みなさんこんにちは、リハノワのかわむーです!
本日は、一級建築士でバリアフリーコンサルタントの吉田紗栄子さんをご紹介します。
吉田さんは、一般社団法人ケアリングデザインの理事を務める傍ら、現在も一級建築士として福祉施設や高齢者・障害者に特化した住宅設計を手がけられています。また、ご自身も股関節に不自由を抱え、現在は毎日リハビリに励まれています。
今回、3年程前にバリアフリーにリノベーションされたご自宅にお邪魔し、建築士としての歩みや今後挑戦したいこと、また、ご自身のリハビリを経て感じたことや現在のリハビリについてお話を伺いました。実際のご自宅の写真も交えながら、その魅力を存分にご紹介していきたいと思います!
一級建築士・吉田紗栄子さん
一級建築士 / ケアリングデザイン 一級建築士事務所 代表取締役 / 一般社団法人ケアリングデザイン 理事 / NPO法人高齢社会の住まいをつくる会 理事長
Caring Design Architects HP より
1943年東京都生まれ。1964年の東京パラリンピックに日本赤十字語学奉仕団の一員(ボランティア)として参加。“高齢である”“障害がある”ということも大切な個性と考え、身体障害者・高齢者と建築との関わりをテーマに、住宅や福祉施設等を設計。バリアフリー建築の先駆者として、「住まいのリフォームコンクール」高齢者・障害者部門優秀賞など数々の賞を受賞した。2001年にNPO法人高齢社会の住まいをつくる会の理事長に就任。2013年 一般社団法人ケアリングデザインを設立、理事に就任。共著に『バリアフリー住まいをつくる物語』(三輪書店)、『50代リフォーム・素敵に自分流』(経済調査会)、共訳に『Rooms for care』(JID)がある。
バリアフリー建築の先駆者として
吉田さんが建築士を目指されたきっかけは何だったのですか? また、バリアフリーを知った当時のことを詳しく聞かせて下さい。
私は、親戚に建築業界に携わる方がいたことをきかっけに建築士に興味を持つようになりました。小学生の頃には既に、将来は建築士になると決意していたと思います。
高校卒業後は日本女子大学の家政学部住居学科に進学し、住まいについて学びました。住まいは家政(家事全体や一家の暮らし)から考えることが多いので、建築の仕事をするようになってからも、家政学部で学んだことはとても役に立ちました。
バリアフリーに興味を持ったのは、1964年の東京パラリンピックがきっかけです。当時、大学3年生だった私は、知り合いの方から「障害者のオリンピックがあるんだけど参加してみないか」とお声がけいただいたことから、イタリア選手団の通訳ボランティアとして参加することになりました。
その当時、日本ではバリアフリーのバの字も知られておらず、障害者の社会参加は非常に難しい状況でした。大会前、私はボランティアメンバーとともに車椅子の扱い方などを勉強し、会場も海外の方が宿泊できるように選手村が整備されていきました。
その時、自衛隊の方がたくさん来てスロープや手すりをつけていました。海外には当たり前のようにバリアフリーがあったのです。外国の障害者の方々は、生き生きとした表情をしています。その光景に、当時の私はとてつもない衝撃を受けたのでした。
パラリンピック期間中、私はイタリア選手団の方々と朝から晩まで暮らしを共にしました。一緒に暮らしたことで、気づいたことがあります。それは、「障害というのはひとつの条件」であるということ。
障害者の方の暮らしや住まいに興味を持つようになった瞬間でした。今から60年近く前のことです。
障害者としてではなく、一人の人として暮らしを共にできたことで見えた世界があったのですね。
吉田さんは、どのようにしてバリアフリー建築について学ばれていったのでしょうか?
海外に行きました。パラリンピックから1年後の1965年、国際競技大会に出場する日本選手3名に付き添ってイギリスに行きました。その帰りに初めて、デンマークを訪れたのです。
デンマークでは、コレクティブハウス(集合住宅の形態の一つ)や障害者住宅、またホームステイ先のお母さんが入居されていた老人ホームを見学しました。
その中でも、施設ではなくまるで家のような空間作りがされていた老人ホームは、私に強い衝撃を与えます。部屋には素敵な家具が取り揃えられ、小鳥が飼われ、大きな窓の外では緑が育てられていました。日本では考えられない光景ばかりが目の前に広がっているのです。
向こうの言葉で「ヒュッゲ:居心地」というものがありますが、まさにそれが国全体の文化として大切にされているのを感じました。
大学卒業後に福祉建築を設計する研究室に入り、再度デンマークの病院を訪問するなどして海外のバリアフリー建築について学びました。そして、28歳の時に建築事務所を設立。当時、日本では少ないバリアフリー専門の建築士として活動を開始しました。
私の手掛ける住宅のテーマは、パラリンピックの生みの親であるルードヴィッヒグットマン博士の「失ったものを数えるな。残された能力を最大限にいかせ」という言葉を座右の銘とし、「できる限り自分でできる居心地の良い家」です。
環境デザインの可能性
28歳で独立されてからは、どのような住宅を手掛けられたのですか? 印象に残っている住まいやエピソードがあれば教えて下さい。
印象に残っている建築の一つに、パラリンピック元日本代表・近藤秀夫さんの住宅があります。
彼の住宅には、35年間で5回携わりました。増築や改築、新築など、加齢による身体の変化も配慮しながらその都度設計しました。彼の住宅に関わる中で、環境がいかに障害を持った方に影響を与えるかというのを学びました。
2回目の工事の時、リビングの近くに「こあがりの和室」を作りました。これができたことで、彼の家には障害をもつ方や海外の方が喜んで泊まりにくるようになったのです。そのため、居間にベッドにも変形するベンチを置いて、お泊りの時に役に立つよう環境を整備しました。
3回目の工事の時、和室をきっかけに多くの方と積極的に関わるようになった近藤さんは、「僕はこんなにオシャレだと思わなかったよ」とウォークインクローゼットを希望されました。心にゆとりができ人と交流するようになったことで、オシャレをしたくなったというのです。
そして5回目の新築の設計時、彼はこんなことを言いました。
「20畳の居間が欲しい。ぶつからないで済む、ストレスのない家にしたい」と。
最初相談を受けた時は、20畳も必要かと少し悩みました。しかし、彼の暮らしをストレスフリーにすることが大切だと思い、希望通り広い居間を設計しました。その後、実際に広い居間で自由に動けるようになった近藤さんは、要介護度が下がったのだそうです。
環境や建築の持つ力を実感した経験となりました。
「その人の人生をより豊かに、その人らしく」
これはまさに、リハビリテーションそのものだと感じました。
身体の機能を良くするだけがリハビリなのではなく、環境を整えることも非常に大切なポイントになりますね。
私とリハビリ
吉田さんご自身も、現在はリハビリをされているそうですね。
もし宜しければ、リハビリが必要になったきっかけや経過について教えていただいてもよろしいでしょうか?
私は、42歳の時、急に左股関節が痛くなり歩けなくなりました。仕事や家庭のこともあるので構ってはいられない状況でしたが、痛みはどんどん強くなります。治療院や病院の整形外科を受診しましたが、問題は何も指摘されませんでした。そのため、鍼灸師さんを自宅に呼んで痛みをとってもらっていました。
最初に痛みが出てから2ヶ月後、あまりの痛さで精神的にも耐えられない状況となった私は大学病院の整形外科を受診しました。しかし、やはり原因は分かりません。そのまま入院で経過をみることとなり、約2ヶ月病院で生活しました。
結局、原因は不明のまま退院に。その後は、週刊誌や口コミで良いと言われる治療法をとにかく試みてみました。様々な方法を模索しながら、だましだまし約1年半が経過。気づいたら、杖がなくても歩けるようになっていました。それから10年間は再発することなく普通に生活をします。
しかし、60歳を過ぎた頃から再び痛みが出てくるようになります。人工関節の手術を受けることも何度か検討しましたが、長期間仕事を休むことへの不安や、股関節脱臼の可能性、人工関節の寿命が20年といわれていた(また手術が必要になる)ことから、なかなか手術に踏み切ることができませんでした。
そんな時、現在も通っているカイロプラクティックの治療院の先生と出会います。今から11年前、68歳の時でした。
先生に見ていただいたあとは身体がすごく楽になるので、今も週に1回通いながらリハビリを継続しています。
家事や育児、仕事もされていた中での原因不明の急な痛み、本当に辛かったことと思います。
吉田さんが取り組まれている現在のリハビリや、今後の目標などあれば教えて下さい。
今は、週に1回のカイロの他に自主リハビリや訪問リハビリを行っています。
自主リハビリでは、毎朝目覚めてすぐに体操をします。寝そべったまま足を上にあげる運動や、うつ伏せの状態から背筋を行います。その他、ウォーキングは毎日500mは必ず行うようにしています。雨の日は自宅でマシーンを使用し行います。
また、最近はあまり行けていないですが、プールは25年以上継続してきました。アクアウォーキングを30分実施したのち、水泳をします。息継ぎなしで20mはクロールできるのが、ちょっぴり自慢です。
現在のリハビリの目標は、娘や孫が住む熊本にいけるようになることです。今後はカイロも卒業できるように、なんとか頑張りたいですね。
不自由さから見えた世界
ご自身の身体にも不自由が生じ、改めて気づいたことや変化したことはありましたか?
まず建築に関して、自分の足が不自由になったことで改めて感じたのは、自分にあった家(環境)さえあれば障害は障害ではなくなるということです。
3年前に現在の自宅を設計した時は、いかに「ストレスフリー」にできるかこだわり抜きました。自宅の中での動線や使い勝手など、いろんな所からストレスは生じます。現在の自宅は、それらを感じないような設計にしています。
また、私は現在、介護保険は要支援2で週に1回ヘルパーさんに掃除を手伝ってもらっています。また身体障害者障害4級で、週に2回訪問リハビリを受けています。
医療・介護保険をうまく使いながらできることは自分でできるように、人や制度に頼りながらもいつまでも家で自立した暮らしが送れるように、環境を整えることが重要です。
介護保険の目的は「自立を支援する」ことですものね。最後まで自宅で生活するために、住まいの環境にも気を使うことが重要だと改めて感じました。
自宅のこだわりポイント
3年前にご自宅をバリアフリーにリノベーションされたとのことですが、吉田さんのこだわりのポイントを教えて下さい。
建物自体は築50年のマンションですが、ロビーに入った瞬間「ここだっ!」と思い即決しました。
すぐにリノベーションできる部屋は空いていなかったので、まずは賃貸で10ヶ月住んだ後に改修工事に入りました。以前の自宅で使っていた棚や板などもリメイクして使っています。
自宅のこだわりポイントについて、いくつかご紹介させていただきます。
■ 玄関:
車いすの方の訪問がある時は、段差解消ができるように板を設置
■ 洗面所の扉:
限られたスペースを有効活用できるように、開き戸を引き戸に変更
■ 浴室の段差/手すり
マンションは水周りはどうしても高くなるため、台をや手すりを設置
■ トイレ:
広い空間を確保するために設計されたこだわりの「引き戸+開き戸」
■ 手すり:
一般的な手すりは設置せず、家具や棚を伝えって歩けるように高さや配置を調整
■ 台所:
食器棚は使いやすいようにすぐ後ろに設置。また、座って家事をする時に足が入るようにシンクの下は引き出しではなく開き戸に変更
■ 書斎:
リビングと書斎は家具で区切らている
■ 照明:
あたたかみが出るように、照明は暖色を使用
この他にも、光や風を意識した設計やもの選び、元々あったものを活かす工夫などたくさん施されていました! 住まいの環境ひとつで暮らしが大きく変わること、ストレスフリーになることがよく分かりました。
吉田さんのお宅は、本当に居心地が良いですね。なんだかとても落ち着いた気持ちになりました。
今回は限られた予算ということもあったので「リバリュー=再び価値を与える」「既にあるものを活かす」ということをコンセプトに設計をすすめていきました。
元からあるものを活かしこれからも共に暮していくって、とても居心地が良くて安心するんですよね。
また、家に手すりがたくさんあったら居心地良いでしょうか。
いくら歳をとってもバリアフリーが表にですぎるのは、居心地としては良いとはいえないんです。家具や棚の高さや位置を調整して伝い歩きできるようにすれば、それらは改善されます。
車椅子の方も遊びに来てくれましたが、ストレスなく使っていただくことができました。車椅子になるとどうしても人の家に行く機会が減ってしまいます。
これからの住宅は、車椅子の方も呼べるような、さらにはご自身が車椅子になってもずっと住み続けられるような、大げさではない仕掛けを作っていく必要があると考えます。
ケアリングデザインに懸ける想い
最後に、吉田さんが現在取り組まれている「ケアリングデザイン」でのご活動や、そこにかける想いを教えて下さい。
私が理事を務める一般社団法人ケアリングデザインでは、50代以降の大人のくらしの自己実現を考える「Good Over 50‘s」や、ケアが必要な時間・空間をデザインでサポートする「Design for Care」をテーマに、デザイン、建築、医療、看護、福祉、ことばの専門家の有志が集い生活者の視点でくらしのデザインを考えてきました。
「100年人生」といわれる超高齢社会が到来します。いつでも、いつまでも、慣れ親しんだ我が家で過ごしたいという想いは万人共通のものだと思います。
私たち建築のクライアントも、当然ながら高齢化していきます。にも関わらず、バリアの多い家をいつまでも提供していてはいけないと思うのです。
介護保険でできる住宅改修などは限られているので、元気なうちに骨組みだけでも作っておくことは大切です。
今後、大切な家族やご自身が車椅子になった時にも「安心して暮らせる居心地の良い家」を提案し続けたい。そして、その住まいづくりを提案できる人を増やしていきたいと私は考えています。
身体に不自由がなくとも、住まいにはストレスがたくさんあると感じます。いつか家を建てる際には、何年、何十年後を見据えて設計してもらえるよう、提案できるようになりたいなと感じました!
ケアリングデザインは、どのようにして学んでいったら良いのでしょうか?
ケアリングデザインでは、超高齢社会のくらしのデザインと知識を総合的に学ぶための場として「Caring Design Learning Lab:CDLL」というのを設立しました。
そして、2022年春からは「EXPERT講座・検定」がスタートしました。約半年間、オンラインにて各分野の専門家による18の講座を受講し検定試験に合格した方には、Caring Design EXPERTの認定証が授与されます。
超高齢社会を知る、五感アプローチデザインを学ぶ、住み続けられる住まいの基本を学ぶ、テーマごとにスペシャルな講師と出会う、仕事をスキルアップする、メンバーと知り合い学び続けることに興味のある方は、ぜひサイトをご覧になっていただければと思います。
私も実際にサイトを見せていただきましたが、建築士やデザイナーさん以外にも、医療介護福祉従事者や教育関係者、自治体職員など様々な領域の方が受けられるようになっているのですね。対象を広く設定されているのが良いなと感じました。
これからの日本では、在宅での生活がギリギリまで送れるような体制もさらに整備されていくことと思います。その時、住まいについて専門家に丸投げするのではなく、しっかりと向き合える人でありたいと思いました。住まいや暮らしに向き合うことは、自分自身の人生に向き合うことにも繋がると思います。
吉田さんのこれまでのご経験や現在の活動、そして今後に思い描くことをお聞きし、吉田さんの想いを少しでも多くの人に伝えるお手伝いができたらな、と思いました。
バリアフリー建築の先駆者として今も輝き続ける吉田さんのご活躍を、これからも応援しております!
本日はありがとうございました。
吉田さんの関連情報
・一般社団法人ケアリングデザインHP
・Caring Design EXPERT講座・検定
・YouTube「吉田邸のルームツアー」
ぜひ合わせてご覧ください。
以上、本日は一級建築士でバリアフリーコンサルタントの吉田紗栄子さんを紹介させていただきました。
一人でも多くの方に、吉田さんの素敵な想いと魅力がお届けできれば幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
今後ともリハノワをよろしくお願いいたします!
かわむーでした。
この取材は、施設から同意を得て行なっています。本投稿に使用されている写真の転載は固くお断りいたしますので、何卒宜しくお願い申し上げます。
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