【当事者の声】難病・スティフパーソン症候群とともに | みーちゃん

当事者の声

みなさんこんにちは、リハノワ.comのかわむーです!

本日は、スティフパーソン症候群という神経難病と闘う広島県在住の「みーちゃん」を取材してきたので、みなさんにご紹介したいと思います。

リハビリや日々の暮らし、また、みーちゃんが現在力を入れられている難病支援活動に対する想いなど、その魅力にとことん迫っていきたいと思います!

みーちゃんと難病

◆ みーちゃん
出身:広島県
職業:言語聴覚士
所属活動団体:
・広島希少難病つむぐ会
・広島難病団体連絡協議会

<病気発症からこれまでの歩み>
2011年(23歳)
言語聴覚士免許取得    
広島県の病院勤務 

2013年(25歳) 春〜夏
同僚に動きがおかしいと指摘・自分でもよく躓くことを自覚
整形外科受診するも問題なく、心の問題や疲れだと指摘される

2014年12月(26歳) 
朝起きたら立てなくなっていた。耳も聞こえなかった。
病院受診し、MRIにて延髄に好信号(炎症)あり。
入院となり、そのまま2ヶ月間治療・療養。

2015年4月 
杖または歩行器を使用しながら職場へ復帰。
自身の状態について納得がいかず、モヤモヤしながら日々を過ごす。
様々な病院を受診し続ける。

2015月10月(27歳)
あるブログに出会い鹿児島に専門の医師がいる事を知る。
電話をし、外来を予約。

2015月12月
鹿児島の専門医を受診。スティフパーソン症候群の可能性が高いことを告げられる。
広島県在住の専門医師に紹介状を書いてもらい受診。
山口県の病院へ繋がる。

2016年1月 
山口県の病院を受診

2016年6月(28歳) 
2週間入院し、確定診断がつく。 

2016年10月 
治療開始

2016年12月 
退院 

2017年2月 
定期入院での点滴治療開始(2ヶ月に1回・1週間ずつ)
公休を使いながら治療に通う

2019年 
在宅治療に切り替え(1ヶ月に1通院)

スティフパーソン症候群とは
非常に稀な進行性の神経性疾患で、自己免疫疾患の一種。体幹および四肢の変動する硬直、有痛生の筋痙攣、課題得意的な恐怖症、過剰な驚愕反応、および腰椎の固定された過前弯などの強力性の変形から構成される。有病率は1/1,000,000と推定されている。


かわむー
かわむー

最初の症状が出てから診断、そして治療まで、具体的にどのような経過を辿られたのでしょうか。


みーちゃん
みーちゃん

2013年の春、年齢で言うとちょうど25歳の頃、私は病院でST(言語聴覚士)として働いていました。

ある日、先輩に「なんか歩き方おかしいよ」って指摘されたんです。自分自身も、「最近、よく躓くな」って気になってはいたのですが、大したことないかと思い、そのまま過ごしていました。

夏頃、やはり違和感が続くので近くの整形外科に行ってみました。しかし、特に問題は指摘されず。紹介状を書いてもらって大きい病院にも行きましたが、はっきりとした原因は分からず「心の問題」だと言われました。だから、疲れているのかな、、と思いました。

それからも違和感は続き、2ヶ月に1回くらいのペースで病院を受診しました。


かわむー
かわむー

原因不明の症状が続き、不安でしたね。身体の異常を自覚しているにも関わらず、どこにいっても診断がつかないのは、とてももどかしかったのではないでしょか。


みーちゃん
みーちゃん

そうですね、モヤモヤとした時間を過ごしていました。

しかし、最初の症状出現から一年半後の2014年12月。朝目覚めると、急に立てなくなっていました。それどころか座ることもできないんです。ダルマみたいにグラグラと不安定な状態でした。さらには、テレビをつけたら耳も聞こえなかったんです。

すぐに病院に行き、耳鼻科の先生が脳になんかあったらいけないからと言ってMRIを撮りました。すると、延髄に炎症があったんです。細菌性のものではなく、原因は分からないと言われました。

とりあえず入院することとなり、そこから2ヶ月間病院で過ごします。


かわむー
かわむー

ここでも原因は不明、、。さらに、入院期間も結構長かったのですね。


みーちゃん
みーちゃん

そうなんです。入院中も、身体のことや原因不明ということがめちゃくちゃ不安になって、ネットで探しまくりました。

退院後は1ヶ月間自宅で療養し、2015年4月から職場へ復帰します。歩くのが不安定だったので、杖や歩行器を持って歩いていました。患者さんは当面は人数を減らして診療を行い、平面を歩くのがやっとの状態だったので仕事の移動ではコロコロの椅子も使用していました。

復帰後も、とにかくモヤモヤしながら生活することになります。
診てもらえる医療機関がないか、自分で1個1個電話しました。おそらく、県内で100箇所は電話したかなと思います。しかし、半分ぐらいは門前払い。50箇所くらいは受診しました。それでも、原因はわかりません。

精神薬を出され続けても、自分ではそうではないと信じて、先生を探し続けました。


かわむー
かわむー

大きく動いたのは、どのタイミングだったのでしょうか。


みーちゃん
みーちゃん

2015月10月に、プリティ長嶋さんという方のブログにいきつきました。そこに書いてあった病気の症状が、私とちょうど一致していたんです。ブログには、鹿児島に専門の先生がいると書かれていました。

すぐに調べてみて、「そこがダメならもう諦めよう」という思いで電話をしてみました。そして、少し遠いけれど「診療しますよ」と言ってもらったので、2ヶ月後の12月に鹿児島県へいきました。

鹿児島へ向かう道中では、車椅子と杖を持ってなんとか移動し、駅員さんの力も借りました。専門の先生に診察してもらい、そこで、現在の病気の可能性が強いよって言われたんです。鹿児島に通うのは無理があったため、広島県にいる専門の医師(友人だったそうです)につないでいただき、広島に帰ったあとすぐに受診しました。

そこで、現在の主治医の先生にさらに繋げてもらう事となります。


リハビリの始まり

かわむー
かわむー

鹿児島まで受診しに行った翌月の2016年1月に、今の主治医の先生のところを初めて受診されたのですね。


みーちゃん
みーちゃん

はい、早速受診しました。そこで診察をしてもらって、半年後の6月に、診断をするための検査などを行うための入院をすることが決まりました。

6月に入院した頃には、長い距離を歩いたら倒れるレベルで、タクシーを使いながらやっとのことで山口県の病院まで行きました。そこでは2週間ほど入院し、検査とリハビリに励みます。


かわむー
かわむー

診断をつけるための検査もたくさんあって大変だったことと思います。

入院中のリハビリでは、どんなことをされたのですか?


みーちゃん
みーちゃん

当時のリハビリの目標としては、体力を落とさずになんとか普通の生活に戻れればいいな一人暮らしが再開できたらいいなって思って取り組んでいました。

PTさんは、徒手療法するのがすごく難しそうでした。私の体の筋肉は、触ると力が勝手に入ったりしてコントロールが難しかったので、日常生活の運動とか短い距離の歩行練習とかをメインに行いましたね。

OTさんとは、生活の練習をしていました。動き方のポイントとか、生活で困ったこととか、応用できる事とかを教えてもらいました。


日々の暮らしと苦悩

かわむー
かわむー

確定診断がついた後は、定期的に入院しながら治療とリハビリに励まれたのですね。


みーちゃん
みーちゃん

そうです。初めての治療の時は3ヶ月くらい入院しました。その後は、2ヶ月に1回、1週間ずつ入院しました。微妙な期間なので特別休暇などは使わず、公休をまとめて取得して入院治療に当てていました。だから、仕事か入院か、の生活をずっと送ることになります。

2019年以降は在宅治療に切り替わったので、1ヶ月に1回通院するだけでよくなり、だいぶ楽にはなりました。

入院中はPTさんとOTさんのリハビリに励み、普段の生活でも家に籠っていてはいけないと、2015年くらいから車いすテニスを始めるようになります。テニス仲間と会話するのも楽しいし、球拾いとかラケット握りったりするだけでも良いリハビリになるんです。最初は1ヶ月に1回くらいから通い始めました。

また、職場の先輩にリハビリをしてもらうこともありました。


かわむー
かわむー

日々の暮らしやリハビリを続ける中で、“大変だな” とか “辛いな” と感じる瞬間はありますか?


みーちゃん
みーちゃん

体の痛みが強い時は、本当に辛いですね。今日はこれをしよう、と思っていても、全身に痛みがくるとなかなか動くことも出来ません。

家で生活する中でも、ヘルパーさんに来て欲しくなったり、便利な福祉用具が欲しいなって思う時はあります。実は私は、病気になった当初からずっと独り暮らしなので、それが結構大変に感じる時もあります。


かわむー
かわむー

ずっとひとり暮らしだったのですね…!

生活の工夫とか援助・支援といったものは、どういったものを活用されているのでしょうか?


みーちゃん
みーちゃん

バリアフリーのアパートの1階に住んでいて、家の中は杖かコロコロ椅子で移動しています。広い家ではないし自分だけの空間なので、マイペースに動いています。でも、家で転げるのはしょっちゅうですね。サービスとしては、訪問看護に週1回、薬剤管理に来てもらっています。

一人暮らしは大変さもありますが、自分の家で自由に生活が続けられているってことは、本当に嬉しいです。


一歩ずつ、前へ

かわむー
かわむー

リハビリやテニスを継続する事で、選択肢が広がったとか嬉しかった事などはありましたか?



みーちゃん
みーちゃん

リハビリやテニスを続けていて良かったなって思うことは、旅行に行けるようになったことでしょうか。

2017年に、車いすテニスの仲間にサポートしてもらいながら初めて沖縄に行ったんです。色々と不安もありましたが、このメンバーなら大丈夫かなって、安心して行くことが出来ました。てとても心強かったです。ダイビングもしたんですよ。

車椅子で旅行する際は、観光地とか宿泊先等のバリアフリー状況、あとは移動手段などが気になるのですが、旅行することに慣れて自信がついてからは一人旅もするようになりました。

旅行にいく時は「命の宝箱」と言って病気やかかりつけ医の事などを書いたものを持ち歩くようにしています。いつどこで倒れてもいいように、持ち歩くんです。ちなみにこれは、家にも置いあります。


かわむー
かわむー

命の宝箱、というものがあるのですね。いざという時のためにとても大事なことですね。

そして、身体が痛くなったり動かしづらい事があったりしても、車いすテニスの練習や旅行にも挑戦するなど、本当に前向きに取り組まれていて素晴らしいですね。

みーちゃんが前向きに取り組み続けられる、その原動力は何なのでしょううか?


みーちゃん
みーちゃん

皆さんがとてもいい人だから、です。本当これに尽きると思います。

特に車椅子テニスの場は、私にとって “ここに来たら分かってもらえるんだ、遠慮しなくていいんだ、この人たちは受け入れてくれるんだ ” って思える居場所になっています。

その安心感があるからこそ、いろんなことにトライすることが出来ていると思います。


かわむー
かわむー

どんな状態にあってもこの人たちは受け入れてくれる、そんな心の拠り所となる安心感が、車椅子テニスのコミュニティにはあるのですね。

確定診断がつくまで医師を探し続けていた期間や、仕事を休んで治療に励む時、その他にもたくさんの孤独と闘われてきたみーちゃんにとって、テニス仲間の支えこそが元気の源になっているのですね。


難病支援の活動

かわむー
かわむー

みーちゃんは、難病支援に関する活動にも積極的に取り組まれているそうですが、活動としてはどういったことをされているのですか?


みーちゃん
みーちゃん

私は「広島希少難病つむぐ会」に入らせて頂いています。また、県内の数ある患者団体よる自主運営組織として「広島難病団体連絡協議会」というものがあります。

そこでは難病フェスタやレアディジーズデイ(世界希少・難治性疾患の日)in広島を開催したりしています。私自身仕事もありなかなか思うように協力出来ていない上に昨年、今年はコロナの影響で益々参加出来ない状態になりもどかしい日々です。

しかし、そんな状況にある私でも、売上の一部が難病支援に寄付される自動販売機で飲料を買うことや、イオンの黄色レシート活動に参加する事は可能です。

これらは、ほんと身近な事なんですがまだまだ知られていない活動です。これなら無理なくいろんな人に参加してもらうことが出来るのではないと考えています。

このように難病っていうものを知ってもらう事、身近に出来る活動を知ってもらう事、こういった小さな積み重ねが大きくなるといつか凄い力になるとの思いで活動しています。


かわむー
かわむー

私自信、売上の一部が難病支援に寄付される自動販売機があることや、イオンの黄色レシート活動というのは初めて知りました。見かけた際は、支援させていただきたいと思います。

活動を続けられている中で、今後、こんな風になって欲しいという未来に対する希望はありますか。


みーちゃん
みーちゃん

日本では特定疾患に指定されているものは300ちょっとしかありません。

その枠から外れてしまうと医療費等の負担軽減支援が受けられないという状況があります。私の疾患も特定疾患ではないため、医療費の負担はとても大きいです。仕事をしているのでまだそこまで大きな不安を感じた事はないですが、それでもふといつまでこの生活が続くのかなと思う事はあります。

また、医療費が高額になるからと治療自体を躊躇してしまったり、治療費のために必要以上に無理をして働いている方がいるのはとても悲しいなと思います。かといって、特定疾患を増してしまうと今指定を受けている方の一部自己負担額が増額になる事も避けなければならないです。

ただ、病気に立ち向かうだけでも肉体的にも精神的にも負担がかかるので、せめて金銭面だけはと思ってしまいますが、これはとても難しい問題だと思います。

だからこそ難病についていろんな人に考えてほしいなって思います。いつ誰が発症するかわからないものなので、人事ではなく身近な問題として捉えてもらいたいです。

みんなが笑顔で暮らしていけるようになったらいいなっていうのが今考えている大きな理想です。


リハビリを始めた頃の私へメッセージ

かわむー
かわむー

最後に、リハビリを始めた頃の自分へメッセージがあれば教えてください。


みーちゃん
みーちゃん

頼れる人がいるから、頼っていいんだよ」って言ってあげたいですね。

最初に入院した2ヶ月間は、私にとってすごく大きな影響を与えてくれました。それまでずっと一人ぼっちで悩んで闘い続けてきたので、結構辛い時もあったのですが、入院して初めて、看護師さんやリハビリの人に支えられたんです。

病名が分かって、こうだから助けて欲しいって、自信を持って言えるようになりました。だから、そういった面でも、診断がついたことは本当にそれは良かったなって思います。


かわむー
かわむー

過去のご自身に宛てたメッセージから、同じように悩んでいる方の中にも救われる方はいらっしゃるのではないでしょうか。素敵なメッセージをありがとうございました。

みーちゃんの今後のさらなるご活躍を、心より楽しみにしています!

みーちゃんの難病支援活動に関するリンク
広島難病団体連絡協議会


みーちゃん、本日はありがとうございました。



以上、本日はスティフパーソン症候群という神経難病と闘う広島県在住の「みーちゃん」を紹介させていただきました。


一人でも多くの方に、みーちゃんの素敵な想いがお届けできれば幸いです。


最後まで読んでいただきありがとうございました。


今後ともリハノワ.comをよろしくお願いいたします!


かわむーでした。




※この取材は、本人の同意を得て行なっています。本投稿に使用されている写真の転載は固くお断りいたしますので、何卒宜しくお願い申し上げます。

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