みなさんこんにちは、リハノワ.comのかわむーです。
本日は、2020年秋に福岡の自宅でお母さまの看取りを経験された「藤崎家」を取材してきたので、皆さんにご紹介したいと思います。
藤崎家のお母さまは、子宮がんのため2018年から闘病生活がスタート。2020年夏頃からリンパ浮腫が増悪し、リハビリを受けながら在宅での療養を希望されます。最期は、家族全員と多くの医療・介護事業所のサポートを受けながら非常に温かい時間を過ごされたそうです。
この記事では、当時の様子やいつもそばで支え続けられたお父さまや娘さまの想いに迫っていきたいと思います。
藤崎家
藤崎家は、お父さん、お母さん、息子さん3人、娘さんと猫2匹の大家族。長男さんは県外、次男さんと三男さんは近所に在住、実家にはご両親と娘さんの3人で暮らしておられました。
お父さんは、笑顔がとってもチャーミングで、ゆっくりとお話しされる言葉の一つ一つから温かみが感じられる素敵な方です。20代である長女さんは、4兄弟の末っ子。時折見せる笑顔はお父さんと同じで非常にチャーミングですが、ものすごくしっかりとされている凛とした女性です。3人のお兄ちゃん達はとても仲良しで、男3人だけのLINEグループもあるくらい。兄弟でペアを組んでテニスの大会にも出たりしていたそうです。
そんな温かい藤崎家のお母さんは、ものすごく包容力があり皆から頼りにされる存在。料理が趣味で、床に伏せてからも毎日YouTubeで料理動画を見てはレシピノートを作成されていたそうです。
温かくて仲の良い、非常に “魅力的な家族のカタチ” がここにはありました。
お母さんと病気
藤崎家のお母さんの病気が判明したのは2018年。57歳の時でした。
夫婦で病院を受診した際に、医師から病気を宣告されます。その時に言われた余命は、5年。話が終わった直後、お父さんは、お母さんのいないところで医師に本当のところを聞きたいと駆け寄りました。すると医師から、「実際には、あと2年ぐらいかもしれません、、、」と告げられたそうです。それから、お父さんは誰にもこのことを言えず約1年間一人で抱え込むことになります。
宣告を受けた後も、お母さんは落ち込む様子を表に出すことはなくいつも通り気丈に振る舞います。お父さんは余命のこともあるので、保険や通帳について、お母さんにそれとなく確認していきます。しかし、「あと5年あるんだから、なんでそんなに焦るの?」と怪しまれ、なかなかうまく聞き出せません。
宣告から約1年が経過した2020年初頭。ご夫婦と娘さん3人で、医師から再度、病状について説明を受けました。お母さんは初めて、本当の余命を知ります。医師からは抗癌剤による治療の提案もありました。悩んだ結果、抗がん剤治療を受けることを決意し、春から治療が始まります。
2020年5月、お母さんは腸閉塞(腸が詰まってしまうこと)を起こし、緊急で入院することになりました。手術が必要な状態であり、数週間ほど入院治療を行いました。
術後の経過はよく、無事に自宅へ退院。その後は家でゆっくり過ごすも、8月頃より足のリンパ浮腫が強くなってきます。医師よりリンパ管静脈吻合術 (LVA) という、流れの悪くなったリンパ管を静脈につないでリンパ液が心臓へ戻っていけるようにする手術を受けることを勧められ、併せて、リンパ浮腫に対するリハビリも開始することになりました。
お父さんは9月から仕事を休職し、お母さんの介護に専念することを決意。10月からは、遠い県外に住む30代の息子さんも1ヶ月間仕事を休職し、実家に帰ってきます。
その頃、お母さんはほとんど動くことができずベッド上での生活が中心となっていました。近所にいる2人の息子さんも、それぞれの家庭の時間も大切にしながら頻回に実家へ帰ってこられます。10月からの1ヶ月間は、家族6人が実家に集結し、お母さんと一緒の空間で、一緒の時を過ごしたそうです。
お母さんの寝る部屋には日替わりでみんなが付き添い、夜を過ごしたそうです。
2020年11月初旬の早朝。家族全員に見守られる中、お母さんは天国へ旅立たれました。59歳でした。
リンパ浮腫とリハビリ
時は遡って2020年8月。藤崎家はある女性に出会います。それは、リンパ浮腫に対するリハビリの先生。病院で手術の説明を受けた時に、医師から紹介されました。
彼女の名は今村さあらさん。彼女自身も難病・遺伝性血管性浮腫(HAE) と闘いながら、理学療法士およびリンパ浮腫ケア技能指導者として在宅の現場で活躍されている方でした。彼女からリンパ浮腫のリハビリについて説明を受けます。しかし、リンパ菅は血管と違って見えにくいし、なんだかよく分かりません。そのため、最初は半信半疑だったというお父さん。それでも、お母さんが少しでも楽になればとの想いで、家でリハビリを受けることを決意しました。
病院で説明を受けてから10日後の2020年9月初旬、リハビリが開始。今村さんが家にこられ、ベッドの上でお母さんの腫れた足をケアしてくれます。彼女が帰った後、お母さんは気持ちよかった〜と、とても表情が柔らかくなったそうです。見様見真似でお父さんもやってみますが、「今村さんはもっと優しく、手をただ置いているだけのようよ」と教えてくれます。リンパの管は皮膚のすぐ下を走っているため、筋肉をほぐすようにガシガシするのではなく、撫でるようにするのがコツなのだそうです。
お母さんに感覚を教えてもらいながら、お父さんのみならず家族みんなでリハビリをするようになりました。今村さんも家族の皆に指導してくれます。
リハビリの時、お母さんはいろんなお話を今村さんにしてくれました。お父さんと出会った頃のこと、それからの生活、お孫さんの話、多くの思い出をベッドの上で振り返ります。お母さんにとっては心も身体も癒しの時間になっていたことでしょう。
9月の中旬と10月の中旬。お母さんは、それぞれ1泊2日でリンパ管静脈吻合術 (LVA)を受けたるため病院に入院しました。
手術の後は腫れもひいて楽になりますが、またすぐに腫れは強くなります。リンパ浮腫の痛みにより、眠れない夜が何日も続きました。そんな中でも、今村さんがケアに来てくれる時だけは楽になり、眠ることができました。痛くて苦しんでいるお母さんを見るのはご家族さんもとても辛かったので、今村さんが来られると安心していたそうです。「今村さんが来たら、寝れる」最期の方は、そんな感覚だったといいます。
最終的に、今村さんによるリハビリは、お母さんが旅立たれる前日まで行われました。
当時を振り返る
お父さんと娘さんに、当時の想いについて伺ってみたいと思います。
お家で最後の時間を過ごすことを決意した “決め手” は何だったのでしょうか。
病院の先生から選択を迫られた当時、病院は新型コロナウイルスの影響で面会ができない状況だったんですよね。
女房は「最期は家で過ごしたい、家に帰りたい」って言ったから、「うん、帰ろう。そうしよう」って、迷うことなく家を選びました。
でも、コロナじゃなかったら、もしかしたらこの選択はしていなかったかもしれないです。コロナがあったから、です。普段の状況だったら病院に入ってたと思います。
世間の状況も含めて、多分全てがよかったんでしょうね。病院にいたら、ここまで満足のいく、家族だけの素晴らしい時間は絶対に過ごせていなかったと思います。会社に迷惑はかけたりしたけど、僕は後悔はしてないですね。
家族だけの素晴らしい時間というのは、具体的にどのような時間だったのですか?
そして、実際にその時を過ごしてみて、お父さんはどう感じましたか?
長男も遠くから帰ってきて、家族6人と猫2匹がゆっくりとした濃い時間を過ごしました。部屋の壁紙も、女房が明るくなるようにって、子ども達が明るい柄のものに変えてくれました。好みの飾り付けも、部屋にしたりしてね。
あとは、食事の時間に何とか車椅子にのって食卓を囲んで家族団欒もしました。グラスにビールを入れてあげて、みんなで乾杯もしたね。
こんな感じで、家族みんなで関われた時間は、本当に最高でした。女房は、最後の最後まで、藤崎家の “お母さん” のまんまだったね。6人と猫2匹で取り囲んで、幸せな時間でしたよ。
最後2ヶ月でどーんと悪くなってみんなで看取る体制を作ったんだけど、本当言えるのは、人に恵まれたなということです。当時関わってくれた方の名刺は、今でも全て大事にとっています。
リハビリでいうと、今村さんがくる時間だけは本人も安心して寝てくれて、私たちもすごくそれが支えになりました。
やはり、家族だけでは不安になることも多いから、外から人がきてサポートしてくれるのはとてもありがたかったですね。おかげで素敵な時間が過ごせたのでね、感謝ですよ。
お父さんは今、どんな時間を過ごされていますか?
女房がいなくなって、はじめは「今からどうしよ」ってなったね。一緒に死のうかとも思ったりしたし。
今まで、洗濯とかその他の家事も全て女房任せだったんです。子どもも、一人で育ててくれてたようなもんです。女房がいなくなって初めて、全てしてくれていたんだなぁって、改めて感じています。今は、家事を覚えたり結構大変だけど、この時間は女房から与えられた試練だと思って頑張ってこなしています。
実は、3月30日は36回目の結婚記念日でした。俺ももう定年も近いからね、仕事が終わったら夫婦でたくさん出かけようと思っていたんです。いろんなところに連れていきたいなって。昔は、酔っ払って帰ってきたりしてどうしようもない親父で迷惑かけたから。でも叶わなかったですね。
ここの家には、写真もあるし、まだ女房がいるような気がして、死んだって実感はないですよ。ものすごく寛容で、なんでもいいよっていうような人でした。女房には本当、感謝しかないですね。
本当に頼りになる素敵なお母さんだったのですね。
娘さんから見たお母さんの最期の生き方というのは、どうでしたか?
本当に良かったと思います。最期
をみんなで家で過ごせて、私としてはとても素晴らしい時間でした。
でも、私は家でも唯一の女性だから、家庭の味をちゃんと教えてもらっておけばよかったな〜って後悔しています。お母さんはめちゃくちゃ料理が得意で、いつもいろんなものを作ってくれていました。
小さい頃の夜ご飯で嬉しかったのは、みんなで囲んで食べる鍋料理でした。鍋の時はテンション上がっていましたね。懐かしいなぁ。
お母さんはレシピも残してくれているので、少し見返してみたいと思います。
最後に
藤崎家が懸命に向き合ったお母さんの最期の時間。そのストーリーから、家族のあり方や家で看取るということ、自分自身の生き方についてまで、本当にたくさんのことを考えるきっかけをいただきました。
藤崎家の愛に包まれた温かい最期の時間は、多くの人に届いて欲しいなと感じます。
今回、お話を聞かせていただいた藤崎家のお父さん、長女さん、そして当メディアと引き合わせてくださった理学療法士の今村さんには、心から感謝申し上げます。
本当にありがとうござました。
以上、本日は2020年秋に福岡の自宅でお母さまの看取りを経験された「藤崎家」をご紹介させていただきました。
一人でも多くの方に、藤崎家のみなさまの素敵な想いがお届けできれば幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
今後ともリハノワ.comをよろしくお願いいたします!
かわむーでした。
※ 2021年7月3日、掲載内容の誤りがあり一部修正しています。(病名 乳がん→子宮がん)
※この取材は、本人の同意を得て行なっています。本投稿に使用されている写真の転載は固くお断りいたしますので、何卒宜しくお願い申し上げます。
■ 担当セラピストの今村さんの記事はこちら
・前編
・後編
コメント
家族の愛情を感じる素敵な話でした。
昔、高齢な女性のガンの患者さんに関わった際、家族がよく面会に来られる方でした。
ベッドサイドでリハビリをしている際もご家族がいて、その方がイケメンが来るから毎日楽しいのよって冗談交じりにおっしゃっていました。
余命は残り少なく、介入する日に日に衰弱。
遂には会話もままならなくなりましたが、ギリギリまで関わりたい思いから最後までベッドサイドに通いました。
最後にリハビリをした日、家族が涙ながらにほら、またイケメンが来たよって。話しかけていて、いつもおばあちゃん貴方が来るの楽しみにしているんですって言われた時、涙が出そうになったのを今でも思い出します。
その夜の深夜亡くなりましたが、ご家族がリハビリの方に宜しくお伝えくださいと言っていたと担当看護師から聞き、密かに泣いたのを思い出しました。
患者様にはもちろん、ご家族にとって少しでもよい生活を提供できるセラピストでありたいと改めて思わせていただきました。
素敵な記事をありがとうございました。
川越さん
素敵なコメントありがとうございます。その時の情景が目に浮かび、とても胸が熱くなりました。
これからも素敵なセラピスト・川越さんを、リハノワは応援しております。