みなさんこんにちは、リハノワ.comのかわむーです!
本日は、広島県広島市にある「広島大学病院」で働く理学療法士の平田和彦さんを取材してきたので、皆さんにご紹介したいと思います!
普段お仕事をされる中で感じることや理学療法士として大切にされている思い、また、これまでの経験や現在新たに挑戦されている事など、その魅力にとことん迫っていきたいと思います!
理学療法士・平田和彦さん
◆平田和彦(ひらた・かずひこ)さん
1979年5月20日生まれ 広島県福山市出身
趣味 : 読書、ゲーム、面白い人を見つける事、犬のお世話
<経歴>
2003年3月 広島大学医学部保健学科理学療法学専攻 卒業
4月 広島大学病院リハビリテーション部門 入職
2013年9月 広島大学病院スポーツ医科学センター
2015年10月 広島大学医歯薬保健学研究員博士課程 入学
2019年4月 広島大学病院診療支援部リハビリテーション部門 部門長
<社会活動>
・HYMECS(Hiroshima Yakyu Medical Check and Screening)理事(2018年〜)
・JST日本-台湾研究交流プロジェクトメンバー(2018年〜)
・NEDO次世代人工知能・ロボット中核技術開発プロジェクトメンバー(2018年〜)
理学療法士として働き始められて17年。
大学病院で勤務される傍ら、近年では院外での活動も精力的にされているのですね。
入職して最初の数年間は、整形外科(特に膝疾患)の患者さんを中心に診療にあたっていました。とにかく論文をたくさん読んだり勉強会に行ったりしながら、患者さんに全力で向き合う日々を送りました。
その後、病棟専従やスポーツ医科学センターでの勤務を経て、現在は大学病院のリハビリテーション部門の部門長を務めています。管理職として、スタッフが生き生きと働けるようにサポートをしています。
面白そうな事には自ら飛び込んでいくタイプなので、院外での活動も多岐にわたります。日々忙しくはありますが、充実した楽しい日々を送らせてもらっています。
きっかけは大切な人の一声
平田さんが理学療法士になろうと思った “きっかけ” は、なんだったのですか?
もともと医療に興味を持つようになったのは、高校時代に見た『レナードの朝』という映画がきっかけでした。
この映画は、パーキンソン病のことを描いたノンフィクションの映画ですが、高校時代の僕はこれを見て「こんなに不思議なことがあるんだ…!難病の人の医療に携わってみたい…!」と思ったんです。
きっかけは “難病” の医療に関わりたい、という思いからだったんですねぇ。
様々な職種がある中から “理学療法士” を選ばれたのは何故ですか?
母のすすめでしたね。
母は、僕が進路選択をしている時期にちょうど闘病していました。
病院に入院している期間も長く、色んな医療スタッフを見ていたんでしょうね。母から「こんな仕事があるから、いいんじゃない?」とすすめてもらったのがきっかけとなり、理学療法士を目指すことにしました。
リハビリの “本当の意味” を学ぶ
臨床経験が豊富な平田さんですが、大きな “壁” にぶち当たったことはありましたか?
もちろん。たくさんありましたよ。
まずはじめの壁は、入職して1年目の時でした。
当時、僕の中でのリハビリは「良くなる(治る)もの」というイメージでした。しかし、その時担当していた患者さんの中に、病気の進行とともに次第に動けなくなっていった方がいたんです。
最初は歩けていたので運動療法を行っていましたが、次第に動けなくなり、最終的には寝たきりの状態になってしまいました。
この時僕は、相当頭をかかえました。
“良くならない” とか “回復しない” ものに対して 「一体自分は、何ができるのか?」 と、お悩みになられたのですね。
どのように乗り越えられたのですか。
何をしたら良いのか分からなかった僕は、その患者さんを一緒に担当していた作業療法士の先輩に相談しました。その先輩は、患者さんの希望を大事にしようと色々と提案してくれたんです。
実はその患者さんは、ミュージカルを鑑賞することが大好きでした。
そしてある日、 “もう一度ミュージカルを見にいきたい” と希望を教えてくれたんです。
当時、ミュージカルを見るためには大阪まで行かなくてはなりませんでした。寝たきりのまま、しかも身体的にリスクも抱えた状態。しかし僕達は「無理だ」と諦めることは全くなく、“どうやったらその思いを叶えることができるか” を一生懸命考えました。
その日から、様々な環境調整や準備、リハビリを行う日々が始まります。
ミュージカル鑑賞に行く!という素敵な目標ができたんですね。しかし場所が大阪ですか…。
医療的ケアが必要な状態での大移動、そしてミュージカルを鑑賞するというミッションは、かなりハードルが高そうですね。
そうですね。
でも、結果的にその患者さんは、ご家族さんとともに無事にミュージカルを見に行って帰ることができました。
ミュージカルを見終わった時、本人やご家族さんはそれはもう喜ばれ、眩しい笑顔を僕たちに見せてくれました。僕もそれを見て「リハビリってこんなことできるんだ…!」と、本当に感動したのを覚えています。
長時間安心して座っていられるように専用のリクライニング車椅子を用意したり、医療機器を入念にチェックし準備したりした上で、主治医に同伴してもらい、新幹線で移動をしました。
リスクを負った上でのこの経験は、僕に “リハビリの本当の意味” みたいなものを教えてくれました。
平田さんの感じた “リハビリの本当の意味” とは、一体なんですか?
“人生をより豊かにするもの” です。
医療とは治す(治療する)ことを目的としますが、リハビリの目的はちょっと違うと思っています。
私たちが行っているリハビリの目的は、QOL(Quality of Life):人生や生活の質を上げる ことなんです。
機能の向上を目指して治療するだけがリハビリではなく、もっと視野を広げて、その人のQOLをあげることで人生がより豊かになるように伴走していくのが、リハビリだと考えています。
機能的に良くなる(改善する)事とはちょっと違ってくるけれど、患者さんの人生をより豊かにするために、そして希望を叶えるために、自分ができることは何かないかと考え抜かれたんですね。臨床1年目から素晴らしい経験をされていて流石です。
“伴走する” ということは、患者さんに一方的にリハビリを “提供” するのではなく、「患者さんもリハビリチームの一員ですよ、みんなで取り組んでいきましょう」と、患者さんと共に歩んでいくという意味が込められているのでしょうか。
先ほどお話ししてくださった患者さんの他にも、このように改めて “リハビリの意味” とか “目的” について考えさせられたことはありましたか?
はい、あります。
僕が10年以上前から関わらせてもらっている患者さんから学んだことです。
その方は、病気の進行により徐々に動けなくなるという難病に罹られています。最初は自分である程度動作ができていましたが、次第に身体が動かせなくなり、喋ることも難しくなりました。
ちなみに現在はご自宅で生活されているのですが、介護は全て奥様ひとりで行われています。
奥様がたったひとりで介護ですか。
つい先日、10年ぶりぐらいにそのご夫婦にお会いしました。久しぶりにお会いしたので雑談をしていたら、その中で驚きのことを耳にしました。
奥様に「24時間付きりの介護による疲れなどはないですか?」とやんわりと聞いたところ、
「介護生活は大変だけど、私は幸せです。夫との暮らしには満足しています。 だってこの人ね、結婚記念日や誕生日など、お祝い事は今でも毎回プレゼントをくれるんですよ。今年は何が届くかな。
〜〜だから私ね、この人じゃないとダメなんですよ。」
とお話しされたんです。
毎回プレゼントをくれる…!?
どういうことでしょうか? 一体どうやって。
僕も気になって奥様に詳しくお聞きしたところ、どうやら、リハビリで練習した「視線入力装置」を用いて、Amazonで「ポチッ」ていたようなんです。
実はこの方は、唯一「目」を動かすことでコミュニケーションが図れたため「視線入力装置」というものを導入されていました。一点をずっと凝視していたら文字が入力できる装置なのですが、それを使ってメールを打ったりインターネットをしたりできるようにリハビリで練習されていました。
なるほど、そういう事だったのですね!
それで記念日には奥様にプレゼントを…!
いい話すぎて、感動です。
その方にとっては、リハビリに求めている事は “体を動かしてもらう事” ではありませんでした。
自分の体の機能を良くする事よりも “家族のために何かしたい” ということの方が、その方にとっては大事なことで、希望だったんです。
直接的に何かをしなくても、環境を設定したり、本人の “やりたいことを支援する” こともリハビリです。
この方の場合、視線入力装置を使えることになった事で “家族の役に立ちたい” という希望を叶えることができ、それが “生活の質” や2人の “満足度” の向上につながったのだと実感しました。
「遺族会」という貴重な経験
大学病院で働く中で、平田さんの印象に強く残っている体験や経験はありますか?
当院では年に2回、夏と冬に「いちご会」という遺族会を行っています。
お子さんを亡くした親御さんと、小児科の医師や臨床心理士、チャイルドライフスペシャリスト、リハビリのスタッフなど、入院中に関わりがあった医療スタッフが一緒になって集まり、お茶会的な感じで近況などを話していきます。
ここでの経験は、僕の心に強く残っていますね。
お子さんを亡くしたご家族さんにとって、そこの場はどんな存在になっているのでしょうか?
なんていうか…言葉に表すのがすごく難しいんですが、
ご家族さんは、亡くなったお子さんのことを決して忘れることはないと思うんですよね。しかしながら、月日が経過していくうちに、次第と普段頻回に話はしなくなったりはすると思います。
我が子に対する想いを自分の言葉で話していくことで、心の中に閉まってあった大切な我が子にふれられる、そんな場になっているじゃないかなぁと僕は思います。
医療スタッフにとっても、関わっていたお子さんが亡くなるという経験はとても辛いものがあると思います。そんな時、どのように心のケアをされているのですか?
長く一緒にリハビリをしていたお子さんが死の間際にいる時は、私たちも逃げ出したくなるくらい辛い思いですし、亡くなった時には、私たち医療者も大きな悲しみを感じ、バーンアウト(燃え尽き症候群)になることもあります。
隠れたところで泣いていたり、ご飯が食べれなかったり。
子どもが亡くなるというのは本当に辛い事です。“もっと楽しいこと経験させてあげたかった” とか思っちゃうと自分の無力さを痛感させられ、本当に辛くなります。
そんな時は、亡くなった後にお部屋を訪問して、ご家族と涙を流しながらお話をしたり、リハビリの担当者間で思い出を話したり、あとは葬儀に行かせてもらったりして心を整理しています。
“遺族会” は自分たち医療者にとっても、とても大事な場となっています。
この仕事が好きだから
多くの患者さんと関わられたり、様々な医療現場で働かれてきて、改めて “実感すること” や、新たに “見えてきたこと” などはありますか?
“立場が人を変える” ということは最近とても実感します。
昨年度から部門長を務めるようになって、見えてくる景色が少しずつ変わってきました。これまで見えていなかったものが、今、立場が変わって改めて見えてきたというか。
医療の中のリハビリテーションというものに向き合った時、“本当に求められてるものって何なんだろう?” とじっくり考えるようになりました。
目の前の患者さんに全力で向き合うことは当然大事ですが、「医療の仕組み」や「組織」にも目を向けた時、また違った景色があったんですね。ご苦労も多いかと思いますが、“新たなことへの挑戦” とてもやりがいがありそうですね。
長年、理学療法士としてお仕事をされてきた平田さんですが、改めて“理学療法士という仕事” についてどう思われますか?
学生や現場のセラピストの中には 「将来性がない」「給与が低い」 「道間違えた」 等と思う人もいると聞きます。だけど僕自身は、“理学療法士になって良かった” と心から思っています。
実は僕、この世界のことあんまり知らずに職業についたんですが、理学療法士って、リハビリの職業って、すごくすごく素晴らしい良い仕事だと思います。
これまで僕は、お金じゃ得られない経験をたくさんさせてもらいました。それは、この仕事じゃなかったら出来なかったことであり、この経験こそが財産だと思っています。
新たな挑戦と原動力
今現在 “力を入れていること” や “今後やりたいこと” はありますか?
僕は現在、「入退院支援」に力を入れています。
急性期病院という特性上、僕たちが患者さんに関わる期間は大変短いです。ですから、入院中に少しでも多くの課題を解決しておかないといけません。また、退院した後に、患者さんがご自宅で困っていないか、転院先でも元気にされているのかを知る事は大変重要な事です。
今年度より、僕が入退院支援の部門に関わるようになり、入退院支援におけるリハビリ専門職の関わりを開拓しているところです。
現在は、入院予定の患者さんに対して、入院前から面談を行い、リハビリが必要そうかスクリーニングを行なっています。入院前から把握する事で、急性期のリハビリテーションをより早く提供し、予防に務める絶好の場だと考えました。
また、紙でのやりとりが主流の他施設連携にも疑問を感じていたので、「オンラインの地域連携システム」を推進したいと現在少しずつ活動しています。
自ら地域連携の部署に飛び込み、入院してくる前の段階からリハビリの必要性を検討しているとは!素晴らしい行動力ですね。人数も多いためかなり大変そうですが、結果的に早期退院に繋がることが期待できそうです。
「オンラインの地域連携システム」も非常に興味深い取り組みですね。ぜひ広島から全国にこの取り組みを広めていってもらいたいです。
僕は、「医療現場から社会を変える」という思いのもと、様々な事にチャレンジしています。
社会的に必要なことを、臨床現場にいながら政府に訴えていきたいです。
まさに、EBPM:Evidence Based Policy Making (証拠に基づく政策)への取り組みということですね。
平田さんのその “パワーの源” は一体なんなのですか?
先ほど、僕が理学療法士を目指すきっかけとなったのは母の一言だった…というお話をさせてもらいましたが、実はその後、母は僕が20歳の時に亡くなりました。
大好きな母の最期にしっかりと関わってあげられなかったことを、僕は今でもとても後悔しています。その後悔、悔しさこそが、僕が理学療法士として前向きに活動できている原動力かなと思います。
平田さんから滲み出る “温かさ” や、いい意味での“人間くささ” みたいな理由が分かったように感じました。
多岐にわたるご活躍、そして多くの患者さんの人生を豊かにされている姿を、お母様も喜ばれていることと思います。
メッセージ
最後に、リハビリに関わる方に 一言、メッセージをお願いします。
僕は、自分が悩んでいる時に今までいろんな先輩や同僚や後輩に助けられてきました。患者さんからも多くの事を学び、時にはリハビリとは全く異なる分野の人からも多くのアドバイスをもらいました。
今度は僕が、色んなことで思い悩んでいる後輩たちに対して “リハビリの素晴らしさ” を伝えたいし、また、安心してこの仕事が続けられるような “システム作り” をしたいと思っています。
最近は、大学の授業で学生と話をしたり、管理職として若いスタッフと色々な話をすることが増えました。いつも思う事は、若い人たちには “希望を持ってリハビリという仕事をしてほしい” ということです。
若い人と話をしていると、本当に純粋に患者さんの事を考えているし、また新しい感性で物事を考えていて、本当に可能性しかないと思います。
僕は、若い人達にはいつも「Think Big, Act Small(目標は大きく、コツコツやる)」とアドバイスをしています。
将来の目標がまだ決められない場合は、まずは “目の前のこと” からコツコツとやっていこう。もし “将来こんなことしたい” という目標があるなら、言葉に出してみよう。そして、小さなことでも良いので、行動してみよう。そうすることで見える景色が変わってくるよ、と言っています。
例え行動して失敗しても、それは必ず大きな目標や自分の成長につながっています。僕も失敗ばかりしてきましたが、失敗から学んだことの方が多かったと思います。
最後に、リハビリとは患者さん毎にその目標は異なるため、「これが正解」というものが分かりにくい分野であると思います。だからこそ、“患者さんの思いを感じる力” や “皆さんの感性” が重要になると思います。
是非、皆さんがリハビリの仕事をして「何が嬉しかったのか」「何が悔しかったのか」という感性を大切に育ててほしいと思っています。
最後に、平田さんから温かくもパワーのある言葉をいただきました。
今後のさらなるご活躍を、心より楽しみにしています!
平田さんの働かれている大学病院の情報はこちらから
・広島大学病院リハビリテーション科
また、平田さんはFMラジオ「医どばた食堂」(2020.12.11放送)の中でも、今回伺ったようなリハビリに関するお話をされています。ぜひ合わせてチェックしてみてください。
平田さん、本日はありがとうございました。
以上、本日は広島県広島市にある「広島大学病院」で働く理学療法士の平田和彦さんを紹介させていただきました。
一人でも多くの方に、平田さんの素敵な想いがお届けできれば幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
今後ともリハノワ.comをよろしくお願いいたします!
かわむーでした。
※この取材は、本人の同意を得て行なっています。本投稿に使用されている写真の転載は固くお断りいたしますので、何卒宜しくお願い申し上げます。
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