みなさんこんにちは、リハノワ.comのかわむーです!
本日は、山口県宇部市にある「大坪義肢製作所」で働く義肢装具士の大坪剛さんを取材してきたので、皆さんにご紹介したいと思います!
普段お仕事をされる中で感じることや義肢装具士として大切にされている思い、また、これまでの経験や今後新たに挑戦したい事など、その魅力にとことん迫っていきたいと思います!
義肢装具士・大坪剛さん
◆大坪 剛(おおつぼ・たかし)さん
1982年5月18日生まれ 広島県広島市出身
<経歴>
2005年3月 山口大学工学部 卒業
2005年4月 山口大学大学院医学系研究科応用医工学専攻 入学
2006年4月 国立障害者リハビリテーション学院 義肢装具学科 入学
2009年3月 国立障害者リハビリテーション学院 義肢装具学科 卒業
2009年4月 中礼義肢製作所(鹿児島) 入社
2014年4月 大坪義肢製作所 入社
大坪さんは、大学や大学院では工学を学ばれ、そこから義肢装具士の専門学校へ行かれたのですね。
そうなんです。
高校の時はあまり義肢装具士になりたいという気持ちは強くなくて、地元の大学の工学部へ進みました。しかしその後、やはり義肢装具士になりたいと思うようになり、専門学校を受験します。
大学を出てからさらに3年間学ぶということは、社会に出るのもその分遅れてしまうので、それなりの焦りもありました。ですがその時は、 “義肢装具士になりたい” 一心でその道を選びましたね。
専門学校は、埼玉県にある「国立障害者リハビリテーションセンター学院」へ進学されたそうですが、どのような学生生活を過ごされたのですか?
正直、大学時代は割とゆるく過ごしていましたが(笑)、専門時代は “義肢装具士になるぞ!” という明確な目標があり、勉強する内容も全て自分のためになることばかりだったので、すごく前向きに取り組んでいました。
何のために勉強するか、目的があったから頑張れましたね。
学校は、一学年が12名で、勉強内容としては運動学・解剖学・病理学・材料学・義肢装具学など「医学と工学」を中心に学びました。また、2年生と3年生の時には計6週間ずつ製作所に行って実習を行いました。
とにかく楽しい学生生活を送りましたね。割とまじめな学生だったのではないかと思います。
父の背中を追いかけて
大坪さんが、そこまで “義肢装具士になりたい” と思われたきっかけは、何だったのですか?
大学3年生の時、実際に自分が働くって考えたとき、やりがいを持って働けそうだなっと思えたのが義肢装具士でした。
そして実は、僕の父も義肢装具士だったんです。
幼い頃から父の姿を見て育っていたので、義肢装具士自体がとても身近な存在でした。
お父さまも義肢装具士だったとは…!
息子である大坪さんが義肢装具士の道に進むと決めた時、お父さまは相当嬉しかったでしょうね。
そうですね。父から “義肢装具士になれ” と言われたことはありませんでしたが、僕がその道に進むことを決めた時、周りには嬉しそうに話していたみたいですね。
僕の養成校である国立障害者リハビリテーションセンター学院は、父がもともと立ち上げ時の教官をしていました。義肢装具士の資格制度ができた当時、最初につくられた養成校だそうです。それもあって受験することを決めました。
大学院一年目のときに合格し、その次の年から埼玉へ引っ越し学校へ通いました。
日本で唯一の国立養成校の、しかも立ち上げ時の教官をされていたとは。大坪さんのお父さまも、義肢装具士としてとても立派な方なのですね…!
父のことは、義肢装具士としても父親としてもとても尊敬しています。ぜひ、一緒に働いてみたかったですね。
というのも、実は、父は僕が専門学校3年生の時に病気で亡くなったんです。
亡くなる少し前、父は、義肢装具士になる直前の僕に向かって “何かのスペシャリストを目指せ” と言ってくれました。義肢装具の分野って本当に広くて選択肢がたくさんあるんですが、その中の何かを極めスペシャリストになれ、と。
そうだったのですね。
“何かのスペシャリストになれ…” ですか。
もともと僕は義肢装具士になるにあたり、“オールラウンダーになりたい” と思っていました。そのために実習先や就職先も選んでいたため、一旦はそのようなジェネラルに学べる道を選び進みました。
最近では、ようやくある程度のレベルで全般的に見れるようになってきました。今後は父の言っていたように “スペシャリスト” を目指していきたいと、分野を “足” に絞っていこうと考えています。
もし父が生きていたら、「もっと頑張れよっ!」 って背中を押される気がするので、気合を入れていきたいと思っています。
大坪さんが義肢装具士として社会に出る数ヶ月前に亡くなられたお父さま。
きっと、大坪さんのことをいつも遠くから見守られていると思います。
親孝行息子・大坪さんの、今後のご活躍を応援しています!
職人としての喜び
大坪さんが義肢装具士として働かれる中で、“やりがい” とか “嬉しい” と感じる瞬間は、どんな時ですか?
そうですね、誰でもあると思いますが、やっぱり “患者さんに喜んでもらえた時” これは絶対ですね。
あとは、技術的な面として、自分が作れるレパートリーが増えた時や技術が上がった時は嬉しいですね。
一つの装具を作る時はだいたい流れ作業で分担することが多いのですが、「これは自分でやらせてくだいさい!」と言って、一から自分で作ることもあります。
まさに “職人さん” ですね…!一つの製品にかける魂を感じます。
“患者さんに喜んでもらえた瞬間” の心に残っている思い出はありますか?
義肢装具士1年目の時に、ポリオの患者さんの長下肢装具制作を担当させてもらったことですね。
上司から「お前がやってみろ」と任してもらいましたが、正直、ポリオの方の装具制作は角度とかが細かくてすごく難しいので 「1年目の僕で大丈夫なのか…」 と、とても不安でいっぱいでした。
患者さんにも最初「あなたにできるの?」と言われちゃったりして、若手が突然きて信用されていない感じでしたが、「一生懸命させていただきます!」と勢いよく笑顔でお伝えしたのを覚えています。
患者さんのニーズに添いながら丁寧に作っていき、結果的に患者さんからは「今までで一番歩きやすい」と言ってもらいました。その時は、本当に嬉しかったですね。
大変な事こそやりがいに
働かれる中で、“大変だな” とか “辛いな” と感じられた経験はありますか?
そうですね、トータルで考えると楽しいことの方が圧倒的に多いんですが、たまに難しい症例がきた時は頭をかかえますね。おっ、来たな…!と(笑)
特に、軟部組織が少なくて装具に骨があたりやすいような敏感な方々のフィッティングは難しいですね。僕は足を専門にしているので、例えば変形の強い足の方は結構大変です。
確かに足って本当に複雑ですし、一人一人個性も強い部分ですものね。
そういった時はどのように対処されるのですか?
とにかく、すっごく考えます。型取りの段階で完成形がイメージできていないと、上手くいかないんです。例えば、強い変形に対してはどういった角度がいいかとか、しっかりイメージしないと上手くいかないですね。写真や動画を参考にしながら作ることもあります。
制作段階から装着するまで常に不安はありますが、どうやったら上手くいくか試行錯誤しながら進めていきます。
ものすごく大変ですが、やりがいもかなりあります。
僕のモットーと今後の挑戦
大坪さんが義肢装具士として働かれる中で、大事にされている “モットー” はなんですか?
一言でゆうと、“妥協しない” ことですね。
自分が決めた目標に対して絶対に妥協しないこと。そのために、とことん理想と現実のギャップを埋めていきます。
これは、学校を卒業して義肢装具士になる時に決めたことです。これをテーマに頑張りたいなって。
きっとこれは、これからも変わることはないと思うので、一生のテーマになるのかなと思っています。
義肢装具士になる時に決めたことをずっと軸にして歩んで来られたのですね。
大坪さんが、今後 “やってみたいこと” とか “チャレンジしたいこと” は何かありますか?
最近の目標の一つは、「日本フットケア足医学会」の認定士を取得することです。
受験資格を得るまでに、学会に何年以上所属するとか指定の学会や認定士セミナーに参加するとか、症例報告を10症例書くとか色々あって大変なんですが、今後、足のスペシャリストとして仕事をしていきたいので一つの目安として取り組んでいます。
父に恥じない仕事ができるよう、頑張りたいと思います。
以上、本日は山口県宇部市にある「大坪義肢製作所」で働く義肢装具士の大坪剛さんを紹介させていただきました。
一人でも多くの方に、大坪さんの素敵な想いがお届けできれば幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
今後ともリハノワ.comをよろしくお願いいたします!
かわむーでした。
※この取材は、本人の同意を得て行なっています。本投稿に使用されている写真の転載は固くお断りいたしますので、何卒宜しくお願い申し上げます。
コメント
[…] 実際にスタッフとして働かれている「義肢装具士 大坪剛さん」を取材させていただきました。足のスペシャリストを目指し活躍中の大坪さんは、爽やかな笑顔の裏にある熱い想いがとっても素敵な義肢装具士さんです!大坪さんの記事はこちら。 […]