みなさんこんにちは、リハノワ.comのかわむーです!
本日は、広島県にある西広島リハビリテーション病院さん協力のもと、頸髄損傷後に脊髄の “再生医療” を行い、現在、目標に向かって一生懸命リハビリに取り組まれている20代男性 「KANさん」を取材してきたので、みなさんにご紹介したいと思います!
KANさんとリハビリ
ほんのりと額に汗を滲ませながら真剣な表情でリハビリに取り組んでいるのは、広島県在住の20代男性 KANさん。
リハビリの時の真剣な表情とは裏腹に、普段見せる爽やかな笑顔がとっても素敵な男性です。
KANさんが不慮の事故により第5頸椎骨折を受傷・頸髄損傷となったのは約半年前。
救急車で病院の救急救命センターに運ばれたKANさんは、なんとか一命を取り留め、5日後に頸部の骨折した部分を固定する手術を受けました。その当時、腕はかろうじて動かせたものの、手足や体が全く動かず寝たきりの状態でした。“再び動けるようになりたい” という一縷の望みを持ち、その後、脊髄の「再生医療」を受けるために医療用ジェットを使用し県外の大病院へ転院。1ヶ月半の細胞の育成期間を経て、“骨髄間葉系幹細胞” を身体に投与。その1ヶ月後に近隣のリハビリ専門の病院へ転院。そこで3ヶ月半にわたるリハビリを実施し、広島へ帰還。現在は、広島市佐伯区にある西広島リハビリテーション病院にて一生懸命リハビリに取り組まれています。
脊髄の再生医療
自分の細胞で脊髄損傷を治療するという「再生医療」。
その治療を受けるため県外の大病院へ移動、そして約2ヶ月半にわたる入院治療をされたそうですが、その時の様子を簡単に教えていただいてもいいですか?
KANさん:
空港と病院までの移動は救急車、そして、空港間の移動には医療用ジェットを使用しました。
飛行機での移動はあっという間だった印象です。
入院してから細胞を作る期間はだいぶ長かったです。まずは「貯血」といって、自分の血で細胞のベッドを作るんですけど、それが4回ありました。まず2回血をとって、その後に脊髄細胞を取って、後でもう2回とりました。
それで、入院して約6週間で細胞を投与しました。
投与自体は静脈から点滴するのですが、僕の場合は小さな点滴バックが2つでした。真っ黄色をしていたのが印象的です。
入れた時は、“腹筋が熱くなる感じ・ポカポカ温かくなる感じ” がしました。これは当時治療した周りの人も言っていました。
その日は光を見ちゃいけないということで、投与後はカーテンを締め切った電気もない真っ暗な部屋で過ごしました。ケータイの使用も禁止されました。
翌日からは、通常通りリハビリが始まりました。
日本ではまだ数少ない脊髄の再生医療。
実際の生の声を聞くことができて、とても勉強になりました!
細胞投与まで辿りつけないことも少なくないようで、実際に順番もいくつか早まったそうです。
リハビリのその先に
KANさんの今現在の “リハビリの目標” はなんですか?
KANさん:
まずは、“杖なしで歩く” ことですね。
あとは、僕は海が好きなんで “早く潜りたい” ですね!ダイビングが好きで、毎年沖縄の海に行きよったんです。また行きたいですね。
杖なしで歩けるようになって、早く海に潜る!
こんな風に目標があると、リハビリも頑張れますね。
KANさん:
はい。でも、やっぱり一番の目標は、、、
“子どもが欲しい” のが一番です。
“ 子どもを肩車して歩けるぐらいになりたい” ですね!
そう話すKANさんの笑顔はとてもキラキラしていました。
奥様やご両親もとても献身的で心優しく、普段から素敵な家族に囲まれているそうです。“家族” に対する想いの強さを感じました。
実際のリハビリ
この半年間、様々な施設でいろんなリハビリをしてこられたと思いますが、どんなリハビリをしてこられたのですか?
KANさん:
運ばれてすぐの病院では、“起立性低血圧” といって起き上がったときに血圧が下がってしまう症状がひどく、ベッドから足を垂らして座れたのは入院して10日ぐらい経ってからでした。座った時、体はグラグラでした。
当時の体の状況としては、肩をあげたり肘を曲げたり手首を動かすのはかろうじて出来ましたが、手の指や体幹、足を動かすことは難しかったです。
県外の大病院に移ってからの1ヶ月半くらいは、低血圧の症状を慣らすために起立台を使って立つ練習をしていました。細胞を投与した後くらいから低血圧の症状がやっと落ち着き、長下肢装具というのをつけて足を踏み出すステップの練習をしたり、プッシュアップといって上半身を鍛える練習をしていました。長座位の状態から手で体を持ち上げるので、腕はだいぶ筋肉がつきましたね。
僕は低血圧の症状がかなり長かったんですが、当時いろんな病院から来た仲間の人たちを見ていると、運ばれてすぐの時から積極的に起きる・立つ練習をすることが、その後の状態に影響する印象を受けました。
脊髄損傷、特に頸髄損傷の後に起こりやすいと言われている “起立性低血圧” は、自律神経の障害により血管が十分に収縮できないことが原因で起こってしまうそうです。
KANさんから実際の経験談を聞けたことで、改めて、運ばれてすぐの段階からリハビリを開始することの重要性を感じました。
細胞を投与後、近隣のリハビリテーション病院に移ってからはどんなリハビリをされたのですか?
KANさん:
近隣のリハビリテーション病院には細胞を投与してから1ヶ月ぐらいで転院したんですが、その頃から足の踏ん張りがきくようになり、歩く練習が始まりました。
松葉杖で歩けるようになったのは、移ってから3週間程たってからでした。
筋力をつける練習と歩く練習は、その頃から広島に帰った今でも頑張って行っています。
今はバランスはまだいまいちですが、力はぼちぼちついてきたように感じています。
“家族” と “仲間” の支えが原動力
大きな目標に向かって、日々、合計3時間にもわたるリハビリに一生懸命取り組まれているそうですが、その “原動力” とは一体なんなのですか?
KANさん:
“ 家族 ” じゃないですかね。あと、“仲間” と。
県外の病院で治療・リハビリをしていた期間も、近くに家を借りて家族がついて来てくれていました。
親父にも、今回はだいぶ世話になりましたね。
職場の仲間もそうですし、県外で治療・リハビリした時に出会った仲間の存在も、だいぶデカかったですよ。
KANさんのまっすぐな目と真剣な表情から、ご家族さんの支えがものすごく大きな原動力になっていることを感じました。
職場の仲間の方も会いに来て励ましてくれたり、県外で治療・リハビリをしていた時の仲間の方とも今でもやり取りをして、お互いに励ましたり進捗状況を報告しあったりされているそうです。
多くの方の支えによって今の前向きなKANさんがいるんだな、という印象を受けました。
やる気が出る瞬間
リハビリを頑張っていて、“嬉しい” とか “やりがい” を感じる瞬間ってありますか?
KANさん:
数字で見えた時が嬉しいですね。どんどん数字が伸びる時。
10m歩行テストで歩くスピードを測ったり、6分間歩行テストで距離を測ったりしています。
この前は6分間歩行テストで距離が伸びていました。
あとは、握力も上がってきています。
もともと手は固まっていて動かなかったんですが、今は右が17kgで、左が13kgです。
数字で客観的に見えると確かに嬉しいですよね!
きっと今の状態を知らない最初の頃に出会った人は、6分間も連続で歩けることや、動かなかった手が握力が測れるほど強くなっていることに驚かれるのではないでしょうか。
日々のリハビリで一喜一憂することもあるかと思いますが、KANさんは日々確実に一歩ずつ前に進まれています。これからも気負いしすぎず、たまには息抜きもしながらリハビリに取り組まれてくださいね。私も応援しています!
同じようにリハビリをされている方へ
最後に、同じようにリハビリをされている方へ向けて、KANさんからメッセージをいただきました。
KANさん:
なんていうか、“諦めたらダメですよね、絶対に” 。
やり続けたらいいんじゃないですか。
“絶対に復活する!” っていう強い気持ちを持ってやっていったら、必ず良くなると思います。
“諦めたらダメ” ですね!
絶対に復活するという強い気持ちを持ち、絶対に諦めないこと。
力強く話されるKANさんの言葉を聞いて、私もとても胸を打たれました。
同じように現在リハビリに取り組まれている方にとっても、心に響く大きなエールになったのではないでしょうか。
彼の、目標に向けて一生懸命リハビリに取り組む姿とその家族や仲間との絆に、とても心を打たれたかわむーでした。
KANさん、本日は本当にありがとうございました!
以上、本日は、頸髄損傷後に脊髄の再生医療を行い、現在、目標に向かって一生懸命リハビリに取り組まれている20代男性 「KANさん」を紹介させていただきました。
一人でも多くの方のリハビリの励みや元気に繋がると幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
今後ともリハノワ.comをよろしくお願いいたします!
かわむーでした。
※この取材は、本人の同意を得て行なっています。本投稿に使用されている写真の転載は固くお断りいたしますので、何卒宜しくお願い申し上げます。
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