビリを始めたのは、その数ヶ月後から。
リハビリを本格的にやりたい” と思い信頼しているNPOの方へ相談したところ、現在の訪問リハビリ・あすかさんを紹介してもらったそうです。あすかさんのリハビリは、本当に熱心でしっかりとみてくれるため、かなり信頼しているのだとか。現在は週に1回のペースで、リハビリを頑張っています。


ニコさんも担当の先生が大好きのようで、楽しくリハビリをされていました。


ニコさん直伝!リハビリ講座

かわむー
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ニコさんが自宅で一体どのようなリハビリに取り組まれているのか、ここではその実際の様子を一部、写真付きで紹介したいと思います!


①足のストレッチ
リハビリの先生が足のリラクゼーションと、ストレッチをお手伝いしてくれます。



②足の運動
椅子に座った状態で、足を使っておもちゃを操作します。



③特技の披露
最近、このような姿勢がとれるようになりました!



④立位台でのお散歩
運動の合間の休憩として、専用の立位台にのってお家の中をお散歩。
オシャレな立位台はオーダーメイドです!

オーダーメイドで立位台を制作してくれたのは『であい工房』さん。
(であい工房さんの紹介はこちらから)



⑤(休憩
運動した後は、ちょっとひと休み〜
ニコさん、可愛い・・・!(^ ^) 笑



リハビリと格差を考える

かわむー
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2歳頃から始まったリハビリですが、“本格的にやりたい”と感じた理由には、何があったのでしょうか?

お母さんが感じた、現場の切実な “リハビリ格差” についてお話し伺ってみたいと思います。


お母さん
リハビリに関しては、私も障がい児を育てるのは初めてでしたし、本当に何も知識がありませんでした。
なので、最初の施設でのリハビリが全てだと思っていました。しかし、実際に色々な施設でリハビリを受けたことで、施設間でその方法や時間・内容など、全然違うことがわかりました。

その時に、“生まれた病院や関わる施設でこんなに変わるんだ” “医療格差ってなんなんだろうか” と色々と考えるようになりました。

病院や施設にもそれぞれの事情があり、難しさがあるのは分かっています。でも、子どもの一年って、本当に全然違うんです。特に、ニコさんに限って言うわけではないけれど、歩けるか歩けないかの瀬戸際にいる子なんて、1日1日がとっても大事になると思うんです。小さい頃からしっかりとリハビリできていれば、予後は絶対に違うと思うんです。


関西の方にはリハ入院ができる施設もあると聞きました。
私も調べてみましたが、ニコさんはケトン食や発作の心配もあるため、そこの選択肢はなくなりました。本当は、行けるものなら、私達だって行きたかったです。その時にも、色々な “格差” というものに憤りを感じました。


先ほども言いましたが、障がい児の親は私含め未経験な方がほとんどです。もし何人か経験しているならば選択肢はわかるけれど、やはり最初の施設が、どうしても全てになってしまいます。
だからこそ、それを運だとは思いたくないんです。


現場にいる先生たちが、仕事だからではなく “この子たちの未来のために” と一生懸命関わってくれた時は本当に嬉しいです。たとえ障がいが重くても、未来は平等にあります。私たちは、リハビリにその望みをかけているんです。だからこそ、真剣に考えて、その子の未来に重きを置いてくれる先生は、本当に信頼できるし、魅力的だなっと思います。



かわむー
かわむー

お母さんの心からの声が、痛いほどに胸にささりました。

私たち医療者は、その子の長い長い未来に関わる1人の人として、一生懸命にその子の人生に向き合っていかなければいけない。そしてそのためには、ずっと同じことをやっているのではなく、日々学び、そして新しい取り組みをして行けるバイタリティを持っていなければいけない、と強く感じました。

個人的に、小児のリハビリは変革の時だと感じています。
本当にその子の人生の一瞬、一部として歩んで行ける覚悟を、一人一人が自覚し関わっていかなければいけない。そう改めて感じました。

お母さん、貴重な生の声を本当にありがとうございます!




命があるだけで

かわむー
かわむー

最後に、今現在リハビリをする中で、ニコさんやお母さんが “目標” にしていることがあれば教えてください。


お母さん
もうね、本当、、、

私は、この人が元気でさえいてくれれば、本当にそれいいんです。

それ以外願うことはないですね。


いつ大発作が来て、状態が悪くなって退行してしまうかも分からないし、1日1日を元気で、笑顔でいてくれれば、それでもう十分だと思っています。


マイペースに、命があるだけでいいんです



ニコさんは頑張った日に、「ガチャ買ってくれ」って言うんで、ガチャは買ってあげています(笑)


かわむー
かわむー

お母さんが1日1日、ニコさんと過ごす時間を本当に大切にしていらっしゃることがとてもよく分かりました。

ニコさんは、たまに買ってもらえる「ガチャ」が楽しみなのかな(^ ^)
また今度どんなガチャが出て来たのか、見せてもらいたいです。





かわむー
かわむー


以上、本日は、生後間もなく脳室周囲白質軟化症(PVL)と診断された6歳の女の子 「ニコさん」と、その「お母さん」を紹介させていただきました。

病気のお話」や「食事・食育」「リハビリ」に関する現場の生の声を聞くことができて、本当に私自身、考えさせられることが沢山ありました。
一人でも多くの方のリハビリの励みや元気にも繋がると幸いです。


ニコさん、お母さん、本日は本当にありがとうございました!




続く後編では、お母さんの「療育園」や「福祉」に対する熱い思いや、同じように頑張られいる方やニコさんへ送る「メッセージ」を紹介しています。涙なしでは読むことのできない、現場の生の声やお母さんの熱いメッセージがたくさん込められていますので、ぜひ合わせてご覧ください。






最後まで読んでいただきありがとうございました。


今後ともリハノワ.comをよろしくお願いいたします!


かわむーでした。






※この取材は、本人の同意を得て行なっています。本投稿に使用されている写真の転載は固くお断りいたしますので、何卒宜しくお願い申し上げます。

コメント

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