リハビリの手が届かない場所での挑戦 | 地域おこし協力隊(理学療法士)泉真里恵さん

みなさんこんにちは、リハノワ.comのかわむーです!

本日は、岡山県の西粟倉村で「地域おこし協力隊」として活動されている理学療法士の泉真里恵さんを取材してきたので、皆さんにご紹介したいと思います!

普段お仕事をされる中で感じることや、理学療法士として、また地域を支える一員として大切にされている熱い想いや活動についてなど、その魅力にとことん迫っていきたいと思います!



理学療法士・泉 真里恵さん

かわむー
かわむー

泉さんが普段、理学療法士として関わられている方や専門分野を教えてください!


泉さん
泉さん

私はこの春(2020年4月)から、岡山県にある西粟倉村というところで「地域おこし協力隊」として地域に関わりながらお仕事をしています。

もともとは関西にある病院で5年間勤務し、回復期や維持期、外来や訪問でのリハビリに従事しました。その後、大阪にある障がい者の自立を支援するNPO法人に移り、ここでも5年間勤務しました。

NPO法人は、もともと “大阪にボランティアを広めよう” という活動を母体に、現在80代になる理事長が始められた団体です。ここでの利用者は、就労継続支援のA・Bにも漏れてしまう方や、失語症などがあり社会生活が上手くいかなくなってしまった方など、20~50代を中心に脳血管疾患の方が多く来られていました。


就労継続支援とは、企業などで働くことが困難な場合に、障がいや体調に合わせて自分のペースで働く準備をしたり、訓練を行うことができる福祉サービスのことです。

就労継続支援A型
・対象:一般企業で働くことが難しいものの、一定の支援があれば継続して働ける人

就労継続支援B型
・対象:年齢や体調などの面で雇用契約を結んで働くことが困難な人

雇用契約を結び給料が支払われるA型と比べ、B型の場合は、作業内容は軽作業のことが多く、事業所と雇用契約を結ばないため、生産物に対する成果報酬の「工賃」が支払われます。


かわむー
かわむー

病院勤務後は、障害者の自立支援を行うNPOで働かれていたのですね。

今でこそ少しずつ増えてきていますが、当時、障害者の自立支援に関わる理学療法士というのは少なかったのではないですか?


泉さん
泉さん

そうですね。周りにはほとんどいなかったです。

ですが、スタッフの “制度から漏れる人を助けたい” という熱い思いに惹かれ一緒に働くことにしました。色々と苦労もありましたが、とても良い経験になりました。



地域おこし協力隊 × 理学療法士

かわむー
かわむー

現在、「地域おこし協力隊」として岡山県の西粟倉村で活動をされている泉さんですが、一体どんなことをされているのですか?


泉さん
泉さん

放課後等デイサービス、高齢者の通所介護施設、小規模多機能施設、地域サロンなどを訪問して運動指導をしたり、ケアマネさんとご自宅訪問などをしています。

また、ボッチャというスポーツを定期的に行う会を運営したり、ニューロダンス研究会という老若男女・年齢・障がいの有無に関係なくみんなでダンスを楽しむコミュニティも運営し、体を動かすことの楽しさを伝えていく活動をしています。



かわむー
かわむー

たくさん活動されているのですね!

泉さんが、地域おこし協力隊になろうと思った “きっかけ” はなんだったのですか?


泉さん
泉さん

都会じゃなくて、“リハビリの手が届かないようなところで 、生活を支える人になりたい” と思ったのがきっかけでした。島とか、村とか。もともと登山やサイクリングなどのアウトドアが大好きだったのもあります。

また、この地域にはもともと知り合いの理学療法士 橋本大吾さん(一般社団法人りぷらす代表)という方が関わられていて、その方のお話を聞いたりして地域での活動にどんどん興味を持つようになりました。

移住する約1年半前に、西粟倉村で移住者の受け入れを目的としたフィールドワークがあり、これに参加しました。西粟倉村の高齢者に会ったり、役場の人に会ったり、村を歩いたりして、この地域の魅力に引き込まれました。

そして1年間悩んだ結果、ここの「地域おこし協力隊」に応募することにしたんです。


かわむー
かわむー

リハビリの手が届かないようなところで 、生活を支える人になりたい” というのはとっても素敵な思いですが、相当の覚悟がないと出来ないことですよね。

西粟倉村の「地域おこし協力隊」の仕組みは、一体どのようになっているのですか?


泉さん
泉さん

もともと「地域おこし協力隊」というのは総務省が主体となって推進しているもので、協力隊一人につき3年間与えられます。月20万円程度の補助を受けながら、協力を要請している地方自治体で活動していきます。

私のいる西粟倉村では、株式会社エーゼロという会社が村から委託を受けて移住・企業支援事業を推進しており、「西粟倉ローカルベンチャースクール」「西粟倉ローカルライフラボ」というの立ち上げられています。私はローカルライフラボの中にある福祉コースの2期生として活動中です。(※現在募集は終了)

ここでは研修制度が取り入れられており、はじめの3ヶ月間は研究生として地域の障害者施設や社協を毎月一カ所ずつまわり勉強しました。


かわむー
かわむー

研修期間が設けられ、様々な施設で勉強できるのは非常に良い制度ですね。

西粟倉村で活動する地域おこし協力隊員の中には、泉さんの他にも医療従事者はいるのですか?


泉さん
泉さん

理学療法士は私1人だけですが、薬剤師さんや助産師さんなど何人かいます。
助産師さんは「こじか助産院西粟倉」という助産院を設立し運営されています。

西粟倉村には診療所が1箇所だけあるのですが、そこに毎日医師が交代で派遣されてきて、村の人の診察を行います。看護師は役場と診療所に数名います。


かわむー
かわむー

理学療法士が地域に一人という環境は少し心細くなってしまいそうですが、活動的な医療者の方々が周りにいて心強いですね。

派遣されて早々COVIDー19が流行しスタートが少し遅れてしまったそうですが、“理学療法士でもある泉さん” が、これから一体どのように地域に関わられていくのか、今後のご活躍も楽しみにしています!



理学療法士って何ができるの?

かわむー
かわむー

泉さんが、理学療法士になろうと思った “きっかけ” はなんだったのですか?


泉さん
泉さん

小学校から高校まで競泳の選手をしていたのですが、中学校の時に体を壊したんです。その時に治療してくれたのたのが理学療法士でした。

もともと細胞とか基礎研究が好きで医療の道に進みたいなと考えていたんです。
大学受験の際の進路では、看護師と理学療法士で最後まで悩んでいましたが、結局、自分がお世話にもなった理学療法士を選択しました。


かわむー
かわむー

もともとは細胞などの基礎研究に興味があったんですね…!

いつから“地域” や “自立支援” に興味を持たれるようになったんですか?


泉さん
泉さん

学生時代の実習がきっかけですね。
卒業後はまず病院に就職したんですが、3,4年したら地域に出ようというのは決めていました。

自立支援のNPOにいったのは、“理学療法士の視点を持って自立支援や環境調整を行ったら、その方の生活はどう変わるだろう” と思ったからです。


もともと病院で働きながらボランティアとして関わっていたのですが、それだけでは分からなかったので、一回現場のスタッフとして飛び込んでみようと思ったんです。


かわむー
かわむー

実際にスタッフとして関わるようになって、何か変わった点や見えてきたものはありましたか?


泉さん
泉さん

時間をかけて利用者さんと関わることができるようになり、一人一人の機能面や環境調整に力を入れられるようになりました。

例えば、1歳で受傷し動きにくくなっていた方の手がしっかりとリハビリをすることで40歳で動き出したり、褥瘡の管理ができるようになったり、スタッフに理学療法士の視点から機能的なアドバイスができるようになったり。

実際に中に入ったことで、いろんな可能性を感じました。



かわむー
かわむー

もともと理学療法士がいる現場ではなかったので、周りから受け入れられるまで結構大変だったんじゃないですか?


泉さん
泉さん

そうですね、大変でした。
「理学療法士って何ができるの?」って聞かれることから始まりますからね。

病院だと明確に業務が分けられていると思うんですが、この現場はそうではないんです。

周りの人にとっては私が初めて出会う理学療法士なので、「何ができるの」と聞かれた時には、“理学療法士だからできること” と “この環境だから” とか “自分だからできること” というのを意識的に考え、対応するようにしていました。

あと、分からないことは分からない、と伝えるようにしていました。



自立支援での思い出

かわむー
かわむー

理学療法士として働く中で、“やりがいを感じる瞬間” や “嬉しかったエピソード” はありますか?


泉さん
泉さん

自立支援のNPO で働いていた時に、失語症などの高次脳機能障害のある30代の男性がいました。
はじめは「喋ってもしょうがない」といってほとんど喋らない方でした。しかし、1年ぐらいして次第に変わっていったんです。

施設でお茶を入れている際に、私がコーヒー豆をこぼしちゃって。その時に「B型ですもんね、、あ!つい口が滑っちゃった、すみません〜」って。急に冗談が言えるようになってびっくりしました(笑)
この時は嬉しかったですね。

その後、マラソン大会にその方をお誘いしたんですが、「絶対出ませんよ」と言いながら、マラソンの10kmコースを全部歩いてみたそうなんです。そして、「通院した時に先生に運動していいか聞いてみたよ。ま、出ませんけどね〜!」 と言ったりもして(笑)

その後も映画を見たらその半券を持ってきてくるようになったり、次第にお話してくれる回数も多くなりました。「これってできますか?」と、靴紐を自分で結びたいと言われたり、「友達の結婚式に誘われたんだけど、どうしよう?どう病気のことを説明したらいいかな?」と相談してくれるようになりました。

少しずつ心を開いてくれている様子が伝わったので、とても嬉しかったです。


かわむー
かわむー

とってもリアルで心温まるエピソードですね…!
聞いている私まで、嬉しい気持ちになりました。


泉さん
泉さん

話題を提供するために動くようになったり、さらには意欲的に行動に移すようになったり。

人間関係が保たれて、様々なことに対処ができるようになったこの方の姿を見て、自立支援を行う理学療法士のやりがいを感じました。



正解はつくるもの

かわむー
かわむー

最後に、泉さんが理学療法士として大事にしている “モットー” を教えてください。


泉さん
泉さん

セラピストは、目の前の方に “変化をもたらす” ことが仕事だと思っています。

しかし、その変化が相手にとって不利益になっては元も子もないので、そうないように “リスク管理” を徹底することが大切です。

人に変化を起こすということにはリスクはつきものなので、 “リスクに対応してより良いリハビリをする” よう心がけています。

一人で働いているから、常に自分のすることに疑問を持ちながら意思決定を行います。しかし、リスクばかり考えていると怯えて動けなくなってしまうので、メリットも同時に考えながら。


かわむー
かわむー

そうですよね。地域で一人で働いているので、その責任は大きくなりますよね。

地域において “リスクに対応したより良いリハビリ” を提供するには、型にはまらない柔軟な考えも大事になりそうですね。


泉さん
泉さん

地域では、正解はありません。むしろ、正解は作っていくものだと思っています。

提示するものはあくまで提案であって、選ぶのは本人。目の前の方がより良いものを選べるように、一緒になって考えていきたいと思っています。

楽しくないと人は動かない、だけど、楽しいだけでは続かないんですよね。
継続から習慣に、そして文化となるような仕組みづくりを、支援者がしんどくない形で進めていけたらと思っています。


かわむー
かわむー

理学療法士だから、そして、泉さんだからこそできる挑戦。
今後のご活躍も楽しみにしています!

ちなみに泉さんは、noteにて、お仕事のことや田舎での暮らしについて発信されています。
ぜひ合わせてチェック・ご覧ください。

本日は、ありがとうございました。






以上、本日は岡山県の西粟倉村で「地域おこし協力隊」として活動されている理学療法士の泉真里恵さんを紹介させていただきました。


一人でも多くの方に、泉さんの素敵な想いがお届けできれば幸いです。


最後まで読んでいただきありがとうございました。


今後ともリハノワ.comをよろしくお願いいたします!



かわむーでした。






※この取材は、本人の同意を得て行なっています。本投稿に使用されている写真の転載は固くお断りいたしますので、何卒宜しくお願い申し上げます。

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